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いかに人工システムに自由意志を持たせるか

0. おことわり

 このnoteは、私が様々な機会に作った習作をネットの海に放り投げることで、自己満足することを目的に作られています。
 一方で、あくまで「習作」として、自分なりにそれなりに満足する出来のものを放り投げられるようには心掛けているので、何らかのリアクションをくれるととても喜ぶかもしれません。

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 今回の記事は、私が春学期に大学で受けていた授業である「物理科学Ⅰ(文科生)」(池上先生)の学期末レポートに一部改変を加えたものです。

 仮にこの先この授業の履修を考えている人は、大いにネタバレなので読まない方が良いよ。ブラウザバック推奨。
 もちろん、毎年レポートのテーマがこれであるわけではないそうですし、オープンなクエスチョンではあるけれど、講義を受けた「後」の方が絶対に面白いです。(その意味で、ぜひ来年の春学期で履修をお勧めしたい授業ではあります。)

 数学も理科もロクに理解していない文系に向けて、非線形の科学,カオス理論、チューリングマシーンなどの計算理論、人工知能(AI)、量子論といったカッコいい(大事)名前の付いた物理科学の概念を理解することを通じて、人工生命について検討をするといった授業でした。自分にどう資するか、そんなことは考えてはいけない、いわゆる教養科目ってやつです。

 池上先生は、複雑系と人工生命の研究者である一方で、自らの研究分野に基づいたアート関連の活動も行っている方でした。上の画像の人工システムは、彼が開発に携わった「オルタ2」というアンドロイドで、人間のオーケストラを指揮しつつ自ら歌うことで,人間とのコミュニケーションの中でオペラを作っていく、人工生命の可能性を探った機械です。
 下の動画を見るとわかりますが、なんだか、不思議。

 講義に関して言うと、当然のようにド文系の私は、「何言ってるのか分からない!いや、そもそも何が分からないのか分からない!!!なんもわからん!!!!」状態でしたが、それでも無い知恵を振り絞って書いたのが、今回の記事のベースとなったレポートです。嬉しいことにそれなりに良い評価もいただけました。

 レポートのテーマは、「人工システムに自由意志を持たせて人工生命を作り出すことについて、カオス、チューリングの理論、計算論、量子論のアイデアを基にして議論せよ」。講義を基に書いているので、あえて省略した議論や不要な議論が多分に含まれています。その点はご了承ください。まあレポートなので…。

 あと、当たり前ですが著作権はたぶん私に帰属するので剽窃はダメ。こんなの剽窃する人いないと思うけど念のため。
 割と文系なりの独自性を求めている先生だった印象はあります。

 以下、レポートのコピペです。

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1. はじめに

 このレポートでは,第一に,自由意志について検討する。次に,人工システムの特徴を探りたい。そのうえで,我々の知る限りの自然界における「生命」と人工システムを比較して,生命の特徴を探る。そして最後に,人工システムにどう自由意志を持たせるか,すなわち人工生命を作り出せるかという問いを考えたい。

2. 自由意志とは何か

 哲学的な問いであり,様々なアプローチが可能である。ここでは,自由意志の一つの定義として,授業の中で提案された定義,「不確かさ」というものを考えてみよう。これは,「予測可能な確かなもの」の逆という意味を含む。ニュートンの運動方程式に基づく力学系的世界観においては,自然界のすべての物体が決定論的に,一意に定まった運動をとる。ここでは,この世界は,万物の初期値,つまりパラメタさえ分かれば,運動を予測することができる。この世界は,いくつかの初期値と,いくつかの方程式に則った,確かな世界なのである。一方で,自由意志を持つものは「不確かさ」があるため,行動を完全に予測することができないとされる。例えば,他人の行動は不確かなものであり,その他人は自由意志を持つ。また,確率論的なものは不確かなものであり,自由意志を持つものである。すなわち,この定義では,シュレーディンガーの方程式によると確率記述しかできないとされる量子論的世界観においては,量子は自由意志を持つ存在であるとされる。

 しかし,この定義にはいくつか問題が発生する。力学系的世界観においても,「不確かさ」をもつ運動が起こり得る。ローレンツによると,決定論的な世界においても,非周期的で,特にローカルに見た場合はランダムに見えるもの「カオス」が生じる。あくまで決定論的な世界でも「不確かさ」(予測不可能という訳ではないが,予測が非常に困難)が起こり得るということである。それでも,この「カオス」を自由意志と呼ぶことはできない。「カオス」はパイこね構造の埋まった方程式から描出される,決定されたものに他ならないからだ。さらに,量子が自由意志を持つ存在であるとは,この議論で言うことはできないであろう。あくまで量子は観測者の自由意志に基づく観測によって状態が定まるのであり,この議論においては,量子の状態が観測以前においては確率記述しかできないということしか示されていない。シュレーディンガーの方程式で示されるような確率論的なものが自由意志を持つとは言えず,この定義では不十分である。(もちろん,「量子もつれ」や「実在性の状況依存性」などを考えたうえで,自由意志を持つのは観測者ではなく,観測対象である量子の方であると言うことはできるが,ここでは関係がない。)

 では,自由意志とは何だろうか。上の定義は実体的定義であるが,この様な定義付けはいささか困難でありそうなので,ここでは機能的定義を行いたい。つまり,「生命」が持つであろう自由意志を考えるため,この議論は生命の特徴を考えたのちにまた戻る。

3. 人工システムについて

 人工システムを作るのは人間である。「生命」の考察でも触れることになるが,人間は自分のわからないものを作ることはできない。ここにおける「わかる」とは,必ずしも数式など力学論的記述の可能性に限るものではなく,もっと広い認知全般の理解を指す。

 人間は,自らの脳だけでは処理しきれない複雑なことを理解するために,数式による計算を導入した。数式による計算は人間の外部で行われるものであるが,人間は数式による計算を通じて,多くの自然現象を理解してきた。非線形な自然現象に対しては,線形近似を行うことで数式による計算を可能として,また,複雑なカオスについては,時間を離散的にとらえることで解析を行ってきた。この背後には,自然現象はすべて計算で表すことができるとする,力学的世界観が存在する。そして,この外部で行われる計算を代替したのがコンピュータである。チューリングは,計算を単純化したチューリングマシーンを考案し,一定のアルゴリズムに則って繰り返し操作を行うことで,あらゆる計算を行えるという計算万能性を示した。それゆえ,コンピュータに代表される人工システムは,このような経緯によって人間によって作られた計算機であり,本来は人間などの生命,すなわち自然現象とは性格の異なる存在なのである。

 この考えを基に,自然現象である人間の脳を,一種の計算機である神経細胞ネットワークととらえ,単純化して模倣したのが,現在の人工知能である。人工システムは,力学的世界観で自然現象を理解する人間が作ることから,潜在的に計算機であることを免れないだろう。

4. 「生命」について

 ここで考える「生命」は,我々の知る限りの自然界における生命に限定する。一方で,未だ見ぬ生命に対しても拡張性を持ったものを考えたい。ゆえに,ここでは生命の特徴を挙げる程度にとどめる。

 熱力学第2法則によると,大局的に世界を見た場合,エントロピーは時間に不可逆に増大する。しかし,局所的に世界を見た場合,生命は自己組織化によってエントロピーを下げることで出現する。自己組織化によって,欠けた場合は自己維持がなされ,種の存続のため自己複製がなされ(この意味でライフゲームは生命ではない),一方で完全にエントロピーが0の状態ではないため,進化可能性が残されている。ここで重要なのは,生命の出現はエントロピーを瞬間的には下げるが,長い目で見るとエントロピーの増大を加速させるということである。生命が自律的に活動し,周囲に影響を与えることで,エントロピーは増大する。生命は,周囲に影響を与える存在なのである。周囲に影響を与える存在であるからこそ,「機械には無い人間のぬくもり」といった議論がなされるのだ。人間の愛情は,他者の脳を活性化させうる。

 さらに,現在の人工知能を念頭に置いて考えると,生命の認知現象は,非線形の自然現象を理解するプロセスであると考えることができる。自然現象を,神経を通じた電気信号の強弱からなる五感(またはそれ以上)で知覚し,得られた情報を,パターン化などを通じて組織化することで,自然現象を理解する。組織化などの情報は,一部は遺伝されたものであるが,自身の知覚を通じて経験的に学習する部分も大きい。自然現象を「わかる」ことによって,生命はそれらを内在化させ,自らが周囲に影響を与え得る存在へとなるのである。

5. 人工システムにどう自由意志を持たせるか

 前述したとおり,以上の生命の議論を踏まえて,再度自由意志について考える。決定論的なものに自由意志があるとは言えない。落下するリンゴには自由意志は存在しないし,太陽の周囲を回る地球にも自由意志は存在しない。やはり,自由意志が決定論的なものとは異なるという理解は正しそうである。いくらランダムに見える動きであれ,決定論に基づくものには「自由」があるとは言えない。一方で,前章で考えた様に,生命は,たとえ決定論に基づく計算を行っていても,決定論的な自然界に対して「自由に」影響を与えて,決定された自然界を揺るがすことができる。仮に,脳それ自体が決定論的な計算機であったとしても,生命は脳で成された決定によって,周囲の決定された自然界を揺るがすことができる。これが自由意志なのではないだろうか。

 例えば,物体Aの落下を考えてみよう。物体Aは,下向きの速度の初期値0(m/s)と,重力加速度というパラメタ,そして運動方程式というアルゴリズムに則って,決定された動きを取る。つまり,物体Aの落下は決定論的な自然現象である。しかし,人間は自由意志によって,物体Aの落下を止めることができる。自由意志によって,運動方程式に基づいて決定されていた物体Aの落下という結果は揺るがされる。これが自由意志である。一方で,物体Aの落下をセンサーで感知し,物体Aをとらえる人工システムは,あくまで決定論的な動作に基づくものであり,これは自由意志によるものではない。この場合,自由意志を持つのはむしろ,この人工システムを設置した人間の側にあると言ってよいだろう。量子もつれを利用した確率的に動作する人工システムであっても,自由意志を持つのは量子の状態を決定する観測者である。(前述の様な,量子に「自由意志」が存在すると考える自由意志定理における「自由意志」と,ここでの自由意志は異なることに注意が必要である。「自由意志」は,状態を決定する存在=観測者or量子であるが,ここでの自由意志は,決定論的世界を揺るがす存在=観測者であるので異なる。)

 この議論は,生命,特に人間は必ず自由意志を持つということは意味しない。例えば,『時計仕掛けのオレンジ』の主人公の少年アレックスは,ルドヴィコ療法によって暴力のできない存在となる。「暴力」という周囲に影響を与える行為ができなくなった時点で,彼には自由意志が存在しない。一方で,いわゆる「マニュアル人間」は少し異なることに注意したい。確かにマニュアル人間は,マニュアルという一種のアルゴリズムによって動く。しかし,マニュアル人間は,自らの自由意志によって「マニュアル人間」になったのであり,環境の変化などに応じて「マニュアル人間」をやめることもできる。少年アレックスは,刑期短縮を目的にルドヴィコ療法に同意しただけであり,暴力をできない存在となったのは彼の自由意志によるものではない。彼は「決定論的に」暴力をすることができないという点で,マニュアル人間とは異なる。

 現存の人工知能は,人間が用意したアルゴリズムとデータに基づいて計算を行っている。しかし,自ら幅広く自然現象を知覚することは未だ困難であり,そして,決定論的な自然界に対して影響を与えることはない。ディープニューラルネットワークや量子コンピュータなど,自然界の原理を応用することで計算の高速化,高機能化が目指されてきたが,それでも人間の計算の代替を担う程度の能力しか有しておらず,自由意志を持った人工生命ができそうには無い。

 結論として,人工システムに自由意志を持たせるためには,周囲との接触面を持つようになることが重要であると考える。もちろん,人間がすでに情報化したデータ(ビッグデータなども含む)に限らず,自然現象を幅広く知覚するようになるために,より卓越した認知能力が必要であるから,接触面を持つべきだという主張も含む。しかし,何よりこの接触面は,周囲に影響を及ぼす存在となるために必要だからである。周囲に影響を与え,そして自らも影響を受ける中で,人工システムは自由意志を獲得する。周囲に影響を与える中で人工生命として感情を獲得するに至るかもしれない。この時,「周囲との接触面」は身体運動を行うものであるかもしれないし,情動的なものであるかもしれない。前者は人工「知能」では再現できないものであるし,後者は人工知能が人間の脳を再現しきれていない部分であると言えるだろう。楽譜通りに音楽を演奏する人工システムは自由意志を持たないが,聴衆を感動させる表現豊かな音楽を演奏することができる人工システムは,人々と相互的な情動のやり取りをしていると見なせるため,自由意志を持った人工生命と言えるだろう。生命との物理的,情動的問わず,インタラクティブなコミュニケーションを可能になることが,自由意志の鍵ではないだろうか。

 周囲を知覚し,情報を処理し,周囲に影響を及ぼす。生命の活動を3つのプロセスに分けたとき,現存の人工システムは,この二段階目のみ,または一段階目の一部を担うに至った程度に過ぎない。人工システムは,この三段階目を担うようになることで,自由意志を獲得し,人工生命となる。そのために,インタラクティブなコミュニケーションを可能とする周囲との接触面が必要となってくるのである。

6. 参考文献

・筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』2011,岩波書店

・松田雄馬『人工知能はなぜ椅子に座れないのか』2018,新潮社

・松本元『愛は脳を活性化する』1996,岩波書店

・2019年度Sセメスター物理科学Ⅰ(文科生)講義ノート


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