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実は私、2度目のデザイナー人生を歩んでいる最中で・・・

12/10
毎度、光の速さでこんばんわ!ツモマー(@mah_tsumo)です!

私は今年でおそらくデザイナーとして7年目になります。グラフィックやwebや映像から、コーディングやアプリ開発、内装やパッケージと幅広く関わらせていただきました。今は会社ではUIデザイナーをやったりプロジェクトに参加してUXに関わることや、最近はプロモーションのお仕事に関わることがメインの仕事です。

フリーランスでもお仕事をいただき、そっちではブランディング&プロモーションとして現状の問題や課題からアプローチすることをしています。
また、デザイナーのためのコミュニティバーFLATではプランナーとしてクリエイティブ周りを担当しています。

私の7年は数行で語れるものではないのですが、デザイナーとしての守備範囲を限定しないで生きてきたからこそ幅広いものに対応した働き方ができたのかもしれません。それはデザインに対する捉え方に関して時代にフィットしなかったというプラスの状態だったと今考えたら思います。

最近出会う人にはUIデザイナー、
少し前に出会う人にはアートディレクター、
その前はWebデザイナー。。。

今日は、私がデザインを始めて2年目に一度デザイナーをやめた話ともう一度デザイナーになった話をログとして残したいと思います。

私の実家は花屋をしています

私は長男であり、母方の家系が代々花屋をしています。花屋といっても可愛いアレンジフラワーではなく、生け花と呼ばれるもので、伝わりやすいイメージいうと花瓶や剣山などを用いてお花を飾ったりするタイプの花屋です。厳密にいうと草月流と呼ばれる流派のもので近代では先進的でアバンギャルド的なものに見えると思います。

長男としては大学に行かずに継いじゃえよってノリだったのですが、その頃の私はバンドをやったり若者を満喫していたので「時間が欲しい」という理由で大学に行かせていただきました。

しかしあるとき、親族の具合が悪くなりついには入院をしてしまいました。そうなると花屋をどうするのかという話になります。自営業の方ならわかると思いますが、お店が経営できなくなる=家族の死に近い状態になります。私の家自体はそこまで裕福ではないので貯金で遣り繰りするにも限界はすぐにやってきます。

すごい悩みました。デザイナーという仕事は私の中ですごい大きなもので、ここで手放したら一生この世界に帰れないのではないか、それでもやはり家族という存在は大きいものでした。

私はデザイナーを辞めて花屋になりました。

実家とは言え、レガシー文化満載の環境には戸惑い全てがうまくいない期間が続きます。今までの交流関係の人も全てシャットダウンしないといけないし、深夜見ていたアニメの時間は仕込みや花の手入れの時間に代わり、市場だからといって朝の4時半に起き神奈川に行き、お昼に戻り仮眠をしたら教室の準備。とにかく余裕がありませんでした。

それでも考えることはいつも「デザインしたい」でした。改めてデザインが好きだったんだと強く感じました。

いつからか知り合い経由で仕事をいただくようになりましたが、始めは花屋をしながらデザインをこなして締め切りを守れず怒られたこともあります(本当すいません。。。)それでもなんとかできる範囲でデザインをしながらスキルアップのために勉強もしました。

それから数ヶ月がたった時にはデザインのスピードも上がり締め切りも守れつつ、花屋でも従業員を雇ったりできたのでちょっとずつデザインの仕事にシフトしました。

終わりに

これは下書き保存していたもので公開するか迷っていたのですが消化dayということで公開してみました。
一応実家には悪いので母の日と年末年始は親孝行として手伝うようにしています。

去年のお正月アレンジとして作ったものです。お正月っぽく千両と松をふんだんに使い、カサブランカを強調するものです。これでだいたい7000円。

一度はドロップアウトしても帰って来る方法はたくさんあるし、私の聞いたことある話だともっと感動的なI'LL BE BACKがあるので、同じような人と再びデザイナーになったきっかけとかお話ししたいです。個人的に記事読みたいけど、かなりウケは悪そうですね笑

明日も寒いのであったかい格好で寝てください。
それではおやすみなさい、夢で逢いましょう。

- END -

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