中高生時代の読書

先日の日記で1万冊以上通り過ぎたかもしれないと書いたがこれはかなりの「体感」である。僕は小学生ぐらいの頃にはかなり本を読んでいたが、人生で一番読んでいたのは間違いなく中高時代で、この時は授業中&授業後の塾の時間すべてを使って本を読んでいたので、一日3〜5冊読んでいた。

学校の授業を何一つ聞いておらず、たまたま本で学習した部分しかテストで点数がとれなかったので、成績はひどいものだった。塾もほぼ行ったふりをして行かなかったり、行ってもまったく話を聞かずに本を読んでいたので完全に金の無駄だったのだが、「僕は塾に行ってないし、行っても何も聞いてないから金の無駄ですよ。塾はやめさせてくれ」といっても「お前が勉強をしないのが悪い」という話にしかならず、議論はまったく平行線であった。

平行線になると子供のほうが立場が弱いので僕は仕方がなく塾に行ったふりをして行かなかったり本を読む作戦に走らざるを得なかった。世の親御さんはこうした子の主張(塾に行きたくないし、いっても100%勉強しない)と親の主張(塾にいって、勉強をしろ)のコンフリクトに遭遇すると思うが、大抵の場合その主張を無理やり押し通してもなんとかして逃れようとするだけである。言うことを聞かせたいのであれば、それなりの手管が必要だろう。

しかしあの頃はあの頃で、個人的には実りの多い時期だったので、コンフリクトも悪くない。塾に行ったふりをしないといけないので夜の22時ぐらいまで家には帰れないから、その間ずっと暇を潰さねばならぬ。付き合ってくれる友達もいなけりゃ、金もない。そうすると、本屋に行くしかない。

あの時期僕は学校が終わったら二子玉川の巨大な本屋に入り浸っていて、そこから5時間以上本を読んでいた。数箇所だけ座れるスペースがあり、そこに新刊を持ち込んで端から端まで読んでいたのだ。名前も忘れたでかいビルに入っていた駅前の本屋はまだ健在だろうか。高校生の時は刊行されているライトノベルはほぼ全部読んでいたのではないかというぐらいだった。麻雀の教習本も読んだし、わけも分からずビジネス書も大量に読んだ。

西尾維新や京極夏彦、奈須きのこといった講談社ミステリー組を発見したのもこの本屋で立ち読みしていた時だった。夢中になって西尾から京極まで読み漁ったものだ。当時、西尾維新の『クビキリサイクル』と出会った衝撃は大きかった。めちゃくちゃおもしろく、しかもシリーズがたくさんすでに出ていたので、これでしばらくの間退屈せずにすみそうだ! と興奮した。

こっちだってそこにいたくていりびたっているわけではない。やむにやまれずいたのである。自分の時間を吹き飛ばしてくれるおもしろい本を探すのに必死だった。こちらとしては長けりゃ長いほどありがたいのだ。森博嗣をはじめて読んだのがいつだったのか思い出せないのだが、この時期であってもおかしくはない。長大なミステリーを片っ端から読んだ。

明らかに本屋からしてみれば連日閉店の22:00まで居座る学生は迷惑だったはずだが(流石に申し訳ないと思い、というより僕としてはそこしか居場所がなくて潰れられたら困ると思ったので、わずかに渡されていた500円ほどの夕ご飯代を100円のハンバーガー一個で耐えて、余りで本をできるだけ買って帰ってはいた)、あそこまでのめり込んで読んだ時期はない。何しろ、そこにはネットもなにもないし、読む以外になにもできないのだ。

あれほどのめり込んでわけのわからない物量を読まなかったら今の僕はなかったかもしれないな。帰りたくても家に帰れず、100円ハンバーガーで飢えをしのぎ、腹を空かせるみじめな日々でもあり、同時にすばらしい日々でもあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?