主観的な時間:気持ちに正面から向き合うこと
Hundreds Colorsです。
2月9日はビジネスモデルオリンピア2020の日本橋の会場、そして2月10日は私がリスペクトする組織開発に関わる会社で「誰も孤独にしない世界観」について学び直しをしていた。
今回のキーワードは2日連続触れた「環世界」。
この言葉、初めて聞いたわけではない。
ただ、2日連続自分の耳に入ってきたこの必然のようなことの「意味」を考えて見ました。
ビジネスモデルオリンピア2020での気づき
ビジネスモデルオリンピア2020で講演された能楽師の安田登氏のお話の中にあった「ぼんやりとした時間」のことが深く印象に残っている。
私のメモによると、「ぼんやりとした時間」とは、人間は「何も変化していないように見えるが、小さい変化をしている時間」のことを認識できないようだということだ。
ほとんどの人は、なかなか求める変化を感じにくい時に対しては「やっても無駄なのではないか?」と感じるものだ。至極当たり前なのだが、だからこそ、人はその行動をやめてしまうことになる。
安田氏の話を聞いている時、私の頭に浮かんでいたのは「数値などで計測できる客観的な時間の流れも大切なときはあるものの、最近は自らが意味付けする主観的な時間の流れの方が価値が高くなっているのではないか?」ということである。
一言で言うと、「主観的な時間の流れ」である。
もし、主観的な時間が計測しにくい時間の流れなのだとしたら、それは本人にとって「ぼんやりした時間」として感じられるのだと思った。
環世界
ここでは詳しく述べないが、物と人間の間に環世界があるのだとしたら、人間にも一人一人の主観的な時間があるよね?と思ったのである。
https://www.kokuchpro.com/event/7b13686a29ae9c93d42ee3717fb2480a/
社会課題の解決のために活動している大学生からの気づき
2月10日の夕方、認定NPO法人PIECESの小澤いぶきさんの話に「環世界」ということが出てきた!
私の頭の中に浮かんだのは「なんだんだ?同じ言葉を2日連続聞くことにはなんの意味があるのだ?」であった。
その意味付けを考えていたら、その日のプレゼンターであった大学生が自分の恩師に言われた言葉をポロリ。
「社会課題の感じ方:論理を考える左脳が止まったとき、直感の右脳で感じてみると全てが繋がって見える」
ほー、そうかー!。。。そうだ、その通りだ!
正しいかどうかは別として、私の中でのconnecting dotsは「自分から見た苦しみは他人から見える苦しみとは等しくない」ということだ!
文字にするとなんの変哲もないことである。
しかしながら、この感覚を得ようとして実行するのは容易でもない気がする。
ところが、そんな正面から社会課題に向き合う大学生の一人が漏らした懸念が人財育成を本業とする私に刺さった。
ドキッとしたのである。
なぜならば、私も学生の時は全く同じことを考えていたが、仕事をするようになって以下の懸念が現実に掻き消されそうになったことがあるからである。
「私(現在、大学生)は今こうして自分が感じる問題意識に向き合って活動しているけど、ビジネスの世界に入ったら、その波に揉まれてしまって、自分が問い続けたい社会問題に関する意識から離れてしまうのかな?」
今やZ世代と言われる方の新入社員育成の土台に関わり、理念経営を正面からそのプロフェッショナルとして実行する時に、懸念することがある。
「いくら、熱く熱く人の役に立ちたいと切望する20代前半の皆さんがいても、結果としてその切望を吹き飛ばしているのは私たちの世代なのではないか?」
このようなことは、新入社員育成としてのon-boarding programが本社からグループ会社への育成プログラムに移管する時に「じっとり」と私の頭にへばりつく懸念である。
【考えたこと】論理思考から解放されるために昼休みにお寺で座禅する
普段、正直にいうと私は左脳500%で考える癖がある。
おそらく、「しっかりと高い水準でパフォーマンスを出すための恐れ」があるからなのだと思っている。「正解」と言われるところに辿り着きたい願望が強めなのだと思う。
だから、一緒に仕事をして、組織課題を解決して前進しようとする時も、瞬時にロジックツリーが頭に浮かんで、得たい結果からバックキャスティングで考える。誰かに「やってほしい」と言われることをするよりも、文字通り戦略的に最短経路を辿りたくなるような癖がある。
それが、価値があると思い込んでいた。大学院に通う決断をした3年前までは。そして、実際に大学院に入るとその正解探しに価値がないことに向き合うことになった。
ところが、そんな時、私がリスペクトする組織開発の会社の取締役とのある日の対話の中で気がついたことがある。
それは、「人間が感情を持っているように、組織も感情を持っている」と言うことである。
そこで、考えた。
「ロジックで考えることを意識的に封印しよう」、と。
「ロジックで文字通り論理武装すること」よりも大切なことこそが必要とされるのではないかということが、現場に行って生々しい対話をして感じたことである。
一橋大学名誉教授 野中郁次郎先生のSECIモデルにあるsocialization(共同化)にあるように、(僭越ではあるが)本当に自分の五感を使って何も考えずどっぷりとその場を一緒に感じることにした。
だからこそ、今の私はロジック500%をやめて、「ぼんやりした時間」を大切にしようとしているのだろう。
だから、そのロジック思考癖から離れようと、お昼休みはお味噌汁だけをすすーっと飲んで、近くのお寺に20分の座禅をしに行くようになったのだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?