『学園祭』5

 「ッ……!?」
 魔法陣が容易く切り裂かれた男が後ろへ飛び退き、一瞬で詰められた間合いが一瞬のうちに元に戻った。
 夕夏も追撃を加える事もなく、男の魔法陣を切り裂いたFPの刃を振り払い、再びその刃を構えた。
 夕夏が追撃に出なかったのは、相手にまだ未知の部分が多いためだろう。
 
 夕夏は刃を、男は自信の腕を構えたまま牽制しあう。
 それだけの時間があれば耕輔が構えるのにも十二分だった。
 1対2の構図。
 有村夕夏は耕輔の仲間の中でも最上位のFP能力者で、宇野耕輔も数多くの修羅場をくぐり抜けてきている。
 男がいくら手練れと言えど、この二人を同時に相手するのは簡単ではないだろう。
 それでも男は不敵に笑っていた。
 
 「……何か、おかしいところでもあったかしら?」
 「別に、なんでもないが?」
 言いながら男は堪える様に笑う。
 何かある。
 夕夏は咄嗟に周囲に目を向けた。
 先程までのFPを制限していた状態ではない、最大限の探知を持って周囲のFPを探れば、男が笑った理由が嫌でも理解できた。
 「!? 魔法陣が……!!」
 巨大な魔法陣の光が校舎から見える風景を覆っていた。
 魔法陣は完成していたのだろう。
 あるいは――
 「俺が独りだとでも思っていたのか?」
 「…………」
 複数人が犯行に及んでいることは予想していた。
 それでも、有村夕夏に取れた最善策は目の前の男に辿り着くまでが精一杯だった。
 複数いる犯人の全てを夕夏と耕輔の二人で同時に追うことなど不可能だ。
 仮に、魔法陣がつい先ほどまで完全に完成されていなかったとしても、それを阻止することはできなかった。
 魔法陣の起動は始まってしまった。
 大きなFPが肌にビリビリと突き刺さるような感覚があった。
 
 それでも、夕夏は拳を握りしめ、FPの刃を構えた。
 まだ。
 まだ希望はあった。
 魔法陣の起動は始まっていても、魔法の発動がされていないからだ。
 これだけ巨大な魔法陣を操作するためには、発動用のトリガーとなる魔法陣も必要だろう。
 よく目を凝らせば夕夏と男の間合いのほぼ中央、屋上の敷地のほぼ真ん中に位置に魔法陣が張られているのが見えた。
 おそらくあれが、男が用意した魔法発動用のトリガー魔法陣だろう。
 男があの魔法陣に触れる前に倒せば、まだ勝機はある。
 
 「……お前の考えを当ててやろう」
 夕夏の目がまだ諦めていないことに気付いたのだろう、男が口を開いた。
 「大方、其処の魔法陣の存在に気付いたのだろうが――」
 男は二人の間合いの中央にある魔法陣を指さした。
 「ご名答、お前の予想通りそれが魔法発動用のトリガー魔法陣だ」
 「……何のつもり?」
 何の策もなく自分から魔法陣の正体を明かす理由などないハズだ。
 夕夏は警戒する。
 男はその夕夏の様子を見て笑う。
 「お前はこの魔法陣を発動させる前に俺を倒せば終わると思っているのだろう?」
 「……だから何?」
 「無駄だよ」
 嘲笑う様に男は夕夏に告げる。
 「トリガー用の魔法陣は便宜上俺の目の前に仕掛けているだけで、別にここである必然性は無い。俺が倒されればすぐに仲間に伝わるようになっている。仲間がすぐにその場で新たに魔法陣を描いて発動させるだけだ」
 目の前の男を倒しても、魔法は発動する。
 絶望的な状況だった。
 「俺を倒して、仲間が魔法陣を描いて発動させるよりも早くそれを阻止できるんなら別だがな」
 目の前の男の実力は決して低くない。
 それは先ほどの数瞬のやり取りでもすぐに分かった事だった。
 夕夏が追撃に出なかった理由でもある。
 そんな目の前の男を相手にした直後に、広い範囲から男の仲間を見つけ出して倒す、それも魔法陣を形成するまでのほんの僅かな時間の間に。
 不可能だ。
 構えた夕夏のFPの刃が揺れる。
 「何人殺してきたと思う? 知っているだろう? この程度の準備は当然しているんだよ」
 どんな手段を使っても、目的を果たすための準備。
 倒された状態で男の仲間が巨大な魔法陣を発動させれば、当然男は抵抗できずに巨大な爆発に巻き込まれることになる。
 それでも構わないのだろう。
 成し遂げるために。
 何故、そこまでして――
 「……何故、『協会』の能力者を狙うの?」
 ずっと疑問ではあった。
 犯人が『協会』を狙う理由。
 「何故? 復讐だよ。『協会』に大切な人を奪われた恨み」
 男の表情は変わらなかったが、身に纏うFPがドス黒く染まっていく。
 「『協会』は嘘を吐いているぞ。大きな、真実を覆い隠すための偽りだ。そのための犠牲になった人間も多い。だが、俺たちの言葉は届かない。『協会』に消されてしまうからだ。だから『協会』の能力者を殺すことにした。俺たちが無視できない存在になれば言葉も届くだろう? そのためなら、いつか『五天』だって殺して見せよう」
 「…………」
 「……っ」
 夕夏は男の言葉に反応しなかったが、耕輔はわずかに反応した。
 この学校に『五天』の1人がいることを知っているからだ。
 男の言葉から察するに、あくまで無差別に標的を選んでいた中でたまたまこの学校が選ばれただけで、その存在を認知して標的にしたようではなかったが、それでも男の最終目標の1人は琴占言海になることは確かだろう。
 この程度の問題は、彼女からすれば大した問題ではないかもしれないけれど、それでも彼女が狙われている事を放って置けるわけもない。
 耕輔が静かに拳を握る。
 「お前たちに俺たちは止められない」
 これ以上、会話の意味は無いと男はゆっくりと構えた。
 先程と同様に人差し指を中心にして魔法陣が展開される。
 解決策は見いだせない、それでも夕夏もFPの刃を構えなおす。
 引き延ばしても仕方がない。
 魔法陣の発動が遅くなれば、男の仲間たちが魔法陣を発動させる可能性は高い。
 目の前の男を倒す他には活路を見出すことはできない。
 それがわかっていても、夕夏の思考はまとまらない。
 その後の策が思い付かないからだ。
 目の前の男のドス黒く淀んだFPを前にしても、思考の統一が出来ていなかった。
 男の展開した魔法陣の放つ光が強くなっていく。
 二人の衝突が始まる、その刹那だった。

 『有村夕夏――――!!』

 夕夏の名前を叫ぶ爆音が屋上に届いた。
 
 『何やってんだか知らねーが!! 全部、ぶっ飛ばせ!! てめぇが一番得意なのはそれだろう!!』
 
 声は赤崎のモノで、体育館の方から聴こえていた。
 体育館は確か、軽音部のライブで使っていたハズだ。
 その音響を使ったのだろう。
 
 赤崎の言葉の続きを聴くことなく、夕夏が走り出した。
 続きを聴く必要はなかった。
 
 同じタイミングで走り出していた男と夕夏がトリガー用魔法陣を挟んで肉薄する。
 短い攻防。
 これで全てが決まってしまう。
 先程とは違い、男の魔法陣が夕夏の攻撃よりも素早く発動。
 それは男の渾身の攻撃――ではなかった。
 夕夏との間に堅牢な障壁が現れる。
 男が選んだのは防御。
 夕夏の渾身の攻撃を受け流す考えだった。
 男の考えを読んで尚、夕夏は振り上げたFPの刃を全力で振り下ろした。
 男がこのタイミングで障壁の魔法を選んだのは、それに自信があったからだろう。
 幾人の能力者殺害してきた中で、発動させた障壁の魔法が男を守ってきたのだろう。
 亜音速まで加速された夕夏の刃が男の障壁とぶつかる。

 男の障壁は容易く真っ二つに切り裂かれた。

 有村夕夏は戦闘において自身のFPのほぼすべてを形成するFPの刃と肉体の強化にまわす。
 夕夏の全力の込められたFPの刃は、そうやすやすと防がれない。
 
 男は障壁が壊されたことに驚愕するが、それでも身を屈め、倒れ込みながら夕夏の追撃を避けた。
 男が倒れ込んだ先にはトリガー用の魔法陣が――。
 「残念だったな!! 俺の狙いは最初からこれだ!!」
 FPを込めた拳を、男が叩きつける。
 それで巨大な魔法陣が発動するハズ――だった。
 其処にあるハズの魔法陣が消えていなければ。

 「ッ――!!」
 今度こそ男は驚愕し、外に目を向けた。
 巨大な魔法陣の光は消えてはいなかった。
 男が屋上に仕掛けたトリガー用魔法陣だけが、綺麗に消えていた。
 ふと、地面に倒れた男は目の前で膝をついている少年と目が合った。
 「トリガー用の魔法陣は、俺が消した」
 宇野耕輔はFP境界に作用できる体質で、固定化させたFPに触れさえすれば簡単にそれらを大気中のFPに溶かせる。
 完全に不意を突かれた男は、迫る夕夏に何の反応もできなかった。
 あっさりと夕夏の蹴りが男の横腹に刺さり、男の意識を刈り取って、その体を屋上の柵へ軽々と叩きつけた。

 「宇野君!!」
 しかし、これで終わりではない。
 巨大な魔法陣は消えていないからだ。
 名前を呼ばれた耕輔もすぐに立ち上がる。
 「会長!! 此処から俺を魔法陣に向かって投げて下さい」
 「え!?」
 「イチかバチかそれしか……!!」
 先程、トリガー用の魔法陣を消したように、どんなに巨大な魔法陣でも耕輔が意思を持って触れれば魔法陣として固定化しているFPを霧散させられる。
 問題はいくつもある。
 耕輔がFPに作用できる範囲はそう広くないため、耕輔が一部分を消しただけで巨大な魔法陣が無効化できるとは限らない事。
 FP能力者ではない、普通の人間と変わらない肉体の耕輔が夕夏に投げられることになれば大怪我で済めば御の字である事。
 それらの問題を加味しても、ここで取れる最善の策だった。
 「でも、宇野君が……!!」
 「構いません!! だから早――!?」

 言い合う2人が見ていた魔法陣が、2人の目の前で徐々に弱まっていくのが確認できた。
 魔法が発動する時のようなFPの膨張は感じられず、風船の空気が抜けていくように周囲を包んでいた巨大なFPの圧が徐々に弱まっていくのが感じられた。

 「――あれ?」
 自分で思っていたより間抜けな声だった。
 緊迫した状況が、一気に解決したせいか目の前の夕夏も耕輔と同じように目を丸くしていた。
 
 数秒、2人で見つめ合って、魔法が発動しなかったことを確認してから、思わず笑ってしまった。

 二人の仲間は二人だけではない。


 屋上には先程までの緊迫した空気は無く、爽やかな秋風と学校祭の賑やか声だけが届いていた。

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