ライフインホワイト 9
綾瀬さんの捜索を始めて既に数時間経っていた。
雨は止む様子もなく、気温も徐々に下がっているのが体感でわかるほどだった。
正直に言って限界を感じていた。
宛もなく捜索するには、俺は綾瀬さんのことを知らなさすぎる。
なんとか記憶の中にある綾瀬さんとの会話を思い出して、探し回ってみたがなんの手掛かりも得られなかった。
焦燥は募るばかりだが、それに囚われてしまえば足も動かなくなってしまう。
丁度目の前の大通りの信号が点滅し、俺が横断歩道に足を踏み入れる前にやがて赤に変わった。
立ち止まり、深呼吸をする。
隣の傘を差したカップルに怪訝な顔をされた。
深夜帯に足を踏み入れたようなこんな時間、こんな冬の雨の中、傘もささずに濡れた状態でうろついている男が怪しくないわけがないだろう。
だが、そんなものを気にしてもいられない。
信号が変わった。
俺は出来るだけ足早にそのカップルの視界から外れる様に幾分か人の減り出した人混みの中を進んでいった。
しかし、だ。
人の波に紛れながら頭の中で考える。
次の手を考えるべきだろう。
あまりにも無策すぎる。
大学の周辺は探した。
何もなかった。
自宅周辺に関しては元々知らないというのもあったが、周囲に怪しい人物がうろついていたという金江会長の話も考えて捜索しないことにした。
それから幾つかの本屋を回った。
綾瀬さんとの会話に本屋の話が良く出てくるからだ。
彼女は本当に本が好きで、書店に関してもいくつかおススメを聞いたことがあった。
それらを思い出しながら回ったが収穫は何もなかった。
衣服が濡れているせいか、先ほどのカップルと同じように書店員さんにも怪訝な目で見られてしまった。
いい加減傘なり雨合羽なりを買った方がいいかもしれない。
このまま他の本屋に入った時にまた迷惑をかけてしまう。
「――……あれ? そういえば確か……」
そこまで考えて、頭の中に引っかかった。
同じ本屋の話だ。
それは綾瀬さんのバイトの話。
確か、彼女は書店でバイトしていると言っていた。
それを嬉しそうに話していた姿が思い浮かぶ。
そう、それで店舗に関しても一度教えてもらったはずだ。
「――思い出せ……!!」
道の中央で立ち止まり、呟く。
周囲の人々が迷惑そうに俺を奇異の目で見ている。
気にしている場合じゃない。
思い出せ。
そう、彼女バイト先。
それは確か――
「――二駅先の店だ……!!」
なんとか思い出し、走り出した。
時間はもう遅い。
店舗は閉まっているかもしれない。
それでも、何かが掴めるかもしれない。
無心に走った。
二駅先の駅前は雑然とした繫華街になっている。
こんな時間でなければ賑わいも感じられただろうが、この時間では空いている店と言えばアルコールを提供しているような店舗とコンビニ程度のものだった。
雨のせいか出歩いている人間も疎らで、辺りは静けさのようなものも漂っていた。
先程までいた大通りとは違いこの中であれば幾分か歩きやすかった。
とりあえずは綾瀬さんのバイト先であるはずの書店までの道のりを辿ってみるべきだろう。
ポケットからスマートフォンを取り出し、周辺の情報を調べる。
書店はすぐに見つかった。
駅前の繁華街の一番奥に位置しているようだった。
他にも本屋が存在していないか探してみたが、スマートフォンの情報によれば他には無い様であった。
スマートフォンの地図アプリの画面と目の前の風景を何度か見比べてみる。
どうにも本屋までには遠回りするようにぐるりと繁華街を抜ける必要がありそうだ。
そうなると結構時間が掛かりそうだ。
しかし、天候と時間帯のせいで今でこそこんな静けさがあるが書店がやっているような時間帯であればこの繁華街も賑わっているだろう。
そんな繫華街を抜ける様に書店に向かったのであれば、事件が起きるのだろうか。
疑問を抱きながら何度か風景を見ているうちに、この風景をどこかで見たような気がしてきた。
特に、そう、あのコンビニとコンクリートが不自然に崩れている電信柱の辺り。
「……あ、そっか」
意外なほどすんなりと思い出した。
それは夕方に清景の家で見た交通事故のニュースの現場であった。
「そうか、ここだったのか……」
事故現場はすっかり片付けられているようで規制線や三角コーンの類、警官や野次馬がいるようなこともなく、電信柱が壊されていること以外は元の光景に戻っているようだった。
しばらくその景色を眺めていた。
テレビ画面の中でこの景色を見た時に何かが引っかかっていた。
小さな違和感の正体はなんだったのだろうか。
頭を捻ってみるが答えは掴めない。
が、発見はあった。
「……この道……」
コンビニの脇に路地が続いていた。
恐らくその道が昼間でも薄暗いであろうということが予想できてしまうような、そんな路地だった。
スマートフォンを見る。
調べてみればこの路地は路地裏を抜けて、書店の方面へと続いているのが分かった。
もう一度、路地の方を見る。
冬の雨が降るこの夜にあっても、一層仄暗さが際立っているような道だ。
そして、おそらくこの道だ、と俺の直感は根拠もなく告げていた。
ゆっくりと、吸い込まれるように足は路地の中に進んでいった。
建物と建物の隙間に偶然生まれたかのような道。
道の途中で曲がっているようで向こうまでの見通しは効かない。
言葉にできない不気味さのある路地裏だった。
もし綾瀬さんが一人でこんな道を通ったのなら相当怖かっただろう。
一歩ずつ道なりに進んでいく。
ただその不気味さ以外には何もないように思えてしまった。
このまま何も手掛かりを掴めないままだろうか、再び揺らぎだす焦燥を抱えながら先の見えない道を曲がった。
やはりそこにも特段何があるというわけでもなかった。
先程までのまでの道よりも幅があり多少の空間が出来ていることと、道の先は更に曲がっておりまだ書店のあるはずの繁華街の姿が捉えらないことが分かった。
「……」
繁華街面しているどちらの通りからも丁度見えない空間。
記憶の上で言えば、裏の世界の人間はこういうところをよく好む。
取引や仕事、様々な処理を街中でこなすには格好の空間だった。
手掛かりがあるとすればおそらくここだろう。
決して広いとは言えないこの空間をチェックする。
決して広いとは言えなくとも、プロの仕事であれば当然痕跡は少ない。
それでもあきらめるべきではない。
ほんの些細な手掛かりでもよかった、俺はまだ捜索続けるだけの気力を保てる『何か』を探していた。
「ん?」
それは我ながらこんなに暗い中良く気付いたな、と思う程に小さな痕跡だった。
ビルの壁についた周りのシミとほとんど変わらないような、ほんの一ミリにも満たない小さな斑点。
壁に近づき、スマートフォンのライトをつけて確認する。
最初はそれが何なのかわからなかった。
ただそれがほんの少しだけ普通のシミとは違って見えたから気になっただけだった。
もし、今この瞬間に気付かなければ俺はその正体に気付かなかっただろう。
「……血痕」
雨が降り出したばかりで助かった。
その赤いシミは血痕だった。
恐らくここの後処理をした連中も壁のシミに隠れてしまって気付かなかったのだろう。
これは綾瀬さんの――
「――動くな」
背後から声が聴こえた。
圧の強い女性の声だった。
ブワリと背中に一気に冷や汗が噴き出す。
感じる気配がタダモノのそれではない。
久方ぶりに明確な敵意を持って向けられたFPが、彼女がおそらく上位の能力者であることを物語っていた。
当然、何の能力もない俺はそれだけで動けなくなってしまった。
「こんなところに何の用だ?」
「――……」
声も出せなかった。
終わったかもしれない、そう思った。
こんな連中に襲われたのだとしたら、綾瀬さんはどれだけの恐怖を感じたのだろう。
それはきっと俺にはわからないだろうな、とそれだけが頭の中を巡った。
「おい、答え――っ!?」
「――……え?」
質問に答えられなかった俺に痺れを切らしたのか背後の女が俺の肩を掴み、無理やりに振り向かせた。
そして、俺も彼女も動きを止めた。
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