個々人の未来の世界観

03/01 昼頃『世界を変えた150の科学の本』でHONZの記事を書いて夕方からNPOの方の打ち合わせへ。いい方向に行きそうで何より。NPO関連の仕事のお金が一気にはいってきたのでOculus Questを買う。ついでにLinkも。これでVR系のコンテンツを体験するんじゃー。できれば自分でなにかVRコンテンツも作ってみたいけどどうかなあ……ちとさすがに時間が……。

しかしOculus手に入れたら何しようかなあ。BeatSaberとか一通りそのへんのVRゲームを遊んで、Netflixとかを見るぐらいしかいまのところやりたいことがないんだが……VRchatとかっていきなり入っておもしろいものなんだろうか。別にあれはVR機器がなくても入ることはできるので、昔入って遊んでいたりしていたのだけど何がなんだかよくわからなかったのだ。

夜は森博嗣『キャサリンはどのように子供を産んだのか? 』を読む。相変わらずおもしろい。僕は小川一水さんの人類は宇宙に広がって、まだみぬ世界を探検していくんだ、という世界観・宇宙観も好きだけど、個人的にはそうした未来が人類に訪れるとは思えない。宇宙にいって虚無の空間を無意味にエネルギーを浪費して移動しなくても、別にバーチャルで好きな世界を作ってひきこもればいい。人口もこの先減っていって、増えることはもうないというのが僕の考える未来の方向性であり、純粋に未来の世界観でいうと、この森博嗣さんのWシリーズ的な方向の方がよほどしっくりくる。

SFは単純なおもしろさがある他に、こうした個人の「未来の世界観」とマッチするか、マッチしないか、という側面も楽しむ上では大きいのかもしれないな。だからといって僕が天冥の標が楽しめていないかといえばそんなことはまったくないわけだけれども。しかし仮に仮想世界に引きこもるにしても、その時人類は何をしてるんですか? という問題がよくわからない。

映像系のサイバーパンクだと電子世界のビーチできゃっきゃしてたりするけど、うーん。ほんとにそんなことするかね。その点に関してイーガンほど考えている人間もいないとおもうが、あれはあれで「わかるけどわからん」みたいなところがある。Wシリーズの中で書かれている世界観・イメージというのは、だんだんと我々の住んでいるこの世界が虚構へと置き換わっていくイメージで、現実に起こり得るのは、こちらに近いだろう。

つまり、対面でのMTGがリモートで行われるようにして、次第にVR空間でのミーティングになり、みたいなかたちで、ちょっとずつちょっとずつ軸足が仮想の方へと移動していくイメージである。そうなったときに、仮想世界に引きこもるという表現もおかしくて、現実が仮想化する。ほとんど、今の生活がそのまま(ただし情報のやりとりはよりダイレクトに)仮想へと置き換わっていく、というのが現実なのかもしれないね。

そのあとに何が起こるのかがイーガン『ディアスポラ』の焦点なわけだけど、結局確固たるものは数学だ、という非常に抽象的な方向へ向かうのだろうか。理屈としてはわかるが、リアルに立脚している生身の人間としては想像しづらいものがある。

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