「魂を狙われているので…」

一度はアンインストールしたKindleを再インストールしました。最初「やっぱ本は紙に限るよなー!」と思ってたのが、読みたい本を読みたい時に即手にできる、という圧倒的アドバンテージに代わりました。

それで永田カビさんの「一人交換日記」の1と2、「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を立て続けに買いました。(本当は紙書籍で「現実逃避してたらボロボロになった話」を買ったのが発端です)
簡単に共感とか「わかる」とか言ってはいけないのかもしれないけど、決して暴力とか振るわれてないはずなのに親に対して膿として溜まってしまった愛憎とか、酒に逃げざるを得ない精神状態とか「これは…遠い世界の話ではないな……」と思わされて一気に買ってしまいました。というか「以前お書きしましたが」と、前作を読んでいる前提の話がでてくるので気になって買ってしまった。

それをきっかけに吾妻ひでおさんの「失踪日記」「アル中病棟」、中島らもさんの「今夜、すべてのバーで」まんしゅうきつこさんの「アル中ワンダーランド」も買って読んだ。(ついでに「一日外出録ハンチョウ」も買った。)

ハンチョウ大槻は置いておいて、いずれにせよ「アル中文学」みたいな個人の世界が茫漠と広がっていた。
もちろん酒のエネルギーで書けている訳ではなく元々個人に才能があって、そこからアルコール臭がツンと漂ってくるような、不道徳な「文学」であった。
※ちなみにこの人たちの作品にたまたま酒が介在していただけで、酒があれば書けるというものではないとは重ねて言いたい。

永田カビさんはアルコール依存症を否定しているけど、「飲んだ方がはかどる」という報酬系統ができあがっている時点でやっぱり依存症であると思う。
ギャンブルにせよ窃盗癖にせよドラッグにせよ「最初は上手くいく」というのが依存症のきっかけになることは多い。(しかし膵炎になっても飲んで、というのは単純にすごいし「膵炎、怖~!!!」というテキストで「現実逃避してたら~」に勝る本はないんじゃないだろうか)

「飲んだ方がメリットがある」っていうのはものすごく甘い蜜で、それは毒なのだけれど適度に楽しめればそれが最良だと思う。

さびしいと、蜜はますます甘くなる。

寂しさ、空虚、鬱、憂さ晴らし、いずれの対処法も「現実逃避」というカッコで括れてしまう。
惨めな自分を受容できない苦しさから逃れたくて、人は現実を遠ざける。
腫瘍のような現実は一旦なりを潜めてくれるけど酔いが覚めた時にまざまざと正体を見せつけてくる。自分は自分と離れたいのに……。

私は文筆業ではないので、どこか他人事になってしまうのだけれど、書けない、描けない、という理由で酒にのめり込む人は多いと思う。クリエイターなら生活に直結するのでそのプレッシャーは尚更だと思う。

私は「私が許せる私」に会いに酒を飲んでいた。酒を飲んだ時の私は言いたいことが言えて、ジョークのひとつでも言って場を盛り上げられる人間だった。男性が恐くなかった。ピエロになることを厭わなかった。年長男性からのセクハラもひらりとかわせた。創作面ではアイデアを出すことにためらいがなかった。推進力もあった。
一切のプライドが麻痺していたとも言える。前頭葉の理性を振りきって、私は「自由」だった。

「自由」の代償は「鬱と不安」と「自己嫌悪」だった。私はまた私が好きだった私に会いに行く。
「あなたは大丈夫よ」と受容してくれる存在に会いに行く、その手段が酒だった。
元々強くなかった体にガタが来て、飲んだ日は悪寒、吐き気、頭痛、下痢などが出始めた。それでも飲むことが止められなかった。
文献を読み漁って「私はアル中かもしれないけど軽い方だからまだ大丈夫」と言い聞かせて飲んだ。
(「今夜、すべてのバーで」にはアル中はじめ依存症に対して独学で知識を持つ主人公が出てくるけど、何かあんな感じだった。小賢しいな、と思う)

私はまだ精神依存の段階ではあるけど、身体依存(連続飲酒を絶つと幻覚や手の震えなど離脱症状が出てくる状態)に陥るまでそんなに猶予はないな、と思っている。
というか精神依存の段階で布団の中でアルコール欲しさに身悶え、うなってるくらいなので身体依存に進行したらどうなってしまうんだろうか……と、考えるとゾゾーッとする日々をおくっております。

飲まないで済むならそれに越したことはない、と思ってるけど、どうやって飲まずにやっていけるのかの答えはまだ、出てません。

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