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落語の忘れ方

落語家の日課は噺を覚える事です。毎日の高座とか日々のことに加えて、この「噺を覚える」が寄り添っています。


大体、一ヶ月に一席。長い噺とか覚え難い噺はもう少しかかりますが、覚えるだけなら割と頑張ればすぐに出来ます。


問題は、それを高座でやって、ウケるものに仕上げていく作業が、大変です。というよりそれが落語家の宿命です。


覚えるということは、忘れる子供あるということです。


というより噺は覚えるよりも忘れる方が早いです。


なのでどんどん忘れて行きます。だけど忘れて行く状況も様々で、まるっきり忘れて行くというよりは、下書きだけ残すようなイメージで、頭になんとなくぼんやり絵が残っていて、台本を読み返したり聞き直したりすると色が蘇ってくる感じです。


中にはやらなすぎて、下書きすら消えてなくなっている時もありますけどね。


そうならないために、日々思い出す作業もしておくってのが大事です。


では忘れるというのは、何故起きるのか。


やらないから忘れるのか?


もちろんそうですが。高座でかけない、家でさらわない、というのでも徐々に忘れて行きますが、忘れる一番の原因は、「次の噺を覚える」ことです。


ところてんですね。次の噺が脳に入って行くと、前の噺が押し出される感じです。稽古して繋ぎ止めるか、高座にかけるかしないとどんどん押し出されます。


脳は素直です。


新しい記憶で埋め尽くされると、どんどん古いやつを捨てて行きます。


これは落語に限らないかもしれませんね。人間の記憶ってそうかもしれません。


何か嫌なことがあったら、それを悔やむんじゃなくて、新しいことをして脳を埋めていけば、その嫌なことは忘れるかもしれません。


でも、落語はなかなか忘れたくないです。。。

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