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太川るい
2024年12月14日 15:50
その日も時任誠一はサムライ戦士シンセンジャーのレッドに叩きのめされる役割を担っていた。 着ぐるみの視界は狭い。上下が限られた中、目の前にいる相手しか見えない。時たま観客に向かってレッドを倒す宣戦布告や、自分が所属している悪の組織の恐ろしさを語るシーンがある。そんなとき、時任は自分が倒されることを、二度と立ち上がることの出来ないように打ちひしがれる様を心待ちにしている、憎悪に満ちた目を目撃する
2024年11月7日 23:37
ぼーん、と時計が鳴る。 静かだった夜の空気がその時だけ振動して、残響めいたものがあたりを支配する。しばらくして、針の音だけになった。完太はこの時計の音がどうにも苦手だった。 この時計は、ある日父親が家に持ち込んできたものだ。舶来物の時計だと言って、父は上機嫌だった。全体が茶色くて、文字盤の下には大きな振り子がついている。この時計は階段を降りて正面にある壁に掛けられることなった。完太は初め
2024年10月15日 10:03
一面に並ぶ石の塔。あるものは苔むし、またあるものは建てられたばかりでまだ新しい。ここに立つ建造物たちは、死の空気を放っている。不思議とそれは人を驚かさない。ただ、静謐で、人が賑わっている場所とは明らかに異なる感覚が、来る者を厳粛な気持ちにさせる。試しに雑踏の中からここへと足を踏み入れてみるとよい。必ず、あなたはそれまで急いでいた歩調を緩める。何かがそうさせるのだ。それは規則でもない。強制でもない
2024年8月8日 01:06
ディオゲネスはいつものように樽の中で眠りこけていた。日はすでに高くのぼり、あたりは活気に満ちている。考えているとき、眠るとき、この二つの時間のほかこの浮浪の哲人がどう生活しているかは誰も知らなかった。誰も気に留めなかったのである。ディオゲネスはのんきに日々を過ごしていた。時には贋金造りに心血を注ぎ、牢の中に放り込まれることもあったが、この日の彼は気持ち良さそうに眠るばかりであった。 すると、
2024年8月2日 02:01
うだるような夏の、真夜中のことである。森の中ではときおり鳥のはばたく音がどこからともなく響き、空気は熱されてゆらめいている。昼間動いていた獣たちはその身を寝床に横たえ、明日の力をたくわえようとしていた。あたりの空気はじっとりとした水分を含んでおり、動かなくとも重苦しい熱帯の暑さを感じさせる。辺りは静かだったが、暑さ自身が熱を持って夜を振動させていた。 そんな森の中を一匹の獣が横切っていった。
2024年6月23日 23:47
その蝸牛は、自分の生まれた時のことをよく覚えていない。いつともなしに、木の上で暮らしていた。背中の殻はいつ背負ったものであろうか。それもまたこの蝸牛にとっては茫漠たる記憶の彼方の出来事であった。自己を自己とする自覚。それが芽生えた時には殻は蝸牛の分かちがたい一部としてその地位を確立していた。ある時はその中で眠り、ある時は背に乗せながら歩く。殻は薄い褐色に縦縞を浮かべ、軽快な旅の道づれとしてその役