魔王の話 8

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 「ギィィ!!」
 目の前の黒い塊、体長1,8mはあろうかという巨大な蟻が視線にこちらを捉え、唸りながらその強靭な顎で噛み砕かんと、その体躯をしならせた。
 しなった体が動くと同時にこちらに飛びかかるようにして素早く接近してくる。
 「ッ!!」
 その直線的な動きを見逃さず、ステップで躱し、躱しざまに手にしたなんの変哲もないロングソードで切りかかる。
 「ギッ……ギィィ!!」
 一瞬、蟻が苦しそうな唸り声を上げたものの致命傷にはならなかったようですぐにその瞳が怒りに染まり、こちらに顎を向け茶色の酸を吐き出してきた。
 「チッ!!」
 今度はその酸を走りながら潜るように身を縮めて避け、蟻の懐に潜り込み、相手が何かするよりも早く黒い塊の頭にロングソードを突き刺した。
 「ギィィィィィ!!」
 「へ? うぉ!?」
 致命傷を食らった巨大な蟻が苦しそうな唸りを上げ、ロングソードが刺さったまま暴れ出す。
 その暴れた勢いでロングソードごと後方へ吹っ飛ばされた。
 「……いててて」
 吹っ飛ばされた勢いで打った尻を払いながら、巨大な蟻と戦っていた怜音は立ち上がり、蟻の方を眺めた。
 蟻はロングソードを突き刺された頭から緑色の体液を吹き出しながら十数秒暴れた後、やがて倒れ、動かなくなった。
 「……はぁ」
 動かなくなった蟻を眺めてから肩から力を抜いて、息を吐いた。
 目の前の脅威を退け、安堵したのも束の間の事だった。
 「ギィイ!!」
 力を抜いていた怜音の背後から、またしても先ほどと同じような巨大な蟻が襲いかかってきた。
 「うぉ!?」
 攻撃される寸前で蟻の存在に気付いた怜音は前に転がるように回避。
 しかし――
 「げっ!?」
 ――回避した先にはまた別の蟻が集まっていたようで怜音に対し攻撃を仕掛けてくる。
 その攻撃も紙一重でなんとか躱し、二匹の蟻から距離をとった。
 「こいつら何匹いるんだよ!!」
 若干キレながら叫んだ怜音の言葉が伝わる訳もなく二匹の蟻は攻撃しようと体をしならせる。
 「クッソ」
 蟻が接近してくるよりも早く、怜音は人差し指を宙に走らせた。
 書いたのは円と五芒星。
 魔法陣だ。
 魔法陣が煌々と光を放つと、怜音の全身を光が包む。
 二匹の蟻が素早く怜音に向かって突進してくる。
 怜音は交差する二匹の蟻のちょうど間を通るような形で前方へ転がり、突進をかわし、地面に置きっぱなしになっていたロングソードを掴みあげ、立ち上がり、構えた。
 突進を外した蟻の内一匹が素早く怜音の方へ向き、強靭な顎で攻撃を繰り出す。
 怜音はロングソードで蟻の顎を受け止める。
 ギチギチと音を立てながら組み合う怜音と蟻。
 しかし、その状態は長くは続かない。
 もう一匹の蟻が怜音の方へ攻撃しようと構えていた。
 もう一匹の蟻の動きを察知した怜音は組み合っていた蟻の胴を思いっきり蹴り上げる。
 「ギッ!?」
 蹴られた蟻は鳴き声を上げ、体をくの字にしならせて真横に飛んでいく。
 組み合っていた剣も弾かれたように蟻の顎から外れた。
 直後、怜音の体全体を覆っていた光が手にした剣に収束していく。
 そのまま突進してきていたもう一匹の蟻へ黄金に輝く剣を振るう。
 胴と頭の接合部分へ、正確に。
 「ギィィィイイ!!」
 ひときわ大きな鳴き声を上げて蟻の首が斬り落とされた。
 しかし、残った体の勢いは止まらず緑色の体液をまき散らしながら怜音へぶつかった。
 「ぐっ……!」
 蟻の胴体が直撃し、バランスを崩され数歩移動したがなんとか受け止め、堪えた。
 その隙を突くように、またしても残ったもう一匹の蟻が素早い動きで近づき、その顎による攻撃が怜音を襲う。
 怜音は素早くしゃがむようにして蟻の攻撃を躱し、そのまま蟻の胴体を斬り上げた。
 「ギィィィィィイイイイ!!」
 今度も蟻は大きな鳴き声を上げ、胴体から大量の体液を吹き出した。
 怜音は暴れる蟻を避けるようにバックステップで移動。
 目の前の蟻が動かなくなるのを見届けながら、今度は警戒を解かずに剣を構えたまま辺りを見回した。
 蟻は先ほどよりもさらに増え、怜音を取り囲むように小さな群れを作っているほどだった。
 「……」
 何か言う気力もなく、怜音の顔が引きつった。
 酸を吐こうとしているのか口を動かしている蟻、身体をしならせ突進の態勢を作っている蟻、顎をガチガチと鳴らしている蟻。
 様々な蟻がいたがすべて一様に攻撃する気満々であった。
 怜音は構えた剣を強く握った。
 思ったことは一つ。
 ――死ぬかも。
 緊張が走り、汗の滴が頬を伝い、地面に落ちる。
 ――その時だった。
 怜音と蟻の群れを囲うように、大きな魔法陣が一瞬にして展開された。
 展開された魔法陣の発光が強くなる。
 魔法陣の発光が一際強くなったと同時に、後方から声が聞こえた。
 「レオン! しゃがんで目ぇ瞑って耳塞げ」
 声が聞こえたと同時に反射的に指示通りしゃがみ、目を瞑って耳を塞いだ。
 次の瞬間、轟音と共に現れた雷が蟻の群れを襲った。
 蟻の小さな群れは断末魔を上げる暇もなく、焼かれ、消し炭となった。
 音が消えてから怜音はゆっくりと目を開けた。
 最初に目に映った光景は、消し炭になった蟻たちが崩れる様子だった。
 怜音はゆっくり手を耳から離し、ゆっくり立ち上がる。
 「そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ」
 またしても後方から声がかかった。
 怜音がそちらに振り返るとそこにいたのはカラカラと笑っているヴァーウォールであった。
 「あぁ、ヴァーウォールさん。ありがとうございました」
 「いやいや」
 ヴァーウォールは笑みを浮かべながら怜音の近くに歩いてきた。
 「いやぁ、本気で死ぬかと思いました」
 「でも、成長したじゃねぇか。アレ、お前がやったんだろう?」
 ヴァーウォールが近くにあった炭化していない三体の蟻の死体を親指で指した。
 「……なんとか運よく」
 「十分だ。初日のお前がこの辺に召喚されてたらあっさり死んでたな」
 笑えないことをあっさりと告げてからヴァーウォールはまたカラカラと笑った。
 怜音もつられて苦笑した。
 「ヴァーウォールさん!!」
 そんなやり取りをしていると遠くからヴァーウォールの方へ走ってくる軍服の様な服を身にまとった青年が走ってきていた。
 ヴァーウォールの前で立ち止まり、一度呼吸を整えてから敬礼し、口を開いた。
 「任されていた蟻の殲滅終了しました」
 「おう、そうかい。そいつぁ何より。けが人は?」
 「0です」
 「ん。じゃあ、帰るか。各自支度するように伝えてきてくれ。俺もすぐに行く」
 「はっ。わかりました」
 青年はもう一度ヴァーウォールに敬礼してから踵を返して走り去っていった。
 青年の背中を見送ってからヴァーウォールは怜音の方へ振り向いた。
 「さて、と。そういうことだ。帰るぞ」
 「わかりました」
 怜音は落ちていた自分の剣を拾い上げ腰に差した。
 「じゃあ、行くか」
 そういって歩き出したヴァーウォールの大きな背を追って怜音も歩き出した。


 あれから3週間が経過していた。
 進展は特になく、やっていたことといえば話で決まった通りヴァーウォールの仕事の手伝い(という名の鍛練)である。
 とはいっても最初の2週間は今のようにヴァーウォールの仕事についてこれるほどの実力もなかったため、来る日も来る日も朝から晩まで、一日中ヴァーウォールに体術と魔法の使い方を、カールに剣術を、それぞれ叩き込まれる生活だった。
 幸いだったのは、元の世界でもそれなりに荒っぽいことにつき合わされたり、巻き込まれたり、突っ込んで行ったりしていたので体自体は動いてくれたこと、魔法があるおかげ身体の負荷が少なく済むことと回復が容易な事、そして何よりどうやらありがたいことに日々自分の成長が感じられるほど才能に恵まれていたようであることだった。
 しかし、それ以上にヴァーウォールとカールによる鍛練は激しかった。
 なんでもアメリアによればヴァーウォールは千勝将軍と呼ばれるほどの実力者で、カールも世界に三人いる最強の剣士の一角らしく、魔界でその名を知らない者はいないということだった。
 そんな二人に教えられた怜音は喜ぶべきなのか、鬼のような鍛練に泣くべきだったのか……。
 そんな生活を2週間続けた辺りでヴァーウォールが自分達の仕事に連れて行ってくれるようになった。
 今日の仕事は巨大蟻が異常発生し、近くの村が困っているとの情報を受けて件の巨大蟻の殲滅が目的であった。
 最初はヴァーウォール達と共にいちいち指示に従って動くだけだったが、今日は一人で敵を相手にしていたのである。
 3週間で随分成長したものだ、と怜音は我ながら思った。
 しかし最初に述べたとおり、元の世界に帰る方法や自分が何をしたいのか、何をするべきなのかなどについての進展は特になかった。
 元の世界関連についてはそれほど気にしていないせいかもしれない。
とりあえず、怜音はそんな目の前にあるやれることをやる生活を続けていた。
 充実していたし、何よりこちらの生活にもだいぶ馴染めたと感じられるようになった。


 気が付けば、街をぐるりと囲む城壁が見えてきていたところであった。
 見上げるほど高い壁と青空と白い雲と輝く太陽が目に映り込んだ。
 強い日差しを遮るように掌を広げた。
 「おう、どうした?」
 怜音を後ろに乗せ、馬を操っていたヴァーウォールが怜音の方へ顔を向けた。
 二人乗りなのは怜音は未だ一人で馬に乗れないからである。
 「いや、暑いなぁ、と思って……」
 「まぁ、夏の昼間だしな。そりゃあ暑いだろうよ、っと」
 ヴァ―ウォールが返事と共に馬を止めた。
 城壁にある門に差しかかったためだ。
 馬を止めたことに反応し、辺りにいた同じようにそれぞれ馬に乗っていた軍服を着たヴァーウォールの部下達も馬を止め、やがて馬から降りた。
 ヴァーウォールが指で怜音に降りるように指示したため、怜音も大人しく馬から降りた。
 ヴァーウォールが馬から降りると、門の見張りをしていた憲兵(彼らもヴァーウォールの部下にあたる)が駆け寄ってきた。
 二三言会話を交わした後、憲兵は門の方へ帰っていった。
 おそらく門を開けるのだろう。
 ヴァーウォールは部下たちの集まっている方へ歩いて行った。
 「さてと、今日もご苦労だったなお前ら」
 指示を待っていた自分たちの部下に向けヴァーウォールが口を開いた。
 「午後からの職務は各々割り当てられているものがなければ休みになっている」
 じゃあ解散、という言葉が発せられると部下たちはいっせいに敬礼した後、散り散りになり、ある者はそのまま門の方へ、またある者はその場で雑談を始めていた。
 部下たちの様子を一通り見渡した後、ヴァ―ウォールが怜音の方へ戻ってくる。
 「お前も今日の午後は何も入れてないから自由にしていいぞ」
 怜音にヴァーウォールが話しかけた。
 「おぉ、まじすか。何しようかな」
 「とりあえず、晩飯までには帰れよ。アメリアの嬢ちゃんが心配するから」
 「言われなくても分かってますよ、子供じゃないんだから」
 「俺からすりゃあ、お前もまだ十分ガキだよ」
 ヴァーウォールは笑いながらそれだけ言うと、怜音の頭を乱暴に撫でた。
 数秒そうしてから背を向け、馬を連れて歩きだし、やがて門の奥へ消えっていった。
 「……」
 後に残された怜音は何とも言えない気持ちでヴァーウォールが消えていった方を眺めていた。
 大人にああいう態度で接される機会自体がなかったのだ。
 どういう風に反応するべきだったのか、どういう気持ちになればよかったのか……。
 「……はぁ、まぁいいや」
 やがて、面倒くさくなり、後頭部を搔いて考えるのをやめた。
 「さてと、昼飯どうするかなぁ……」
 目下の問題は昼飯の事である。
 「城に戻ってもいいけどなぁ……」
 「なーにぶつくさ独り言言ってんだ」
 ブツブツと独り言を繰り返していた怜音に男が笑いながら近づいてくる。
 「隊長……お疲れ様っす」
 彼は今日の仕事についてきた小隊の隊長である。
 言うまでもなくヴァーウォール・エッジゲート、カール・エヴァンス、アメリア・アストレアという現在の魔人の魔界におけるトップ3に、ぽっと出にもかかわらずほぼ付きっきりで世話を焼かれている状態にある怜音を快く思っていない連中は少なからずいる。
 しかし、この彼はそんな怜音に対し邪険に扱うことなく接してくれる人物である。
 「いやぁ、昼飯どうしようかなあ、と思って」
 「なんだそんなことか、俺らはこれからいつもの食堂行こうと思ってたんだが。お前も来るか?」
 隊長は後ろにいた数人の隊員を親指で指した。
 「いいんすか?」
 「かまわねぇよ、別に」
 そういって笑うと、怜音について来るように言い、歩き出した。

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