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前座二年生

前座になって二年目から、いよいよ自分が落語家だと意識出来るようになります。芸名「はな平」というのもどこかふわふわした、なんだか自分の名前じゃない気がしていたものが、いよいよ体に入って来る感じです。

前座仕事の方も後輩が入って来て段々慣れて来ます。僕のすぐ下は、一蔵で当時は朝呂久と言ってました。彼はいろいろな経験をしているせいか、こういう世界に動じない人です。仕事を覚えるのも早い。どんどん吸収してこなしてます。僕もそうですが、彼は当時から太っていて、太っている奴は休むのも上手い。サボってるのとは違う。上手く休むんですね。要領が良い前座でした。その下の市弥と小辰(当時辰じん)も売れっ子前座で、今でも三人で売れっ子です。

二年目の前座仕事は大体楽屋に張り付いている楽屋番です。楽屋番になると本当に全てのことが把握出来ます。師匠方の姿をずっと見ているし、立て前座の動きも見ているし、捨て耳しながら高座も聴けるし、出囃子を聴いて太鼓の手も覚えられる。この時期にちゃんとやっておけば、太鼓が回って来ようが、立て前座を任されようが、怖いもの無しです。

ただ、この時期辛いのは正座です。ずっと座りっぱなしで、着物畳むかお茶を入れるか以外はずーっと同じ状態ですから、大体みんな膝か腰をやっちゃいます。

僕は腰を少し痛めたのと後は膝が崩壊しました。かなり太ってしまっていたので、着物を畳む時膝立ちになるのが良くなかったんでしょうね。膝が悲鳴を上げたことがあります。着物を畳むところって、必ずしも畳とは限らず、膝を突く部分はフローリングだったり、浅草なんて厚い板の上に膝をついて着物を畳みますからね。そういう時は本当に痛かったです。僕はまだマシな方で、水が溜まって、定期的に病院で抜いてる奴もいましたね。

中にはそんな不具合も起こさず、飄々と働いてる人もいましたが、そういう人は大抵華奢ですw

僕みたいに太ってる奴は大体一度は腰か膝をやります。

そんな満身創痍の中、二年目の前座は明けていきます。次はいよいよ太鼓番へと移っていくのです。

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