油沢、地図に載らない地名 | 15分で考える音楽以前のこと(15)
札幌市の、坂の多い地域で生まれ育った。
これは仲間内では「かねひめの坂」と呼ばれる超急勾配。ミニバスチームのキャプテン・カズがキックボードで駆け下りて転倒し、右ひじを剥離骨折した。自宅から札幌中心部へは100m以上の高低差があり、自転車なら行きは25分程度で着くが、帰りは40分以上かかる。全身汗だく、太ももはパンッッッッッッパンだ。
ここらは藻岩山が本当によく見える。朝、この景色を見ながら坂を下るのが当たり前だった自分にとって、東京の平坦さは本当に息苦しかった。十勝の平野からの日高山脈でも、北留萌からの利尻富士でもなく、自分の山は札幌南部からの藻岩山だった。
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このエリアは昔、「油沢」と呼ばれていた。わずかに石油がわいていて、何度か試掘を行ったようだが、大した量が出なかったので断念したらしい。それでも、地元の人は潤滑油として使っていたとか。野良油田、そんな使い方があったとは。君なら野良油田、どうつかう?蒸留はしてみたいよね。
第二次世界大戦のさなかに、米軍のスパイが油沢の油田を燃やしにきたという話を聞いたことがあるが、インターネットにはそんな情報はあがっていない。子供心に、こんな僻地のわずかな油も燃やしに来るなんて、アメリカに勝てる見込みなんか本当になかったんだなと震え上がったものだった。
いまでもタクシーの運転手に実家の住所を伝えると「ああ、油沢のあたりね」と返される。ここらも世代交代が進んで、新しい家が建つようになった。地図に載らない地名は、いつか消えてしまうだろう。土地の記憶は資料としてアーカイブされ、そこに住む人たちからは離れていく。
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2018年の胆振東部地震で、携帯電話が繋がりづらくなったとき。五輪通にかかるこの橋は電話もメールもできる、きっちり電波がある場所であることがわかり、自然発生的に人が集まった。近くに住むおばあさんと、遠く南の町を眺めては「あっちには電気が通ったようだ、こっちはいつになるかね」と話したことを覚えている。ずいぶん近くに住んでいるのに、彼女がどこの誰だか知らない。
どうやら米軍機の機銃掃射で、油沢油田の木製やぐらが壊されたらしい。
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