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楽しい「もしも」の力

「もしも世界のみんなが一斉に自分の部屋からラジオでも流したらどんなに平和だろうか」なんてことを小学生のときにおもった。一瞬だけでもそんな非日常を見てみたいと願った。「もしも僕が総理大臣になったら」とRADWIMPSは歌い、「もしも僕に子どもができたら」と関取花は歌う。

「人が想像できることは、必ず人が実現できる」というCMをまたも小学生のときに見た。ようするに「もしも」と考えられることは、だいたいできるらしいのだ。「いや、そんなことないでしょ」とおもっていたが、どうやら意外とそうでもない、CMが言っていたことはわりと合ってるのかもとおもわされることは多い。まがるデバイスは生まれ、航空代は安くなった。

「もしも」は必ずしも楽しいことばかりではない。「もしも地球が明日滅亡したら」「もしも彼女が浮気したら」「もしも海外にいって病気にかかったら」。「かもしれない運転」が運転免許センターで声高に言われるように、生きていく上ではいろいろなリスクを想定しておく必要のあることも多い。そして困ったことに、起きてほしくない「もしも」ばかりがどんどん生まれてきてしまう。不安や恐怖はどんどん大きくなる。

僕はどちらかというと楽観的すぎるので、起きてほしくない「もしも」を考えたほうがいいところはあるのだけど、それでも楽しい「もしも」がからっぽになってしまうことがある。楽しい「もしも」の力はすごいもので、それがあると、ずっと頭が回りつづける。「好きこそものの上手なれ」というのは、きっと好きだからこそとめどなく考え続けられる、そして気づいたら上手になっている、ような幸せのサイクルが働いているのだ。どうか、「もしも」よとまらないで。

(最後まで読んでいただけただけで十分です…!ありがとうございます!)