ミルクキャンディ
飴玉の包み紙を力いっぱいほどいたら、勢いあまってころころと床を転がった。
取りあげようとしたら爪先に当たって、ますます部屋の隅へと弾き飛ばされてしまう。飴玉の向かった先は、戸棚と床の隙間だった。サッカーの得点を決めるみたいに、するすると入っていってしまう。
あーあ。ミルク味の好きなやつだったのに。
きっともうほこりまみれになってしまって、とてもじゃないけど食べられない。でもそのままにしておくわけにもいかなくて、ぼくはできる限り床に横顔を近づける体勢になってそのわずかな隙間をのぞき込んだ。
薄暗がりのほとんど壁際に、ころんと丸いシルエットが見えた。体をねじってどうにか手を伸ばしてみるけれど、空を掻くばかりでとうてい届きそうにない。
一度床から顔を離し、それでもあきらめきれずにもう一度のぞき込むと、ふと戸棚の下に飴玉以外のものがあることに気がついた。
クリスマスツリーに飾るオーナメントのようだった。片付けるときに落っこちてしまったのかもしれない。天使か、それとも兵隊のだろうか。暗くてよく見えないけれど、それは人の形をしていた。
手を伸ばそうとすると、オーナメントは風もないのにことっと動いた。思わず息を止める。しばらく様子を見ていると、それはゆっくり起き上がり、飴玉の方に向かって歩きはじめた。
角度が変わったことで、それがホルンを持った楽隊のオーナメントだということがわかった。彼はホルンを置くと両手いっぱいに飴玉を抱きかかえ、床に座って食べはじめた。
ぼくは、ドキドキしながらそれを見ていた。なんだか見てはいけないものな気がした。世界の秘密にふれているような。
ホルン吹きは、とても幸せそうだった。ぼくには手のひらに乗るほどの小さな飴玉も、彼にとってはホルンよりも大きなごちそうなのだろう。
気づかれないようにするあまり、ぼくはいつの間にか息を止めていた。
そのことに思い当たったときにはすでに苦しくて、我慢しようと焦るあまり、つい戸棚に足をぶつけてしまった。
彼ははっと顔を上げ、ぼくと目が合うととっさに動かないふりをした。
そうするしかなかったのだろう、手放したミルクキャンディがこちらに向かってころころと転がってくる。
ぼくはそれを手に取ると、彼にしか聞こえないくらい小さな声で
「このキャンディはきみのだよ」
と言った。
そして、彼のいるところまでそっと転がし返すと
「大丈夫だよ、ほら、誰も見ていないから」
そう言って両手で目を覆った。
心の中で三十かぞえてから手を離すと、戸棚の下にはもうホルン吹きのオーナメントもホルンも、飴玉もなかった。まるではじめから何もなかったみたいだ。
ぼくは寂しい気持ちと、それよりも少し大きいうれしい気持ちを抱えて、戸棚からようやく顔を上げた。
その夜ぼくは夢を見た。夢の中でぼくは、王様の座るような赤いビロードの椅子に座っていて、目の前にはずらっとオーナメントの行列ができていた。
彼らはひとりひとつのミルクキャンディを持っていて、次々とぼくの前にそれを置いて行く。あっという間にキャンディのピラミッドができあがる。それはたちまち溶け合ってひとつになり、バランスボールくらいの大きさの飴玉になった。
両手いっぱいの飴玉は、それはそれは圧巻だった。プラチナみたいにつやつやとひかり輝いて、ミルクの甘い香りがふんわり立ち込める。
ぼくはたまらずそれを抱きかかえ、かじりつこうとした。
そのとき、シャボン玉が弾けるみたいに夢がぷつんと途切れ、ぼくは王様のぼくからパジャマを着たぼくに戻るのだった。
なんだ、夢か。空を抱きかかえていた手をほどくと、枕元に何かかたいものが触れた。
見ればそれは、赤と白の縞模様のステッキキャンディだった。本物じゃない、これもツリーオーナメントのひとつだ。
昨日の夜、それを出した覚えはなかった。
それどころか、クリスマスのあとにしっかり箱にしまって、今はクローゼットの奥にあるはずだった。
ツリーにかけるための紐を指でつまんで、レースカーテン越しの朝の光にかざす。ステッキキャンディは反射して嬉しそうにきらきら輝き、ここまで運んできた誰かのことを思うと、ぼくもつい笑顔がこぼれてしまうのだった。
***
楽隊のオーナメントは列をなすぼくにチェルシーを献上せよ
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