元自衛官がアフリカの紛争地に行った時の話
こんにちは。株式会社百森の齋藤です。
皆さんは海外へ行ったことはありますか?
僕は今までフランス、ドイツを始め、イタリア、チェコなど様々な国へ行きました。日本国内も良いですが言葉や文化がまったく違う異国の地はとてもスリリングでアバンチュールな魅力で溢れています。
今回はそんな魅力溢れる異国の地アフリカでの体験記を書きたいと思います。
当時は自衛隊を退職し、フランス陸軍の外国人部隊に籍を置いていました。僕が初めてアフリカに行ったのは2012年のエペルヴィエ作戦でチャド共和国に派兵された時でした。
フランスの軍隊は日本の自衛隊とは違い、海外派遣や紛争地への派兵が普通に持ちまわりで回ってきて、フランスはアフリカ諸国を植民地にしていた歴史からアフリカ各地に軍事基地があります。
僕の所属する機甲騎兵小隊はチャドの首都ンジャメナにある基地に駐屯し、メインは基地警備たまに野外訓練というような日々を過ごしていました。
チャドは比較的治安も良く、休日は市街を散策したり、仕事終わりに同僚たちと夜の繁華街に繰り出したりしていました。
基地には僕たちのほかにも正規陸軍が二個中隊入っていて、3日に一回のペースでしか基地警備が回ってこないのでとても楽でしたし、ネット環境も完備の上、食事も予想以上に豪勢で駐留生活を満喫していました。
そんなバカンスのような日々を4ヵ月ほど送り、そろそろフランス本土へ帰投されようかという矢先、隣国のマリ共和国の首都がイスラム武装勢力に占領されるという事態が起きました。
2013年1月、国家非常事態宣言の発令を受け、国連安保理決議に基づきフランスはセルヴァル作戦を発動し軍事介入を開始しました。すぐ近くで駐屯していた僕たちの一個小隊も直ちに現地へ緊急派遣されることになり、来週には長期休暇に入れると浮かれていた野郎どもには寝耳に水状態でした。
すでに武器庫に返納していた銃器・弾薬・通信機器、その他携帯食料や水など出立の荷造りを夜を徹して急ピッチで行い、バカンス気分から一変して一夜で戦場の最前線に送られることになってしまいました。
1月15日の深夜、緊急出動要請がかかった翌日には民間の輸送機を活用して首都バマコに現地入りし、さっそく目的地点に向けて移動を開始。
ジープのホロを外して偽装を施し、ありったけの武器・弾薬・食料・3人分の荷物を放り込むと小さな荷台はたちまち一杯に。乗りきらないモノはしょうがないので荷台の外側にロープで固縛し、なんとか身支度を整えました。
荷台の銃架に備え付けた7.62㎜機関銃を構えて周囲を警戒しつつも大地が織りなす景観に圧倒されながら、ただひたすらに走りました。地雷を踏むなと切に願いながら…
1月25日、ガオ市の南約160kmにある町に到達し、フランス軍機がガオ周辺でイスラム反乱軍とその兵站拠点を空爆。
現地に到着した時にはすでに空爆後で瓦礫の山となったさら地とテロリストたちの黒焦げ死体が無惨に転がっていました。
翌日にはガオ国際空港を奪取し、さらにニジェール川に架かる重要な橋も確保。
アフリカのこの辺りは日中暑くて気温が30度ぐらいまで上がりますが、逆に夜は気温が一桁台まで下がりとても寒いです。
その後、トンブクトゥの空港と市内へ通じる道路を制圧し、市内の偵察を行いながらここで僕たちの出番は終了。
次の派遣部隊が来るまでしばしの余暇を楽しみ、アフリカの地を去りました。
フランス軍は作戦開始2週間で3000人以上の部隊を展開させ、バマコ=トンブクトゥ間約700kmの長距離を快進撃し、 ニジェール川のベルト地帯を2日間で制圧するなど機動戦を見事に成し遂げた世界でも数少ない軍隊であることを証明したとして軍事史に残ると評価されました。
日本にいると海外情勢についてなかなか知る機会もありませんし、ましてや紛争地の現状なんて知る由もありませんよね。
僕自身、日本にいればまず知ることはなかったであろうアフリカの紛争地を実際に肌で感じ、そこで暮らす人々の逞しさや雄大な自然を目の当たりにして、たくさんの刺激を受けました。
皆さんもぜひ海外でアバンチュールな体験に挑戦してみてはいかがでしょうか?
(齋藤明斗)
この記事は、百森 Advent Calendar 2021の11日目です。
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