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アンドレイ・タルコフスキーの世界と夢見 ー 夢が現実を侵食していく

アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』を観ながら朝を迎えた。ブラインドの隙間から見える雲が光っていたので窓を開けると、たくさんのツバメが飛び回っていた。自分と世界が溶け合っていくのを感じながら、朝の空気を味わっていたら、突然パラパラと音を立てて天気雨が降りはじめた。

タルコフスキーの映像は、わたしが内側で見ている世界によく似ている。それは、毎日のように夢で見ている世界であり、白昼夢の中で感じている世界だ。そして、彼の作品の中の自然の気配は、わたしが暮らしているチェコの自然のそれに似ている。

タルコフスキーの映画についてはよく「途中で眠ってしまった」と書かれている。しかし、わたしは『鏡』も『ストーカー』も最後まで見入ったままだった。一切ないといえるほど説明が省かれた詩的な映像の中に、光も闇もすべてが含まれている。その静寂にじっと目と耳を澄ませていると、わたしと世界を隔てる境界線が消滅していく。

『ストーカー』の中には「ゾーンは人間の精神を反映している」と語られるシーンがあるが、ならば、この世界はまるごとがゾーンだ。わたしを取り囲む世界のすべては、わたしの精神を映し出している。「外」に「ある」ものを「見ている」と思いこんでいるから、気づくことができないだけだ。

新型コロナウイルスによって齎された変化のおかげで、夢と現実の(そして自分と世界の)境目がますます柔らかになり、夢が現実に侵入してくるようにすら感じられる中で、こうしてタルコフスキーの映画を観ているのも、まさに共振なのだろう。引き続き彼の作品を順に観ていく。そうして、夢がますます現実を侵食していく実感を愉しんでいく。

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