元住所不定漂流女子 いずみりっか

「鋼のメンタルなんてくそくらえ」 機能不全家庭から飛び出し、住所不定の漂流女子になっ…

元住所不定漂流女子 いずみりっか

「鋼のメンタルなんてくそくらえ」 機能不全家庭から飛び出し、住所不定の漂流女子になったのは20歳の時でした。約1年間、住所も持たずふわふわと。それから22年経ちました。結婚、離婚、再婚し普通の主婦になった私が学んできたこと。 強くならなきゃいけないなんて誰が決めたの?

最近の記事

あこがれの人

先日、43歳にしてバイクの免許を取得した。 教習は山あり谷あり、加えてコロナ禍の急な休校やら自粛という名の自宅待機、旦那の単身赴任などに振り回され難航を極めたものの、優しい教官たちに支えられ何とか免許取得まで来ることができた。 「なんでその年でバイク?」とよく聞かれるけれど、それは 「あの人みたいになってみたい」というあこがれの気持ち。 長男の幼稚園で出会ったあの人は、旦那の同級生。ロングヘアにフルフェイスのヘルメット。後ろに娘ちゃんを乗せて幼稚園まで連れてくる。

    • 大冒険は青空とともに

      今年の夏も暑かった。 絵の具で塗ったような青と白のコントラストがまぶしい。 夏休み中の子どもたちは朝から「アイスが食べたい、ジュースはどこ?」と騒々しい。 「ご飯食べてからにしてー」「涼んでからじゃないと食欲わかないよ」 「先に宿題やったらどうなの!?」「暑くて無理ー冷たいのなんかないの?」 私のイライラをピンポイントでついてくるやり取りにため息をつきながらふと窓の外を見る。 「この贅沢者め!!」 こっそり、誰にも聞こえないように吐き捨てる。 なぜこっそりかっ

      • +15

        とある東北の風景

        • 引っ越し先は「認知症」の世界

          「ローマの都から追放されても ただ都の外で暮らすだけのことではないか」 これは、ヘレンケラーの言葉。 慣れ親しんだ生活から離れることになってしまっても それはただ「場所」が変わっただけのことで 生きていくという事実は何も変わらない。ということだと 私は理解しているが 最近になって、この言葉の意味を深く深くかみしめるようになった。 母が「認知症の世界」に引っ越していった。 その話を今回はしたいと思う。 母が倒れ入院したという連絡がきたのは 昨年の11月の終

          旦那が倒れた時のはなし。その1

          突然の連絡バレンタインデー。 ちょうど旦那が出張中だったので、チョコはお父さんが帰ってきてからねなんて話していたときに めずらしく家電が鳴った。 相手は、今一緒にいるはずの取引先の方だった。 「旦那さんが倒れまして」 「今心肺停止ということでして。今から来られますか?」 ・ ・ ・ 本当に気が動転した時には、頭に雷なんて落ちない。 思考がまとまらない。頭の中は真っ白だった。 旦那の出張先までは、この時期だと車で高速に乗っても4時間近くはかかるだろうか。入

          旦那が倒れた時のはなし。その1

          「元いじめられっ子」の息子が友達をいじめた話

          長男が小学5年生の時。 友達のA君のママからLINEがきた。 「うちの○○が、長男君にからかわれるのが辛いって泣いてるの。学校に行きたくないって」 「長男君の他にB君やC君もだって言うんだ」 「ただ、うちの子の話だけではわからないから、長男君から話を聞いてもらえないかな?他のところにも聞いてくれるようにお願いしてるとこ」 ☆☆☆☆☆ A君と息子は、1年生の頃からサッカーを通して仲良くなり 2年生から同じチームに属している。 練習の様子を見る限りは仲が良さそうで

          「元いじめられっ子」の息子が友達をいじめた話

          スナイパーが見える人から学んだ「人間関係に大切なこと」

          これは、初めて精神科に入院した時に学んだことで いまでも大切にしていることのお話。 Aさんという人から学んだ、人間関係で大切なこと。 ☆☆☆☆☆ 精神科の閉鎖病棟。 良いイメージのある人は少ないと思う。 病棟の出入り口が常時施錠され、面会も許可制。 病状が落ち着いていないと面会の許可も下りない。 入院の対象とされるのは、原則として 『精神保健及び精神障害者福祉に関する法律』に基づく 措置入院や医療保護入院による強制入院による人、とされているんだけど 元々

          スナイパーが見える人から学んだ「人間関係に大切なこと」

          虐待の連鎖から抜けられた訳

          「虐待の連鎖」って聞いたことある方も多いと思います。 被虐待経験がある親が子どもを虐待してしまうというもの。 私も、かつて「連鎖」に悩んだ一人でしたが、いまは抜け出すことができました。 なぜ抜け出すことができたのか、それを記録として書いていこうと思います。 始まりそれは、まだまだ長男が赤ちゃんだったころでした。 当時、知り合いも親戚も友達も誰もいない土地で 夫婦二人きりで子育てをしていました。 夫婦で、といっても 主人は激務。出張で何日も帰ってこず、ワンオペで

          虐待の連鎖から抜けられた訳

          あえて逃げるなと言おう。

          20歳の頃に失踪してみて思ったこと。 最近は「辛かったら逃げよう」と色々な所で目にする。 私はこれにいつも違和感を覚えている。 戦わずに逃げるとどうなるか みんな知っていて、こういうことを言っているのかと。 ☆☆☆☆☆ 失踪後、少しの間本当にホームレスのような生活をした時期があった。 車の中で車中生活。お風呂はラブホテルの休憩を利用したが せいぜい2日に1回。 保証人がおらず家を借りることができないし 当時は漫画喫茶もなくウィークリーマンションくらいしか選

          あえて逃げるなと言おう。

          覚醒か眩惑か

          「外」の世界や、人とのかかわりを知った私。 目が覚めたのか、それとも惑わされているのか。 当時は、自分では 「覚醒した」と思っていたが 今考えると 「正常な判断ができず踊っていただけ」 のように思う。 その時の私の話。 妬みと憎しみ表ではニコニコしつつ 裏では妬みの感情がふつふつと湧き上がる毎日だった。 自分は、他の子よりも劣っている。 着ているものも 持ち物も 髪型も、メイクも。 どうして、みんなあんなにキラキラしているのに 私はこんななの。

          私の中の「私」

          今、私は専業主婦をしている。 一つ年下の夫。高1、小5、幼稚園年少の三兄弟と猫に囲まれて にぎやかに、そして穏やかに暮らしている。 そんな、「普通の主婦」の私には 住所不定で漂流していた時期があった。 夫も、息子たちも知らない私がいた。 それはもう、22年も前の話。 「今の私」が出来上がる前の「私」の話。 機能不全家庭の中で私の実家は、いわゆる「機能不全家庭」だった。 ヒステリックでアルコール中毒の母と ギャンブルにのめり込み不在がちの父。 母による暴力