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フロンティアスピリッツ的オーラ

「好きな色は?」と訊かれたら、白と青みの色と答える気がする。でも、色は無限なので、はっきりとは言い切れない。好きな色は多分たくさんある。

黄色みの色は全般的に苦手な気がする。黄色、茶色、オレンジは、服でも小物でも、だいたい避ける。黄みの色を身につけると、老けて見えるのだ。(ちなみに、パーソナルカラーはウィンター。最近色んな分類が増えてきて、カラー診断もわかりにくくなってきた。結局、イエベ・ブルベのざっくり判断をしている)

そんな私のオーラカラーが、オレンジと黄色なのでびっくりしたという話。

オーラ写真を撮ったことが二度あって、一度目はオレンジ、二度目は黄色だった。二度目の解説書にだけ日付の記録があって、2017年。あれから四年もたったのか。一度目は、オーラ写真の子供の顔を見た感じでは、小学校の低学年あたり。

……思い出したら、また撮ってみたくなったけど、コロナ禍が明けるまでむりだな。
コロナで色々状況も感じ方も変わってるから、ガラっと違う色になってたら、面白い。

一度目のとき、頭頂部だけが少々黄色に寄っているオレンジのオーラに囲まれる自分の画像を見た感想は、「えー」だった。なんかもっと、自分に馴染みのある色が、自分をとり囲んでいるのだろうと思っていたのに。

ものすごく詳細な解説書がついてくるのだけれど、それをざっくり解釈すると、オレンジは「開拓者」だった。職業的には、フリーランス、冒険家、デザイナー、セールスマンなど。納得できたり、出来なかったり。

ただ、今だからこそ、わかる。あの時私は、荒野に立つ開拓者だったのだ。まさにフロンティアスピリッツに溢れていた。そんなん望んでなかったけど。

この数年前ダンナの転勤の辞令が出て、私は当時経営していた店を廃業してついて行った。単身赴任してほしかったのだけれど、どうしても一緒に来て欲しいと言われて。

しかし、ダンナは転勤先で、仕事を辞めた。

転勤してから、たったの八か月である。ふざけんなよ。だから、単身赴任しろって言ったのに!

その時、子供は2歳である。マジでふざけんなよ。

地元に戻ってきてみても、そう簡単に仕事は見つからず、結局ダンナは専門学校に進学。手に職なんてない。持っているのは、普通自動車運転免許くらいである。

手に溢れんばかりの職がある私は、当然個人事業主に返り咲いた。稼がねば。その時に夫から放たれたひと言を、私は今でも許せない。

「はみちゃんも、また仕事出来て良かったよね」

ふざけんなよ。

単身赴任していてくれりゃあ、順風満帆軌道に乗ってた店は、そのままだったわ! オマエの失業だけですんだ話なんだよ!

知り合いの店に「くれぐれもよろしく」と、紹介・分散させたお客様を今更返して欲しいなんて、言えるわけなかろうが!

さらに、ようやく専門学校を卒業して就職したと思ったら、一年足らずで辞めやがった……というのが、このあたりの私の歴史年表だ。病気やなんかならともかく、健康で働けるダンナを食わせていくなんて聞いてない。

私は、まさに北の大地に立つ屯田兵。まだまだ顧客を開拓していかねばならんのだ。

一家の大黒柱って、誰だ。私か。

聞いてない。

その数年後に、二度目のオーラ写真を撮影してもらった。黄色と若干の黄緑色が混ざったオーラ画像を撮ってくれた技師さんに「お仕事は、看護師さん? マッサージとか?」と訊かれ、「エステティシャンです」と答えたら、「天職だねー」と言われて、ああ良かったと胸を撫でおろした。今更職業選択が合っていなかったとか聞いたら、落ち込む。やめないけど、凹む。

器用貧乏なのだ。自分に合った職業を探して彷徨いかねない。この歳になって。

一度目のときも、この技師さんに職業を訊かれ、「エステやってます」と答えたら、「あ、経営者さんね」と頷かれた。……ひとり事業の経営者だけども。

同じ人間が、同じ職業についていても、状況や向き合いかたによって、仕事の意味するところが違ってくるのだなーと、振り返ったら改めて感じた、思い出話。


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