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新しい眼鏡と私

長いもので、眼鏡との付き合いも今年で17年目になりました。

お世話になっている下北沢の眼科には、私の17年分のカルテが保管されていることになります。

これだけ小さいときから眼鏡を掛けていると、眼鏡にちなんだあだ名は一つや二つは持っているもので、メガネザルとか赤メガネとかトンボとか。ほとんど蔑称ですね、森大〇朗許さねえ。

ともあれ、眼鏡というものは、私のアイデンティティーの一部、大部分とは言わずとも少なからざる領域を占めるものとして、私のなかにあり続けてきたわけです。

「眼鏡を掛けるわたし」が私であるとき、眼鏡に身体感覚が宿っているといっても過言ではないかもしれません。私は眼鏡のレンズを通してしか他者と関わることができません。他者も「眼鏡を掛けるわたし」しか私として理解しません。眼鏡を外すと目が「3」になってしまうのび太の様に、私が眼鏡を外した姿はどうやら私ではないようです。

眼鏡が身体の延長として捉えられるようになれば、眼鏡を替えるというのはチークやネックレスを変えるというよりむしろ、整形によって身体を新しいものにすることに近い。耐用年数がせいぜい数年間なのでプチ整形くらいの気軽さはありますが、それでも常に掛け続けるものとしてある以上、それは他者との関わりのなかに存在する自分というものに大きく関わってきます。

私にとって眼鏡を選ぶという儀式は、自分のアイデンティティー——自己と他者のあいだにあるもの——を探す旅になります。恥ずかしくも「ファッション」の領域には疎いので控えめな言及にはなりますが、ただ似合うもの、身に着けたいものを選ぶことを超えた何かがそこにある気がするのです。

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私の目は主に遠視と、それに起因する調節性内斜視をもっています。

屈折異常とは

遠視というのは、目の焦点が通常より奥にある場合、従って無調整の場合だとピントが遠くの方にあり、近くにピントを合わせるのに必要以上の調整を要する状態のことを指すそうです。へー。

で、普通は顔の "目の前" にモノをもってくると寄り目になると思いますが、同様の原理で遠視の幼児は近くにピントを合わせるのが苦手なのでモノを見るときに寄り目で調整をしようとした結果、左目と右目の位置がズレる(左目が内側に寄る)斜視になるというわけです。遠視を矯正すれば治るので「調節性内斜視」というわけです。

人間誰しも幼い頃は遠視で、成長するにつれて(~20代)近視が強まっていき、人によっては丁度良い状態を通り越して段々と近視が強くなってくる(本の読みすぎとかはあまり関係無いらしい)そうですが、私の場合はもともとの遠視が強かったために、いつまでも無理してモノを見ようとしていた状態が続いていたということになります。

結果、常に二つにモノが見えている状態で、利き目でない左目を隠すようにモノをみていたことで、左目は弱視(幼少期に視覚を十分に養えなかった状態)になりかけていたり、両眼でモノをみる立体視の感覚が弱かったりと、何かとヤバい状況だったわけです。親がまだ私が小さいうちに私が見えていないことに気づいて小児眼科送りにしてくれたおかげで、成長していくうちにこれらの問題はだいぶ解決してくれました。

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さて、人間はもともと近くにピントを調整するのは得意で、だから年を取ると調整力が衰えて老眼になります。しかし遠視の人は、自然のピントが遠くにあることから近くを見るために多分な労力を要することとなり、ノートパソコンスマートフォンブック等々近くを見ることが常の現代社会において、ただひたすらに目が疲れやすい人間です。

そうです、近々流行りの眼精疲労です。万病の原因が眼精疲労と言われるなか、普通に生活していて人よりも目が疲れやすいということは、大いなるデバフ。いやぁ最近目が疲れやすくて、何とかなりませんかね~~。

何とかなりました。

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中近レンズです。俗に老眼鏡と言われる遠近両用の中近版です。普通のレンズは単焦点レンズといって、中心とその周辺でほとんど同じような見え方がするようにできていますが、このレンズは下の方が遠視の度が強く、上にいくほど弱くなるので、視線をどこに向けるかによって見え方が変わってきます。手元もバッチリ。ただ、「中近」なので遠くをみるには適さないのと、次第に度数が変わる累進レンズなので周辺部の歪みがきついです。顔をふると直線が波打って見えます。あと足元が「近く」(手元の距離くらい)用なので、階段とかあんまり見えません。コケます。

あともう一つ。

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プリズムが眼鏡に入りました。自然な状態でモノを両眼で見るためには、両目の位置を適切に調整する必要があり、目の筋肉を使うことになります。それを目が多少ズレていたとしても、目に入る光を曲げて両眼で見えていることにするという力業です。私の場合は0.57度屈折させているらしいです。まあ微々たるものですね。

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中近とプリズムは偉大でした。まず、一日中デスクワーク(この場合のワークはwork/travailler/arbeitenという意味で、働く/работатьなどではない)をしても目がしょぼついたりすることがない。「眼精疲労」は本当だったんだ!!

次に、これはおそらくプリズムの効果だとは思いますが、世界が立体的に見えるようになりました。半分くらいそう思い込んでいるだけだとは思いますが、パッと目を向けたとき目を凝らさずとも両眼視できるというのは、プリズム無しには成し得ませんでした。眼鏡屋さんで眼鏡を受け取り、渋谷の交差点に足を踏み入れた時、迫りくる大群が立体的に見えるというのは人生で初めての感覚の様な気がして、思わず涙が出てきました。色弱の人が色覚補正眼鏡をかけて初めて色を見たときの感覚と似たものがあるかもしれません。それと同時に、世の人間が少し羨ましく思えました。なんだ、こんな世界が見えていただなんて。

一方で、このレンズにはいくつかの難点があります。一つは中近レンズの特性で、先に挙げた通り遠くが見えにくかったり周辺が歪んだりすること。だいぶ慣れましたが、運転やハイキングには適しません。

もう一つは、お値段が高い。中近レンズは遠近両用と同じ作りなのでファストファッション的眼鏡店でも追加料金5,000円くらいで作れますが、レンズにプリズムが入るとJINSでは受注拒否されます。他の激安眼鏡店でもあれよあれよと追加料金がかかり、結局レンズ代のみで10,000円以上になってしまいます。レンズ別のお店では20,000円~30,000円が相場でした。

また、中近レンズには「グレード」というものが存在します。先ほどの歪みなどに関係してくるわけですが、高度なニッポンの技術力を結集させて作ったスゴイレンズは確かに歪みのないスゴイレンズでしたが、頼んでもないのに試着させてきたパリミキの店員によれば一桁上がって100,000円強でお買い得だそうです。馬鹿ですね。とはいえケチると使い物にならないレンズが出来上がることがわかったので、このあたりで少し慎重になってきました。

最後に、中近レンズはレンズのどこから覗くかによって見え方が変わる、つまり眼鏡の掛ける位置が正しい位置からズレるにつれて、レンズを通した視界が変わってきてしまうという特性を持っています。したがって、「フィッティングをちゃんとしてくれるところ、JINSとZoffではないところ」と眼科の人には言われました。かわいそう。

確かに、JINSの眼鏡は耐用性が低い。錆が出るのが早いし、掛け心地の点でも無駄に軽いことで重心が前よりなためかズレやすい。あれだけ安くて気軽な眼鏡に強みがあるのがJINSなのでそのあたりは文句言えませんが、今回の眼鏡にはどうも適さなさそうです。(擁護しておくとJINSの接客は好きです、Zoffよりも好き。)

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眼科で中近&プリズムの処方箋を受け取って、渋谷下北沢周辺をうろつきながら眼鏡店を出入りすること数日、レンズとフレームを見定めてようやく眼鏡の発注に至りました。このあたりも色々なドラマがあった(担当の店員さんが10年前に眼鏡を作った時の担当の人だったとか)のですが割愛するとして、オグラ眼鏡店で、増永眼鏡の直営店でみつけたフレームを使って作ってもらうこととなりました。取り寄せなんやらで完成までに3週間弱を要して待ち遠しい日々が続きましたが、現物を受け取ったときの喜びは何にも代えがたいものでした。

で、ひと月かけて新たな眼鏡に目を慣らして(特に中近レンズは時間がかかる)もう一度眼科に行ったところ、右目のレンズに調整が必要だということになり、新たな処方箋を貰いました。大抵の眼鏡店には保証期間内レンズ交換無料というサービスがあり、それを利用するということになります。

そうして完全体の眼鏡を手にしたのが数時間前、お店を出たら世界が立体的に見えました。最初に眼科に行ってから2ヵ月、長かった眼鏡作りもこれにておしまい。

余談

増永眼鏡には「ますながこどもめがね」という子供向けのブランドがあり、とっっってもかわいいので、お子様ができて眼鏡が必要になったときはぜひご検討ください。視機能は6歳~8歳ごろまでに完成します。お子様がちゃんと両眼でモノを見ることができているか、できていない場合は早めに小児眼科につれていってあげてください。

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↑テンプルがスヌーピーの耳みたいになってるんですよ、かわいい

眼科の待合室で次の検査を待っているとき、まだ小学生くらいの子供が嬉しそうに眼鏡を掛けているのをみて、思わず頬が緩んでいました。

おしまい。

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