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除霊ーーリフォームーー




あらすじ(300字)


斎場祈、フリーター。朝は清掃、夜は居酒屋、それから除霊ーーリフォームーー。清く正しい不動産屋の御嶽とともに、事故物件の除霊を行う。報酬は1件100万。高くはない、それだけ危険が伴う仕事だ。
どこにでもある事故物件。賃貸ロンダリング? そんなチンケな話じゃない。

次の物件は芸能事務所の社長が持っている社宅の一つ。ひと月前の強盗殺人で殺されたアイドルの霊が住み着いた。この部屋は必要だ。なぜなら「出世部屋」だから。
現場にいたのは生きた人間。若手俳優が言う「一緒に住まわせてください!」出世部屋が必要な彼と、祈との同居生活が始まった。
だんだんと明らかになる、強盗殺人の真実。出世部屋の秘密。本当に怖いのは……


がっぽがっぽ、稼ごうぜ


 【東京都港区六本木六丁目600-600 ゴールデンハウス606 強盗殺人】
 
 【東京都文京区湯島二丁目200-200 独居男性78歳、孤独死、他告知事項あり】

 【東京都荒川区日本堤十丁目100-100 ホテルニューひかり 首吊り】

 【東京都世田谷区桜丘三丁目300-300 303号室 乳児とみられる遺体遺棄】

『いっしょに、きて』
「いかない」
『きて』
「いかない」
『……いっしょに……き…………てぇぇぇぇぇぇえええええええええ!』

 窓がバリバリと揺れる。下がったままのカーテンがめくれ上がり、机代わりに置かれた段ボールや荷物が浮かびあがる。部屋の明かりは点いては消えてを繰り返した。
 パチッ、パチッと、あちこちで音がする。

「私はいかないよ。あなた一人で逝きなさい」

 パンっ!! 

 ひときわ大きな音が鳴った。その瞬間、ドスン、と女の身体が壁に叩きつけられる。

『いいぃぃぃぃぃやぁぁぁだぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!』

 大きな圧によって壁に密着したままの女が、口の中で唱える。

「……祓」

 ドオオォォォォン……!!

 地響きが。地震か、爆発かを思わせるような、大きな地響きとともに閃光が走る。
 女は目を開けたまま、己を拘束した相手を見据える。
 部屋を覆いつくすほどだった黒い塊がだんだん小さくなり、光りに飲み込まれていく。小さく、小さく。時間にして数秒の事だった。

『ほぇぁー、ぁー、んまー』

 黒い塊は小さくなり、赤ん坊の姿に戻った。ご機嫌そうな顔で、おしゃべりをしている。

「次は、幸せになりな」

 それが合図になったのかは分からない。赤ん坊は、光りの中に飲み込まれ、消えた。

 パチパチパチと、手をたたく音がする。振り返ると、奴がいた。

「いやぁ、おつかれおつかれ」
「……」
「え、無視? 無視しないで」
「いえ、本気でねぎらってる感じではなかったので」
「失礼だなぁ、ちゃんとねぎらってるだろ」

 男は年甲斐もなく頬を膨らませる。もう三十路も間近だというのに、子供のようなしぐさがやたらと似合ってしまうのはこの童顔のせいだろうか。この男、御嶽は不動産屋だ。清く正しい不動産屋、と自分では言っているがどんなもんだか怪しい。身長は185cnくらいだろうか。太れない、といいつつ続けている筋トレのおかげか、無駄な肉のない身体にフィットした黒スーツを華麗に着こなしている。サングラスに、ジェルで上げた前髪。どこからどう見てもガラが悪いはずなのに、妙にオシャレに見えてしまうのは、高い鼻筋にくりくりした眼、引き上がった口角と、無駄に顔面がととのっているせいだ。 

「はい、差入れ」

 ドラッグストアの袋を渡してくる。飲み物、ゼリー飲料とまぎれてロキソニンテープが入っていた。

「貼っとかないと、背中」
「どうも」

 こんな物を買ってくるくらいなら、そもそも背中を強打するような仕事を持ってこないでほしい。
 中身を確認していると、御嶽が肩に肘を置いて来た。頭二個分、こちらの方が小さい。

「ひじ置きにしないでください」
「だってぇ、ちょうどいいんだもん。高さが」

 スッと払いのける。失礼のない程度に。袋の中からペットボトルを取り出して、お茶を飲む。喉が乾いていた。

「話と違いましたよ。大人しいって言ってたのに」
「すまんすまん。でもさ、わかんないから。実際来てみないと。だろ?」

 御嶽はしゃべりながらごそごそと鞄をあさる。いろんな書類が雑多に放り込まれているのが目に入った。少しは整理しろ。

「はい、じゃあこれサインして」

 『返済済み証』とある。金額にして、100万円。
 書類とともに向けられたペンを取る。壁に紙を押し付けながらサインした。振り返ると御嶽が、今度は朱肉を手向けている。親指に付けると、名前の横に押し付けた。

「おーし。これで残りは1億9千とんで500万な」

 御嶽はにっこり笑う。いそいそと書類をしまうと、散らばった段ボールや荷物を整えだす。祈はカーテンをまとめると、そのまま窓を開けた。換気が必要だ。

「外は大丈夫でしたか?」
「ああ、いつも通り。全然平気」

 大きな地鳴りにラップ音、付いていないはずの電灯は派手に点滅を繰り返したというのに、外からは何の異常もなかったらしい。近所迷惑でなかったなら何よりだ。

「本当、不思議だよなぁ。こーんなに派手なことになってるのに、何で外からは分かんないかねぇ。俺なんてドアの前にいたんだぜ? あんなうっすいドアの。物音ひとつしなかったもんな」
「よくわかりましたね、『終わった』って」
「ああ、それは分かる。なんか『居た』のが居なくなったのは分かるんだよ」

 不思議だよなぁ、と御嶽は小首をかしげた。
 霊を見ることはないが『居る』か『居ない』かを感じ取れる程度の、いわゆる霊感があるらしい。

「じゃあバイトなんで」
「おー。帰り事務所に寄ってな。次のとこ選んどくから」

 小さなトランクに、いつの間にか荷物を詰め切ったらしい。「人の物を勝手に触るな」とはじめは注意をしていたが、聞き入れないので諦めた。どうせバイトの間は預かってもらうのだ。細かいことは気にしないでおこう。

「あ、あと大事なこと!」
「なんです?」
「それ、飲み終わったらくれ。応募するから、キャンペーン」

 ペットボトルには、アイドルのサイン色紙が当たるキャンペーンのQRコードが貼ってあった。

* * *

 空気が生暖かい。梅雨が終わった。夏の初めの頃の、この重い空気が苦手だ。日暮れにはまだ遠く、水気の多い河川敷はじめじめする。

「おはよう、斎場さん」
「おはようございます」

 バイト先の居酒屋は、何時に来ても「おはよう」と挨拶する。遅番の祈ももれなく同じようにした。

「今日団体さん多めだから、ウォッシャー大変かもだけどよろしくね」
「はい」
「詰まっちゃったらドリンクもよろしく〜」
「はい」

 返事をして更衣室へ入る。更衣室と言っても着替えるためだけに小さく区切られたスペースで、鍵付きの簡易ドアは付いているが、天井は筒抜けだ。

「なにあれ、本当に愛想ないですよね斎場さんって」
「まぁまぁ」
「もっと普通にやり取りできないんですか、居酒屋ですよウチは。いくらキッチン専用ったって、もっと明るく元気に交流してくれないと」
「うーん、まぁでも、仕事はちゃんとしてくれるからねぇ」

 会話も筒抜けだ。
 愛想がない自覚はある。明るくもなければ元気もない。コミュニケーションも不得意だ。要件以外、何を話せばいいのかわからない。昔からこうだ。大人になった今、いちいち気にすることもないし、変えようとも思わない。

 斎場祈。21歳。高校を卒業後はフリーターとしてバイトを掛け持ちしている。居酒屋のキッチン、清掃、工事現場の誘導、それから、除霊ーーリフォームーー。
 家族はいない。母は小さいときに私を置いて出たし、父は3年前に死んだ。2億円という、莫大な借金を残して。

 3年前、夏の終わりだった。父が交通事故で死んで、遺体が病院から家に戻ってきた晩。大勢の借金取りが押しかけてきた。「300万返せ」「うちは50万だ、それくらいならあるだろう」「うちは1500万だぞ、うちが先だ」友人の連帯保証人になった父は、その友人が飛んだせいで借金を背負った。工場勤務の給料だけでは足りず、消費者金融から借りつないで返済をしていたのが、雪だるま式にふくれあがったらしい。よくある、安っぽいドラマのような話だ。

「遺産相続をホーキすんなよ」
「娘なら父親の尻ぬぐいははちゃーんとしないとな。介護だと思って」

 相続放棄をすれば、1円も残らない代わりに借金も放棄できる。しかし祈にはそれをできない理由があった。

「黙ってんじゃねーぞ、おい」
「ほら、お前の名前で書き直した借用書がある。さっさとこれにサインしろ」
「高校、辞めなきゃな」
「心配すんな、俺らがちゃんと仕事先も面倒見てやるからよ」
「よかったなぁお前、若くて」
「ガリガリだし、すっぴんじゃどうにも売れねぇけど化粧さしたるからな。大丈夫だ、若けりゃそれだけで売れる……」

 バーーンっ!!

 大きな音と共に、背の高い男がドアを蹴飛ばし入ってきた。

「おい、うちは1億5000だ。うちより多い奴、いるか?」

 場が凍る。
 祈を囲んだまま、借金取りたちも微動だにしない。

「おい、聞いてんだろ。うちより多い奴、いるか?」
「いないです」

 返事をしたのは、祈だ。

「こちら300万の方。こちらは50万、あちらは1500万、あちらも1500万。奥の方は650万でそのお隣が1000万円だそうです」
「300、50……しめて5000だな。よし、お前らの分は俺が払う。明日うちの事務所にこい」
「あ、で、でも御嶽さん」
「あ? 何か文句あんの?」

 御嶽、と呼ばれた男がひと睨みすると、話しかけた男が固まる。結局、彼らは帰っていった。
 残された祈と御嶽は、父の遺体をはさんで座る。しばし、シンとした空気が流れた。先に口を開いたのは祈だった。

「お茶、いりますか? 麦茶しかないですけど。パックの」

 御嶽は口を結んだままプルプルと肩を震わせる。

「……っふあ! あっはっはっは!」

 そのまま、豪快に笑い始めた。床をたたいて、腹を抱えひぃひぃ笑っている。

「お、おま、何でそんな冷静、借金取りに囲まれたってのに……ふはっはっは」

 遺体の横で転げながら笑っている。サングラスを外すと、大きくてくりくりした目が出てきた。涙をスーツの袖で拭う。

(随分、かわいらしい顔だちの人なんだな)

 借金取りに対しての感想としては適格ではないだろう。分かっている。だが、それが目の前の男、御嶽に対しての第一印象だった。

「ってことで、親父さんがうちから借りた1億5000と、さっきのやつらの5000あわせて2億円。お前がこれから、俺に返済しないといけない額だ」
「はい」

 ほしい。と言われたので麦茶を出した。父のビールグラスが琥珀色に光る。

「知ってるか、日本人の生涯年収?」
「知りません」
「平均で2億2000万。ところごどっこい。高卒女性で中小企業勤だと1億5000万まで落ちる。足りねぇなぁ」
「そのようですね」
「俺が助けなかったら、お前、あいつらにソープ売られてたぞ」
「そうでしょうねぇ」
「お前、あの斎場祈だろ」

 『あの』と、強調しないでほしい。

「界隈じゃ有名だ。母親に置き去りにされた。5つの時に半年間、幽霊屋敷で一人きり。どうやって生き延びた?」
「覚えていません」
「ちがうだろ。『みんながいたからさみしくなかった』だろ?」
「…………」
「お前が無事に保護されたのを見届けたのか、手のつけようがなかった幽霊屋敷が空っぽになった」
「もともと誰もいませんでしたよ」
「人間はな。生きてる、人間は。知ってるか? あの幽霊屋敷から明治時代の貴重な文献や美術品がわんさか出てきて、今じゃ建物自体も重要文化財だ。大出世してるぜ」
「興味ないです」

 麦茶をついだビールグラスが汗をかく。

「祓え」

 御嶽は、目を逸らさずに言った。

「困った物件がある。お前がいると、霊はいなくなる。何をしても良いから、この世に止まってる奴らを祓え」
「……祓い方なんか知りません。勝手に消えただけです」
「1件あたり最低100万だ。客先が良けりゃボーナスもやる。2億だから年間20件もこなせば10年で返し終わるな。ああ、だが利息もつけるぞ。慈善事業じゃない。利息制限法に則ると、100万以上の借入の利率は上限値が年間15%だ。だが、俺は清く正しい不動産屋だからな。10%にまけてやるよ。毎年1回、夏の終わりの残高に10%だ。お前がやる気を出しゃ、死ぬまでには返し終わるだろ」

 話し終えると、御嶽は書類を出した。祈が母印を押すと、麦茶を飲み干し、ニヤリと笑う。

「がっぽがっぽ、儲けようぜ。よろしくな、祈」

 かくして祈は、御嶽にに案内された物件を除霊ーーリフォームーーするバイトを始めることとなった。

 自分はただの道具だ。感情はいらない。ただ言われるがままに事故物件に住み、幽霊がいなくなれば良い。そうして、人の良かった父の借金が少しでも減るなら……。

「死んだら褒めてくてるかな、お父さん」

* * *

清く正しい不動産屋


「あらぁ、ランチ来ないの斎場さん?」
「そんなツンケンしないで、せっかくあたしらが声かけたんだからさぁ」
「まぁまぁ。一人が好きなんですよ、斎場さんは」

 おばちゃん達が去る。ランチといっても気取ることはない。たかが清掃バイトの昼休憩だ。
 誰かと食事をするのは得意じゃない。貧相な弁当。毎日おにぎりだけを食べていたら、同級生からそう言われた。迷惑をかけているわけではないので放っておいてほしいが、人をからかうことで満足感を得る人種がいるのも確かだ。それ以来、できるだけ一人で食べるようにしている。

「あ、ローズマリー」

 公園のベンチでおにぎりを頬張る。いつもの席は先客がいたので、今日は奥の方まで来たのだが、おかげで良いものを発見した。
 いそいそと、摘む。野菜と炒めてもおいしいし、リフレッシュ効果が高いのでお湯を張ったタライに入れておくだけでも良い。殺菌効果もあると言われて、夏には重宝するハーブだ。

「見て見て。根暗が雑草摘んでる。うける〜」
「ふふふ、だめよぉそんなこと言っちゃ。清掃さんに悪いでしょ」

 祈が働いているオフィスビルで働いている女性たちだ。以前、ゴミのポイ捨てを注意したのを根に持っているのか、すれ違うたびに嫌味を言われる。
 祈は気にせず、おにぎりが入っていたビニール袋にローズマリーを詰める。

 ダボダボダボダボ……

 頭の上から冷たい水が降って来た。首を上げると、顔を歪めて嗤う女が見える。

「そんな顔しないで。水やりが必要でしょ、雑草にも」

 そう言うと、空のペットボトルを落とした。コロコロと、祈の足元まで転がってくる。祈りはそれを拾い上げると、無表情のまま立ち上がる。

「何よ、なんか文句でもあ……」

 話しかけてきた女性の目の前に立った。爪先立ちになり、鼻先がつくくらいに顔を近づける。

「……」
「……な、なっ」

 彼女が動揺して耐えきれなくなったところで、肘にぶら下がるコンビニ袋の中に、ペットボトルを入れた。

「ポイ捨ては、禁止です」

 それだけ伝えると、スタスタと立ち去る。

「……っこの、掃除しかできない、能無し!」

 人からの評価などどうでも良い。

* * *

「だぁかぁぁらー、うちはそんなチンケな仕事はしないの!」
「いやでも、ここですよね、事故物件をどうにかしてくれるって噂の……」
「うわさだよ、ただの噂。うちは、清く正しい普通の不動産屋なの」
「そこをなんとか〜」
「賃貸ロンダリングなんてみみっちいこた、自分とこのバイトにでもやらせとけ!」

 御嶽は小太りのアパートオーナーを蹴飛ばして店の外へ出す。

「あー鬱陶しい。一太、塩撒いとけ」
「へい」

 社員の一太が給湯室へ向かうと、ふたたびドアの開く音がした。

「しつけーな、うちは……ああ、アンタか」
「久しぶりだねぇ、邪魔するよ。紹介したい人がいるんだ」

 馴染みの社長だ。もう70近くだが、御嶽が「アンタ」呼ばわりしたところで気にも止めない。好々爺だ。

「初めまして、金城と申します」

 小柄な男だ。にこにこと、貼り付けた笑顔は仮面のように見える。50代か、もしかしたら60を過ぎているかもしれない。日焼けをしているので若く見える。

「初めまして、御嶽です。ご覧の通り、不動産業を営んでおりまして。お部屋をお探しですか? それともご購入で?」
「いえいえ、リフォームをお願いしたく参りました」

 パチン。と指を鳴らす。一太が入り口の鍵を締め、カーテンを引いた。

「……どのような物件か、お伺いできますか?」
「社宅として使用中の物件です。私、芸能事務所を営んでおりまして、ああ、こちらを」
「頂戴します」

 差し出された名刺には、大手芸能事務所の名と代表取締役の文字が。

「実はひと月前に殺人がありまして。デビューしてしばらく経った子なのですが、強盗が入ってきたときに、たまたま部屋に居合わせたらしく。可哀想に。警察の方の捜査も終わりましたので、新しい子を住まわせようとしたのですが……」

 言葉を詰まらせる。

「おかしなことが起こるんだって。誰もいないはずなのに電気がついたり消えたり、勝手に水道が流れたり。夜中に変な声も聞こえるって」

 好々爺がサポートしてきた。

「実際に私が見たわけではないのですが、なにぶん、若い子ばかりなので怖がってしまって。売ってしまっても良いのですが、生憎と『出世部屋』なんですよ」
「出世部屋?」
「ええ。そこに住むと、のちのち『売れる』ことで有名な部屋なんです。スポーツ選手の寮なんかでも、あるでしょう時折」

 ただの部屋なら二束三文で処分しても良いが、部屋そのものに価値があるらしい。

「ああ、それはお困りでしょう。しかしね金城さん、近々の事件は扱わないことにしてるんですよ。申し訳ないのですが」
「そこをなんとか、お願いします!」
「……困るなぁ社長。古いのしか受けないって知ってるだろう?」
「いやぁ知ってるけどさ、だって困ってたから、金城さん。可哀想じゃないか」

 御嶽が受ける除霊ーーリフォームーーは、最低でも五年以上前からの難物件だけだ。死んだばかりの霊は気が立っていて、面倒になることが多い。

「そう言われてもねぇ、うちが危険になるからなぁ」
「相場より、うんと載せてくださって結構です。最低でも三倍は出します。何よりあの部屋が、大切なのです!」
「と言われましても……祓うのは人間ですから。万が一のことがあっては取り返しが……」
「何でもします! 私にできることなら何でも、芸能人はお好きですか? サインでもポラロイドでも、うちの事務所の子なら、誰でも」
「芸能人ったって……」
「あ、きららちゃんの事務所ですよ、社長」

 黙って控えていた一太が、スマホを見ながら言う。

「ほら」

 見せられた画面にはペットボトル飲料のキャンペーンサイトが映る。提供欄に、金城の会社名が載っていた。

 死にたての霊は荒々しい。苦しみや悲しみを強く訴えて来るもの、どうにか引きずり込もうとしてくるものも少なくない。
 未だ、自分が死んだのだと気づいていないこともある。やたらと話しかけてきて、無視をすると激昂する。怒り狂って初めて、自分が死んでいることを悟る。

 死んで数年経てば、自分の状態を把握できている霊が増えてくる。中には危険な奴もいるが、多くは「逝き方」が分からず止まっているもの達だ。リフォーム中に何となく察し、何となく成仏する。
 ポイントは、刺激しない。怒らせない。そして、満足感を与える。

 表向きは不動産屋。その実、事故物件の除霊ーーリフォームーーを行うのが、御嶽の会社だ。全国に知られるほどの事件が起きた場所。長年放置せざるを得なかった場所。貸せない。売れない。それらのオーナーは、法外な値段を払ってでも、除霊ーーリフォームーーをして欲しがった。

気が向いたら、いつでも逝って

「600ー600……ああ、ここだ。ゴールデンハウス」

 六本木の交差点から随分と奥まった場所。タワマンではなく普通の、しかし綺麗で整った建物がたくさんひしめく場所に、そのマンションはあった。

「すみませんね、いつもなら社長が案内するのに。今日はどうしても外せない大事な仕事があって」
「観覧ですよね、アイドルの番組」
「……え?」
「SNSに載ってました。削除したほうがいいですよ、怒られると思います、制作さんに」
「……すみません」
「いえ。それよりボーナスの件は、しっかり頼みますね」
「はい、それはもうバッチリ。基本給プラス成功報酬の20%上乗せで、社長もOK出してます」

 祈とて、直近の殺人現場は好きではない。暴走率が高いし、死にたての霊は元気だ。元気という表現があっているかどうか不確かだが、とにかく元気で機動性が高い。要するに、面倒だ。
 一太と祈は無言のまま内廊下を歩く。606と書かれた扉を見つけると、カードキーをかざした。鍵の外れる音がする。
 一太は、ノブに手をかけない。どうしたのかと祈が隣を見ると、土のような顔色をしている。唇は紫だ。こわいのだろう。

「お邪魔します」

 一言添えて、祈が扉を開けた。

「……ヒィ」

 明るい。廊下の向こう、部屋の奥から光が入る。中へ進むと、リビングの窓から差し込む西日だった。祈はベランダのドアを開ける。風が入り、レースのカーテンがゆらゆら揺れた。
 広いリビングだ。15畳ほどだろうか。ソファーにローテーブル。テレビが置いてあるがダイニングテーブルなはい。家具が少ないからか、余計に広く見える。リビングからはキッチンに繋がり、半オープンの仕様だ。必要な家電や食器類は揃っているようだった。
 廊下の右側には風呂トイレなどの水回りが。向かいのサービスルームにはデスクと、筋トレ用と見られる器具、ヨガマットなどが置かれている。
 リビングへ戻り、引き戸を開けると寝室があった。広めのベッドが置かれている。リネン類はクリーニング済みと聞いている。どうやら快適に過ごせそうだ。

「……ヒィ」

 寝室をのぞいていると、一太が怯える。ここだ。この部屋のクローゼットとベッドの間。身体を複数回刺された上に、延長コードで首を締められた状態で、以前の住人は見つかったと言う。死因は窒息。

「い、います?」
「いないです」

 ベッドの周りに、霊はいない。家の別の場所にいるのか、どこかに隠れているのか、もう成仏したか。
 祈はあたりを見回して、クローゼットの異変に気づく。何か、布が挟まっていた。緑色の生地が見える。確か、私物は全て引き揚げたと聞いているが……

「……?」

 近づいて、クローゼットの取手に手を掛ける。何かの気配がした。

 ガタガタガタ!

「ぴぃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 叫ぶ一太をよそに、祈は戸を引く。

「わぁぁぁぁぁ違う! 違う!! 僕は幽霊じゃない!」

 一人の男性が、飛び出してきた。

* * *

「改めまして、清原永護です」
「佐野一太です」
「斎場です」

 清原は、金城の芸能事務所に所属する俳優の一人だ。
 180cmと高い身長、今年で21歳だと言う若さに見合った細身の身体。役柄に関係しているのか、髪は随分と明るい金色に染められた。西日にあたるときらきら光る。涼やかな目元に、整えられた眉。カラコンは入れてないのか、茶味がかった眼からは日本人らしさがうかがえる。

「ジョモンボーイで審査員賞をもらって、それで社長に声をかけてもらいました。去年、MHKの連ドラで脇役やって、今年はこれから2本、映画が公開されます。3本目も撮影中で」

 事故物件だと、知ってはいた。けれど「出世部屋」に住める機会を逃したくなくて、この部屋に引っ越してきた。

「僕の前にも二人住んだんですけど、二人ともメンタルがやられちゃって。僕も、何だかおかしいぞって、住み始めて2、3日ですぐにわかりました。」 

 不可解なことが起こるのは、主に夜中。電気やテレビがついたり消えたりし、女性の泣き声と叫び声が聴こえる。寝ているときには息苦しくなるなど。

「社長に報告したら、もうどうしようもないから業者さんを入れるって。あなた達ですよね?」

 二人の前で、清原は正座をし直した。

「僕、今が大事な時なんです。今が一番踏ん張り時で、ここで頑張れば一気に主役を張れる俳優になれるんです。僕にとっては、今が一番、出世部屋が必要なタイミングなんです」

 背筋を伸ばして、大きな声で叫ぶ。

「一緒に、住まわせてください!」
「無理です」
「えええええええ!」

 清原の叫び声が祈と一太の脳天に響く。

「一応、女なので。男性との同居はお断りします」
「い、いやいや、二人でなければいいですよね? この三人なら合宿みたいなものだから問題ないですよね?」

 清原は一太に向く。

「無理です」
「えええええええ!」
「すみません、私、怖がりなんで」
「専門の業者なのにぃ?!」
「ああ、専門と言っても担当はこの方だけです。私はもっぱら賃貸売買の仲介がメインでして」

 清原は、祈の方を半目で見る。疑わしそうな目つきだ。

「専門って……この子、学生さんじゃ……」
「社会人です。成人しています」

 清原はじっと、祈を見つめた。一太は用が済んだとばかりに立ち上がる。

「じゃあ祈さん、あとはよろしくお願いしますね」
「……いのり?」
「はい、斎場祈です」
「……さいば、いのりちゃん?」

 突如の馴れ馴れしさに、祈と一太がいぶかしがる。

「わぁぁ違う違う。僕だよ、永護! 清原永護。小学生の時、調布市の施設で一緒だった永護だよ!」
「……えい、ちゃん?」
「やっぱり、祈ちゃんだよね。お父さんが迎えに来て退所した。うわぁ久しぶり、元気だった?」
「……どゆことです?」

 母と二人で暮らしていた。古いアパートを、転々としていたのは覚えている。5歳の時にその母が祈を置いて蒸発し、警察に保護されてからは児童養護施設で入れられた。父だと言う人に引き取られるまでの6年間、11歳まで、祈と永護は同じ施設で育った。いわゆる幼馴染だ。施設を出てからは会ってない。

「そっか。亡くなってしまったんだね、お父さん」
「いい父でした。まぁ、借金は残したけど、人のいい、優しい人でした」
「そう。……いいな、うちは迎えに来る人は居なかったから。祈ちゃんが居なくなって寂しいのもあったけど、迎えに来てくれる家族がいるのが、やっぱりうらやましかった」

 永護は記憶にないほど幼い時に育児放棄で保護されて以来、親も親戚も、誰も迎えに来なかったという。

「定時制に通ってる時、同級生がジョモンボーイに他薦応募して。お陰で人生変わったよ。事情を話したら、社長はレッスン費だけじゃなくて生活費も払ってくれた。ようやくオーディションにも合格し始めて、人並みにお給料ももらってる」

 搾取されがちな業界ではあるが、きちんとしてもらえているのだと、永護は説明した。

「貧しさは、悪だ。僕の両親も、貧しさから心がすさんだ。僕は稼ぎたい。出世して、たくさん稼いで、同じような環境で苦しむ子供たちの力になりたい。それから、大事な人を守れるようになりたい」
「えいちゃん……」
「じゃあ、解決ですね」

 一太がポンっと手を叩く。

「他人同士ならさすがに私もどうかと思いますけど、旧知の幼馴染で一緒に生活をしていた人なら同居しても問題ないでしょう」
「そうですよね! 良かった。ありがとう、祈ちゃん! 僕、がんばって出世するよ!」

 さすがに祈も抵抗する。旧知の仲だろうが、幼馴染だろうが、今現在は大人同士だ。同居していいわけない。

「お断りします。大体、同じ年代の女性と同居だなんて、いくら相手が私のようなちびでガリでも、ファンの方にばれたらえいちゃんの人気が下がります。出世の道が絶たれます」
「大丈夫。何戸もあるマンションだもん、バレようがないよ」
「いえ、依頼主の社長にも顔向けできませんし」
「ああ問題ないです。この部屋の除霊ーーリフォームーーさえしてくれたら、あとは何でもいいって言われてるんで」

 一太がいらぬフォローを入れた。お前はどちらの味方だ。祈がひと睨みする。

「頼むよ祈ちゃん、この通り。そうだ、僕からも祈ちゃんにバイト代出すから!」
「いえ、何もしないのにお金を貰うわけには……」
「じゃあ家事、家事して。掃除と洗濯と、時々食事。僕の分もやってくれたら、その分のバイト代出す。日給1万でどう?!」

 あれよあれよと、祈と永護の同居が決まった。

 

 ガラッ……

「いない」

 カチャ……

「ここにもいない」
「本当に? 本当にいない?」
「いない」

 永護が大きなため息をついた。見えはしないが、部屋の中に霊がいるかもしれないと思うと怖かったようだ。

「あとは、さっきえいちゃんが隠れてたクローゼットの……」
「ああ、そこは大丈夫だよ。さっき僕が隠れてたけど、何も感じなかったもん」

 ガラガラ

 扉を引く。服は入っていない。いくつかハンガーが下がっているが、スカスカとした空間が広がる。これだけ広ければ、確かに、身体の大きな永護でも簡単に隠れられただろう。

「いた」
「ほらね、だいじょう……って、えええええええ!?」

 小さく小さくなった霊が、大人しそうに、奥の方にまるまっている。少し震えているようにも見える。怖がられているのだろうか?

「こんにちは」

 霊は応えない。だが、祈から視線を外さない。

「初めまして、斎場祈です。今日からこの部屋に住むことになりました。よろしくお願いします」

 心霊現象をおこすような霊には見えない。夜になると豹変するのだろうか。ひとまず、礼儀に則り、丁寧に挨拶をした。祈の、いつものやり方だ。
 背中に圧を感じる。ガタイの良い永護が、祈の背にぴったりとくっついていた。震えているのがわかる。

「ヒィ……」

 一太が帰っていてよかった。こんな反応するのが二人もいたら面倒だ。

「この家から出て行ってもらえませんか?」

 背後の人物は無視して、祈は霊に話しかける。霊は、困ったような顔で祈を見上げた。

「分かりますか、逝き方?」

 霊は何か言いたそうな顔をして、しかし、なにも言葉を発しない。

「こわいこわいこわいこわ……」

 背後に隠れる永護が、肩をつかんでガクガクと揺らしてくる。倒れそうだ。 

「邪魔しないでください」

 掴まれた手をぴしゃりと叩く。祈は再び、霊に向かう。

「ここはもう、あなたのいるべき場所ではありませんよ。早めに逝った方が、あなたのためです」

 霊はやはり応えず、今度は顔を下に向けてしまった。祈との会話をやめたいようだ。

「……気が向いたら、いつでも逝ってくださいね」

 祈はクローゼットを開けたまま、寝室から出た。

「こわっ!!」
「こわくないですよ、あれは、悪さはしないタイプです」
「いやいやいや。実際、僕はいたずらされたんだって。照明は付いたり消えたりするし、TVも急に点くし、夜中には変な声が聞こえて、重くて苦しくて眠れないし……」

(苦しい……?)

 この世には、悪さをする霊と、しない霊の二種類しかいない。さっきのは、確実に後者だ。だとすると……。

「早く祓って、祈ちゃん」
「できません」
「なんで?!」
「悪さをしていない霊にアクションを起こしても効かないんです。霊の力が暴発しているときなら能動的にどうにかできますが、向こうが何もせず穏やかである場合は、霊自らの意志で逝ってもらうしかありません」
「そんなぁ……」
「ご自身で、何かに納得してもらうしかありませんね」

 永護がじろりと横目でにらむ。

「何かって?」
「それは、本人しか知りません」

 ドサリと音がする。永護が床に崩れ落ちた。泣いている。

「私にできることは、ただ住んで、出ていく気になってもらう事だけです」

今日から友達


 『疲れた。死にそう。祈ちゃんのご飯が食べたい』

 清掃バイトを終えオフィスビルを出る。そこで数時間ぶりにスマホを見た。
 永護と霊との奇妙な同居生活が始まりひと月。朝は清掃バイト、夜は居酒屋バイト、時折深夜に交通整理のバイトと決まり切った生活を営む祈とは異なり、永護の仕事は不規則だった。早朝、深夜、仕事に呼ばれたら何時でも出かけていた永護だが、この頃は、ほとんど家に帰れないくらいに出ずっぱりだ。映画が公開されると、連日CMが流れ、宣伝のために情報番組やバラエティにも呼ばれる。興行収入もまずまずとあって、驚くほどに露出が増えた。『出世部屋』とは、あながち間違っていないのかもしれない。

 家事を担当することを条件に永護からバイト代を受け取っているが、貰うのが申し訳ないくらい、永護は家へ帰らない。食事は作らなくてよいと言われていた。LIMEに表示された文面をもう一度確認する。『祈ちゃんのご飯が食べたい』。
 確かに、同居を開始して1週間ほどは毎日食卓を囲っていた。ハンバーグやカレー、肉じゃがに焼き魚など何の変哲もない家庭料理だが、彼は喜んで食べていた。「おいしい!」という言葉はお世辞に聞こえなかった。仕事で忙しくなったことを喜んでいるのは確かだが、弁当生活には飽きてきたのかもしれない。

 『作りましょうか?』

 遅くなるかもしれないが、食事が用意されているとわかっていれば、永護も元気が出るかもしれない。冷蔵庫に何が残っていたか、思い返しながら歩く。すると、スマホが揺れた。

 『うれしい、ありがとう! 今日はクジテレビの収録なんだ。スタジオで分かるようにしておくから、持ってきてくれる? 何時になっても大丈夫だからね!』

 祈は、スマホをしまうと方向転換する。弁当となれば、スーパーに寄らなければならない。大きく、ため息をついた。

* * *

「だーかーら、聞いてないの。だぁめ」
「ですが、話をしておくと……」
「あーはいはい。そうやって何人も入り込もうとするんだから。使い古された手口だよ、お嬢ちゃん。あのね、こんなことしてもkiyoは喜ばないんだからね。ファンならファンらしく、kiyoや局に迷惑を掛けるようなことはしないで、真面目にお茶の間で応援する。それが正しいファンの姿ってもんだよ」
「……わかりました」

 警備員の前を離れると、祈はスマホを取り出し永護にメッセージを打つ。

 『ごめんなさい。持ってきたけど警備員さんが入れてくれなかったのでこのまま帰りますね』

(よし)

 やるべきことはやった。頼まれた弁当も作ったし、実際にここまで持ってきた。『話を通しておく』と永護は言っていたが、何かの手違いでもあったのだろう。それは祈のせいではない。
 送信できたのを確認すると、元きた道を戻る。確かに、若い女の子だらけだ。出待ちだろう。永護のファンだけではないだろうが、日々これだけの人間をうっかり建物の中に入れないよう気を付けなければならない警備員も大変だ。

 ポケットの中で振動がする。電話だ。

「はい」
「あ、祈ちゃん? まだ局の近くにいる?!」
「はい、1階の入口を出て駅に向かってるところで……」
「戻って! 今すぐ戻って! 警備さんには伝えたから、大丈夫だから!!」

 振り返ると、先ほどの警備員が追いかけてくるのが見えた。

* * *

「んぉいひぃぃぃ」
「それは良かったです」

 迎えに来た警備員は青い顔をして謝ってきた。そのまま入口、内扉、EVから楽屋までノンストップで案内される。楽屋から永護が出てくると床に頭をこすりつけんばかりに謝罪の言葉を口にしたが、騒ぎになっても困るので、と帰された。
 永護のマネージャーはディレクターに呼ばれたから、と出ている。祈は勝手にしてよいか迷ってから、備え付けの茶器でお茶を淹れる。

「はぁ、最高。いつものご飯も、食べたことないのも、全部おいしい」
「恐縮です、どうぞ」
「ありがとう。これ、特においしい。鶏肉。不思議な香りがするけど、何が入ってるの?」
「ローズマリーです。血行促進の効果があります。疲労回復も期待できますね」
「ローズマリーかぁ……すごいなぁ祈ちゃんは、いろんなことを知ってて」
「一般的なハーブですよ。知ってる人も多いかと」

 永護は差し出されたお茶を飲む。

「毎日お弁当じゃ味気なくてさ。久しぶりに、あったかいご飯を食べられたよ。本当に、ありがとう」
「いえ、炊事は仕事の一環ですし」
「ははは。じゃあここからは仕事抜きね。あと1シーン撮ったら帰れるんだ。祈ちゃん、せっかくだから見学していかない?」
 

* * *

 御嶽の、番組観覧に対抗したわけではない。断じてちがう。何事も経験だ。と心を決めて、祈はスタジオの端に立った。

「暑くない?」

 永護のマネージャーが気を使ってくれる。小太りの彼は、額からも首からもだくだくと汗を流す。

「平気です。これ、使います?」

 弁当のために持ってきていた保冷剤を差し出す。未だ半分くらいは冷えていた。

「すごいですね、永護さん」
「ん? ああ、kiyoの演技見るの、初めて?」

 保冷剤を首に当てながら、マネージャーが聞いてくる。カメラチェックをして、軽く流したところだ。これから本番の撮影が始まる。

「お恥ずかしながら、映画も見る機会がなくて」
「kiyoはすごいよ。すごい努力家。レッスンも真面目に通って、講師に言われたことは必ずクリアにしてくる。吸収率が高くて……スポンジみたいって、kiyoみたいな奴のこと言うんだろうな。なかなか、簡単にできることじゃない」

 永護はメイク直しを受けている。涼やかな目元が、さらに磨かれる。役のことを考えているのだろうか、それともすでになり切っているのか。アンニュイな表情がなんとも言えない。

「昔から、ああだったの?」

 マネージャーには、幼なじみだと伝えてある。除霊ーーリフォームーーの件も含め訝しがられるかと思ったが、存外受入が早かった。それだけ、いろいろなことが起こる業界なのだろう。

「そうですね。決めたことはしっかり取り組むタイプでした。小さい子の面倒は率先して見ていたし、でも勉強もしっかり取り組んで成績もよかったです。怖がらずになんでもチャレンジして……失敗しても失敗と思わない、と言いますか」
「ああ、そうそう。それがkiyoのいいところなんだよなぁ。すぐに折れちゃうやつが多くて、最近は」

 『決めた! 僕はずーっといのりちゃんと……』

(……あれ?)

 なんだろうか。記憶の中の、小さなえいちゃんが何かを言う。祈は、思い出せなかった。

* * *

 空気が重い。
 家の扉を開けた瞬間、異変に気付いた。消灯して外出したにもかかわらず、電気がついている。音はしない。しかし何やら、ピリピリとした雰囲気が、リビングの方から漂ってくる。

「下がっていてください、えいちゃん」

 一緒に帰ってきた永護を背に庇う。今から、よくないことが起こる気配がした。

「ゆ、幽霊?」

 永護の声が震える。祈は意を決して、リビングに通じる扉を開けた。

「説明してもらおうか」

 祈と永護は正座をしている。床に。
 扉を開けると、そこには御嶽がいた。一太も一緒だ。頬が赤い。誰かと喧嘩でもしたのだろうか。

「……と言うわけで、幼なじみであることだし、同居も特に問題ないね、と。そちらの佐野さんにもご快諾いただいて、今日に至ります」

 永護が経緯をかいつまんで説明した。「生きてる男と同居してるなんて聞いてない」と怒り心頭だった御嶽は、表情をピクリとも変えない。サングラスに隠れた目がどうなっているのかは、見えない。

「なるほど。じゃあ一太、お前の責任だな?」
「ヒィェ」

 冷気が漂う。怒っている。説明の甲斐なく、御嶽は怒ったままだ。

「一太さんのせいではないです。最終的には私が決めましたから。私の責任です」
「お前は黙っとけ。どうせバイト代にでも釣られたんだろ。家事代行とか、掃除してくれたらプラスで出すとか言われたんだろ?」
「そうです」
「いやぁぁぁ素直に言い過ぎですって、祈さん!」

 涙まじりの声で一太が叫んだ。

「悪いことですか?」
「んああ?」
「借金返済のために仕事を増やすのは、悪いことですか?」
「論点ずらしてんじゃねーぞ。俺は、未婚の男女が、同じ部屋で、同居してるのが問題だって言ってんの」
「霊とは同居させるのに……」
「霊は良いんだよ! 死んでんだろ、どうせ! だがこいつは生きてる!」

 隣に座っていた永護が、ずいっと祈の前に出てきた。

「失礼ですけど、あなたにどうこう口出しする権利、あります? もうお互いに成人しているんだし、当人同士がよければそれで問題ないですよね?」
「権利ぃ? あるに決まってんだろ。こいつは、うちのだ」
「プライベートにまで踏み込む権利はないですよ」
「あるんだよ。こいつは仕事もプライベートもないの。存在自体が全部、うちのもんなの」

 バチバチと、火花が散る。矛先がそれた一太は、カーテンの近くに避難した。

「大体アンタ、売れたいんだろ、若手人気俳優さんよ」
「……そ、そりゃ売れたいですけど。でも今それ関係ないですよね」
「あるあるー。女と同棲してるなんてバレた日にゃ、アンタの人気なんかガタ落ちだろうな。まだまだ売れたてだもんな? 週刊誌も、こう言う話題は欲しがるだろうな?」
「クッ……そんなことできないはずだ。あなたは、うちの社長から雇われてるんでしょう?」

 バン っと、大きな音がする。御嶽が一歩、足を出した。

(無駄に長い)

「そうだよ、よく知ってんな。俺を雇ったのはアンタんとこの社長だ。アンタじゃない。ついでに頼まれた業務はこの部屋の除霊ーーリフォームーーだ。よって、アンタの人気が上がろうと落ちようと、俺の知ったことじゃない」

 永護が膝の上で拳を握る。

「俺は売るぜ。金になりそうだもんな、人気若手俳優kiyoの初スクープ! 熱愛発覚か?! 見出しが目に映るなぁ」

 御嶽は立ち上がると永護の近くまで寄る。

「社長だって、別に大して困んねーだろ。アンタが売れなくても、他の誰かがこの部屋に住んでアンタ以上に出世すれば良い。アンタの代わりなんて、いくらでもいるさ」
「……ら」
「んあ?」
「……きららちゃんのサイン、もらうんだって?」
「……だったらなんだ」
「食事、セッティングする。研修生時代に同じ先生のところでレッスン受けてた。アイドルと俳優で接点は少ないけど、実は仲がいい。『友達を交えて食事しよう』って言ったらきてくれる程度には」

 カーテンの奥から、一太がボソリと呟く。

「そんなんで聞くわけ……」
「ンンンンんっ! そうかそうか、アンタなかなか良いやつだな! うん、今日から俺とアンタは友達だ!」

 肩を組んだ二人を見て、祈は寝室へ入った。

* * *

(この辺りのはずだけど)

 だたっ広い公園にいる。あれ以来、永護からちょくちょく弁当の差し入れを頼まれるようになった。居酒屋のバイトがない日は対応することにしている。
 今日は都内でも広くて有名な公園での撮影だと言っていた。大体のエリアは聞いているが、見つけられるだろうか。園内の地図を記憶し、北側へ向かって歩く。見つからないので、移動したのかもしれない。祈はスマホを取り出そうと立ち止まる。

 ぐいっと、腕を引かれる。
 5、6人だろうか、みんな女性だ。騒いではいけないような雰囲気を出してくる。祈は腕を引かれるままについて歩く。背の高い木が並ぶ場所まで来ると、ようやく立ち止まった。

「あんた、何なの?」
「kiyoの周りをウロウロしてるけど、はっきり言って迷惑なんだよね」
「私は……」
「あーいらないいらない、オトモダチとか家政婦とか、そう言うの聞き飽きたから。そう言う妄想はいらない」
「妄想ではなく」
「うるせーな」

 一人の女性が、カバンをひったくる。反動で、持参した弁当が地面に落ちた。

「あーあ、弁当なんか持ってきて。自分がどれだけ痛いことしているのかわからないの?」
「開けて開けて」
「やめてください」

 止めようとするが、二人に腕を掴まれて動けない。
 
「うっわダサ。茶色いんですけど」
「茶色すぎない? 土なんじゃない?」
「きゃははは、土だ、これ。土に返そう」

 一人が、弁当の中身を地面にぶちまける。唐揚げ、エビフライとナス味噌炒め。永護の好きなものを詰めてきたが、無残だ。

「これに懲りたら、うちらのkiyoに近づかないでよね」

 弁当箱を投げ捨てると、彼女たちは去っていった。

「あれぇ、コンビニ?」
「すみません、不注意でお弁当を落としてしまいまして。これ、代わりに」
「え、大丈夫? もしかして転んじゃったの?」

 頬に土がついていたようだ。さっき左手を掴む女に何かを押しつけられたような気がしたが、土だったか。帽子を深くかぶっていたので顔はわからなかったが、とことん陰湿だ。

「大丈夫です。それより、すみませんでしたコンビニしか見つからなくて」
「いいよいいよ、気にしないで。場所を移動しちゃってたから迷ったよね、こっちこそごめんね」

 今日も見学していくか、と永護のマネージャーに誘われたが、丁重にお断りをした。流石にそんな気分ではない。保冷剤は、いつも通りに差し入れた。

* * *

 ピロピロピロ……

 自動ドアの開く音がする。夜中のコンビニの入り口には、その光に誘われるように、若者と虫が寄せ付けられる。田舎も、六本木も変わらない。
 調味料コーナーへ向かう。弁当が無駄になってしまったことが何となく悔しく、永護が帰るまでに同じメニューを作って置こうと決めた。鶏肉やナスは買って帰ったが、うっかり醤油を切らしていた。

 無人レジで会計を済ませる。外に出ると、蒸し暑い。夜になっても涼しくない日が始まって、どれだけ経っただろうか。
 マンションへ向かう角を曲がる。細い道だが、ここからは道なりで一本だ。車のライトが当たる。後ろから来たのだ。先に通り過ぎてもらった方が良いだろうと、祈は道の端へ寄った。それが間違いだった。

「気がついた?」

 頭が重い。口を抑えられて何かを嗅がされた。意識がなくなっていたようだ、見知らぬ場所にいる。
 目の前には女が一人と男が三人。昼間の、公園でイチャモンをつけていた一団の中にいた女だ。祈の顔に泥をつけた、帽子の女。

「あなただったんですね」
「まぁね。腹たつったらないわよ、本当に。あんたみたいな掃除しか脳のない女がkiyoの周りをうろちょろしてるなんて。考えただけでゾッとするわぁ」

 掃除バイトをしに行っているオフィスビルで働く女性だった。ゴミのポイ捨てを注意して、仕返しに水をかけてきた女。

「ムカつくからさぁ、2度とkiyoに顔向けできないカラダにしてあげるね」

 後ろの男たちが動き出す。

「本当にいいんだな」
「だいじょぶ、だいじょぶ。どうせ友達もいない女だから。人付き合い悪いし、噂だと天涯孤独らしいし、相談相手なんかいないから」
「じゃあ遠慮なく〜」

 何をされるのか、想像はつく。女はニヤニヤと、スマホで撮影を始めた。

「記念撮影してあげるね。安心して、あんたが大人しくしてりゃ、どこにも出さないから」

(3人……さすがに無理か)

 格闘技経験はない。護身術も知らない。できる限りは逃げたいが、男性が3人もいれば振り切れないだろう。だが、ひとまず逃げる。

「そっち行ったって何もないわよぉ、廃屋だもん!」

 カメラを回した女が楽しそうに叫ぶ。

(隠れるところ……はなさそう。窓は)

 一番奥の部屋まで来ると、窓に駆け寄る。推してみるが、開かない。災害対策のためか、外側から木が打ち付けられているようだ。詰んだ。
 ふと、おかしな気配を感じる。捨て置かれた箪笥が目に入る。

 バンッ!!

 扉が開く。男が3人、後ろから女がついて来た。

「へっへっへ」
「鬼ごっこは終わりか?」
「じゃあ次は皆で楽しもうな」

 全員が部屋に入ると、扉が勢いよく閉まる。

「おい。開かなくなったら困るだろ、静かに閉めろよ」
「……え?」
「あ?」
「あ、あたし閉めてない」

(ふむ……)

 どことなく、冷気が漂う。先頭に立つ男が身震いした。

「あー、うっせ!なんでも良いや。やるぞ」

 気を取り直したのか、男は祈の腕を掴む。祈は男の目をじっと見た。

「何だよ、もっと嫌がるとか泣くとかしろよ。つまんねーな」

 悪態をついた瞬間、バチバチバチッと電流が走る。静電気の、10倍ほどは強い力だ。

「……ってぇぇ」

 男が手を庇って蹲る。

「あははは、ダッサー。静電気くらいで大袈裟だなお前」
「いや、ちがう! 静電気なんかじゃ……」

 部屋の電気がつく。もちろん、電球は入っていないし、電気も通ってないだろう。そしてすぐ消えた。点滅を繰り返す。

「ひ、ひぇぁああああ」

 一番後ろにいた男が扉へ走る。ノブをガチャガチャと回す音はするものの、開かないようだ。

「だ、出してくれ! 俺は何もしてねー!」
「うるさいわね! 大袈裟なこと言わないで、とにかくやっちゃってよその女!」

 女が叫ぶ。すると、女の持つスマホがポンッと音を出し煙が出る。

「あああああたしのスマホが!」

『鬼ごっこはいや』

 どこからともなく、声が聞こえる。

『鬼ごっこはいや。かくれんぼしよう』

 ガタガタガタ……

 箪笥が揺れる。男3人と女が叫ぶ。

『かくれんぼ、しーーよぉぉぉおおおおおおおおおおおおお』

 大きな声と共に、着物姿の女の子が部屋の中央に浮き上がる。顔が溶けている。

「「「いぃやぁぁぁあああああああ」」」

 全員が、叫びながら扉へ走る。誰も触らないのに、今度は扉が開いた。
 ばん、ばん。と音がする。どうやら、家中の扉が開いたようだ。
 祈を連れてきた4人は、そのまま走り去って行った。

『かくれんぼしよう』

 話しかけられる。

「いいよ。どっちが隠れる?」
『わたし、わたしが隠れるの』
「じゃあ、10数えるね。いーち、にーぃ、さーん……」

 祈が淡々と数え始める。

『ふふふ、見つけられないところに隠れちゃお。お姉さんが、絶対に見つけられないところ……いっちゃお』

 そのまま、薄くなる。着物の向こうが透けて見えた。女の子は、笑顔だ。

「いいよ。私が絶対に見つけられないところに、逝って」

 女の子は笑顔のまま、透明になった。
 静寂が訪れる。

「ありがとね、助けてくれて」

 ガタガタ、ドンっと大きな音がした。

 バタバタと走る足音が近づく。扉の向こうからやってきたのは、永護だった。

「祈ちゃん、大丈夫?!」
「えいちゃん」
「何もされてない? あああ怖かったよねぇ、ごめんね来るのが遅くなって」

 永護は祈の顔や腕をペタペタさわった。ケガがないか、傷がないかを確かめるように。

「くすぐったいです」
「だって、だってぇぇぇ」

 涙目だ。なぜこんなにも、心配そうにするのだろうか。たかが幼馴染だ。ほんの5.6年、一緒にいただけに過ぎない自分を、なぜ。

「それよりえいちゃん、どうしてここが?」
「ああ、御嶽さんから連絡があったんだ。祈ちゃんが変な場所にいるって。危なそうだから迎えに行ってやれって」
「なぜ、変な場所にいると?」
「スマホでしょ。『探す』の機能で見つかるように登録してあるって……え、祈ちゃん知らなかったの?」

 たしかに、スマホは御嶽からもらったものだ。初めから設定されていたのだろう。

「いえ、問題ありません」

 わかっていたのなら、もっと早くに迎えにきてくれればよかったのに。と、思ったことは口に出さないでおこう。

父という人


「お疲れ様でした」

 23時半。居酒屋のバイトが終わり、駅へ向かって歩く。あれ以来、遅くなる時はタクシーを使うように言われているが、どうも気後れしてしまう。とは言え、レシートがないと電車で帰ったことがバレるため、六本木を降りてからマンションまでの近距離でタクシーを使うことにしていた。
 新宿駅に近づく。大通りを渡ろうとしたところ、ガラの悪い男に話しかけられた。

「ねぇちゃん、ちょっとだけ付き合ってくれるかい。一杯でいいんだ」
「お断りします」
「断れる立場じゃねぇだろ、斎場さんよぉ」

 男が近づいてくる。

「これ、何だかわかるか?」
「借用書と書いてありますね」
「そうだな、そんでここには、お前の親父のサインがある」

 祈の父の名前が書いてある。だが、父の字かどうかは、判別できない。

「全て精算したはずです」
「俺もそう思ってたんだよ。だがなぁ、コレが出てきたんだわ、つい最近。漏れちまってたんだなぁ残念ながら。さ、払ってくれ」

 書面には5000万の文字が見える。

「払えません」
「だよなぁ。じゃあ、お前にできる事は一つだ。さ、着いてこい」
「お断りします」

 祈は走った。

「あ、こら待て」

 追いかけてくるが待ってやる義理はない。止まっていたタクシーに合図して中に滑り込む。

「出してください」

 運転手はドギマギしたようだが、緊急事態を悟ったか、すぐに出してくれた。

「六本木までお願いします」

 面倒なことはごめんだ。逃げられるのなら逃げた方が良い。

 人の良い父だった。
 穏やかで、野心がなく、どこか抜けていてる人だ。記憶がないほど幼い頃に、母に連れられて出て行った。理由は知らない。5歳まで母と共に過ごし、各地を転々とする。行く先々で、どことなく雰囲気の違う人たちに出会った。いま思い返せば、みな幽霊だったのだろう。
 賃貸ロンダリング。
 今ほど法令が整備されていなかった頃、必要とされた仕事だ。事故物件には告知義務がある。「事件事故が起きたら、次に住む人には、必ずその内容を伝えなければならない」という義務だ。初めの一人に告知すれば、二人目以降は伝えずとも貸し出して良い、と都合よく解釈された。本来なら二人目、三人目にも伝えなければならないのかもしれない。だが長い間、業界の慣習として「一人に伝えればギリギリOK」とされてきた。数ヶ月住み「告知義務を果たした」として次の人へ貸し出す。母は、そういう仕事をしていた。
 行く先々で母以外の人と会話し、気味悪がられた。5歳の時、著名な幽霊屋敷に住み、そのまま母に置いて行かれた。

 母がいなくなって、児童養護施設に連れて行かれるまでの間の記憶はない。……ということになっている。食事をどう調達していたのかはわからない。だが、食べ物はいつの間にか用意されていた。風呂にも入った。遊ぶ相手は、たくさんいた。
 一度だけ、警察に話したことがある。

『みんながいたからさみしくなかった』

 怪訝な顔をされ、深く聞かれたので二度と言わなかった。警察は「記憶の混同」として処理した。
 11歳になった頃、父が迎えにきた。記憶になかったが、戸籍をみればどうやら実父らしい。よく見ると、たしかにどことなく似ている気もする。

 父との暮らしも裕福ではなかった。工場勤務の父は最低賃金に近しい金額で働き、やはりボロアパートに住んだ。毎週金曜日の夜に缶ビールを一本だけ開ける。それを楽しみに生きているような人だった。不器用で、上手くやろうとすればするほど失敗してしまう父。みんなからいろいろ押し付けられる父。周りに溶け込もうとしてもどことなく疎まれる父。他人から父が軽く扱われるのを見るたびに、祈の心は痛んだ。強く生きようと決めた。自分は誰とも仲良くならなくていい。父がいればいい、と。
 「友達」と名乗る人の借金の連帯保証人になっていたことは、父が死んでから初めて知った。祈はその「友達」に会った事がない。突然迎えにきた時と同じように、父は、ある日突然交通事故で死んだ。

* * *

「北ブロック……」
 
 祈は港にいる。所狭しと、倉庫が立ち並ぶ場所だ。今日の撮影はこの倉庫のうちの一つだと聞いている。

『ごめん、大事な衣装を忘れちゃって。持ってきてもらえないかな?』

 永護からメッセージが届いた。日曜日の今日は清掃バイトはなく、居酒屋もシフトが入っていない。数少ない休日だ。とは言えやる事はない。風呂、トイレ、台所もピカピカに磨き上げたし、他にすることもないので要望に応えることにした。
 
(366、366……)

 指定された番号を探す。単純に並んでいるわけではなく、増設や分割を繰り返したらしい倉庫街は迷路のようだ。

(突き当たったら、右か)

 目当ての場所を見つけた。地図から離れて歩き出すと、声を掛けられた。

「よぉ、また会ったな」

 昨日の男だ。もう何人か、仲間を連れている。祈は歩いた。

「無視すんな!」

 男たちに囲まれる。

「今日こそ逃がさねぇからな。さあ、来てもらおうか」
「祈ちゃん、こっち!」

 じりじり寄ってきた男たちを蹴散らすように、永護がやってきた。そのまま手を引かれ、走る。

「えいちゃん、どうして」
「休憩だったんだ! あの人たち、何?」
「借金取りです」

 短い会話でも、走っていると息があがる。さっき確認した地図は、もう頭から飛んだ。どこに何があるのか、どこに向かっているのかわからず、ただ走る。

「はぁ、はぁ、ちょこまか動きやがって。もう逃げられねぇからな」

 倉庫街の一角、袋小路になったような場所に追い詰められる。

「い、いくらですか?」

 永護が先に立ち、借金取りの男に尋ねる。

「5000万円だよ。何だ、兄ちゃんが肩代わりしてくれんのか?」
「うっ……さすがに……分割と言うわけには」
「いくわけねぇだろ。耳揃えて出してくんねーと」
「ダメですよえいちゃん、他人の借金の肩代わりなんかしちゃ。それに、あの借用書は偽造の可能性が高いです。もう御嶽さんが精算してますから」
「偽造? あなたたち、そんなことが許されるとでも……」
「だーーっちげーよ。新しく出てきたって言ってんだろ!」

 パーン、と乾いた音がする。永護が叩かれた。地面に倒れ込む。

「えいちゃん!」
「ガタガタ抜かすならもう一発ぶん殴ってやろうか!」

 借金取りが業を煮やしたのか、拳を振り回しながら近づいてくる。祈は永護の前に立った。だが、立ち上がった永護が、再び祈の前に出る。そのまま覆いかぶさってきた。その体勢のまま、永護が叫ぶ。

「暴力反対! 暴力は、反対です!!」

 ドガっ!!

 こちらに向かってきていたはずの男が、真横に吹っ飛んだ。祈と永護の前に大きな背中が見える。真っ黒いスーツ。

「よぉ、久しぶりじゃねーか」

 御嶽だ。

「どれどれ、借用書。ほぅほぅ祈の親父さんね、5000万ね、大金ダァ」
「あ、そ、その……」
「じゃあこれ鑑定に出そうかね、うちのお抱えに筆跡鑑定できるのがいるからすぐわかるさ。何てったって、3年前にお前らから買い取った本物の借用書がたっぷりあるからなぁ」
「いえ、これは……い、いやだなぁ御嶽さん、ほんの、ちょっとした冗談で……」
「冗談! 冗談かぁ、なるほどねぇ。何でこんな冗談?」

 もじもじしながら、借金取りの男が喋る。男についてきた数人も、御嶽が登場してからはおずおずと遠巻きにしている。

「いや、ちょっと今月ノルマが……あと何人か、若いのソープに突っ込んだら行けそうで、そんで、ちょっと、たまたま思い出して、斎場さんならちょうどいいかなーなんて……」

 ちょうどいいわけないだろう。ノルマだか何だか知らないが、勝手な都合でソープに売られたらたまったものではない。

「偽造だもんなぁ、これ。こいつのことだけじゃなくて、買い取った俺のこともコケにしてくれたってことでOK?」
「お、オッケーじゃ、ないです」
「そゆことだろ」
「いえいえいえ、あの……」
「どう落とし前つけんの? つめる?」

 御嶽の言葉に反応し、控えていた一太がドスを取り出す。持ち歩いて良いのかわからない物だ。

「ひぃぃぇす、すみませんご勘弁を!」
「そだな、勘弁したやらなくもない。何が必要か、わかるな?」
「は、はい!」
「今日中に事務所もってこい。誠意が足りなかったら……わかってんだろうな?」

 男は頭をブンブン、縦に振った。そのまま立ち上がると、一目散に逃げる。周りにいた者たちも引き揚げて行った。
 御嶽が振り返る。怒っているのかいないのか、サングラスの向こうに隠れた目が見えない。ツカツカ歩くと、祈と永護の前にしゃがみ込んだ。

「怪我は?」
「私はありません」

 祈にむけてさっと確認すると、続いて永護の方を向く。

「あーあ、売り物のくせに自分から傷作りやがって。三流だな」

 御嶽はハンカチを差し出しながら、呆れた声を出した。

  

飛鳥


 髪の毛一本、落ちていない部屋。ローテーブルとソファー、向かいにはTV 。相変わらず物は少ないが、空き瓶に差し込まれたハーブが、この部屋で誰かが生活していることを示している。

「ああ、こっちに居たんですね」

 寝室から出てきた祈は、霊に話しかけた。
 初日こそ、寝室のクローゼットから出ようとしなかったが、最近は家の中をウロウロしているようだった。大人しくしている。永護や依頼主の社長が訴えたような怪奇現象は、祈が住み始めてからは起こっていない。

(やっぱり、悪さをするタイプじゃない。だとしたらどうして)

 昼ごはんのお茶漬けを用意して、床に座る。ソファーで食事をするのには慣れていない。明日の天気予報でも確認しておこうと、TVをつけた。
 珍しく、霊が画面の方に寄る。

「TV、見たいですか?」

 祈はパチパチと、チャンネルを変える。気に入った番組があるなら、反応してくれるかもしれない。クジテレビをつけると、画面の中に永護がいた。

『kiyoさん、映画の見所は、ズバリどこでしょうか?』
『そうですね、家族の病気に借金にと苦労ばかりの主人公が、落ち込みながら何度でも立ち上がる。賢明に生きる姿を見ていただけたらと』
『勇気をもらえる映画です。是非ご覧ください』

 共演者だろうか。「夢乃」と紹介された若手の女優も発言した。そういえば、最近よく見る顔だ。
 霊は、食い入るように画面を見ていた。

 「飛鳥」と言う芸名だったそうだ。秋田の出身で、白い肌が綺麗だと言われた。アイドルデビューを果たして1年。所属グループの人気は高く、発表する曲はダウンロード数100万超と、どれも話題になった。映画の主演も決まり、女優転身が囁かれた。本人も希望したらしい。ある日、部屋に押し入られた強盗に殺害される。随分と荒らされてらしい。グループメンバーや事務所の社員への聞き取りも行われたが、全員アリバイがあった。恨まれるような性格の子でもなかったらしく、怨恨の線は消えた。有名人宅と知ってのことかは不明だが、たまたま居合わせたから殺されたのではないか、と言うのが捜査の結果らしい。留守にしていたら、助かったかもしれない。
 華々しい未来が、待っていたはずだった。

「未練、しかないですよね」

 かつて「飛鳥」だった霊は、じっと画面に食いついた。

* * *

「ひぁああいるの?!」
「いますよ、そこに。大人しいです」

 帰って早々、永護がTVの前に座ったので先客がいることを伝えた。霊感はないらしく、自分と霊が重なっていることに、かけらも気づいていない。
 脱兎の如く、彼はソファーの上へ移動した。

「な、何を……」
「今日は一日番宣を見ていました。えいちゃんがコメントする様子が出ると食い入るので、えいちゃんのファンなのかもしれません」
「いやいやいやありがたいけどありがたくない」

 二本目の映画が公開された。先月からのたて続きでkiyoが主演とあって、また話題になっているようだ。三本目の撮影も無事に終え、次の仕事も決まりそうだと、数日前に嬉しそうに報告してきた。  
 ちょうどkiyoのインタビューが終わった。霊が、永護の方を向く。何か言いたげだ。

「えいちゃんは、「飛鳥さん」とはお知り合いだったんですか?」
「いや、全然。あのグループは研修も独自だから。同じ事務所にいてもレッスンがかぶることはなかったし、会った事もないよ」

 だとしたら、本当にkiyoのファンなのだろうか?
 霊は永護に何かを訴えているようにも感じられる。一緒に連れて行こうとしているようには見えない。

「何か、言いたいことがありますか?」

 話しかけてみる。永護からすれば、空間に声を掛ける怪しい女に見えるだろう。怯えた顔をしている。
 霊はじっと永護を見つめ、にこっと笑う。

(あ、逝くかも)

 霊の存在が薄くなり始める。何だかわからないが、満足したようだ。こうして自分で逝ってくれるのが、一番ありがたい。
 そう思った瞬間、玄関が開いた。ドスドスと足音がする。

「入るよ」

 リビングの扉を開けたのは、事務所の社長、金城だ。

「社長? お、お疲れ様です」
「ああお疲れさん。ところでkiyo、それから業者のお嬢さんも、出ってってくれ」

 突然のことで頭が回らない。何がどうしたのだろうか。

「御嶽からは何も聞いていませんが」
「ああ、もういいんだ。随分おとなしくなったんだろう? 異変も起こらないって言うし、そろそろ大丈夫だろう、もう十分だ」
「御嶽は、何と?」
「……しつこいお嬢さんだな。依頼主がもういいと言ってるんだ、金は払うから出てってくれ。今日からここに、夢乃が住む」

 社長の後ろから、女性がひょっこりと顔を出す。先ほど永護と共にTVに写っていた夢乃さんだ。

「そ、そんな僕はまだここに住みたいです。3作成功するまで居るのが通例だと聞きました。あと1本、終わるまで待ってください」
「いやもう十分だ。今度は夢乃に譲れ」

 金城は頑として動かない。

「すみませーん、夢乃も出世したいんです。譲ってください、センパイ」

 夢乃の高い声が、部屋に響く。不意に、寒気がしてきた。
 霊だ。
 霊がフルフルと、身体を震わせている。先ほどは反対側が透けそうなほどに薄れていた身体が、すっかり色戻りしている。様子がおかしい。

「まずいです。今はまずいです、お引き取りください」
「うるさい! 金は払うと言ったろう!」

 金城を追い返そうとしたが、手を振り払われてしまう。反動で、床に倒れ込んだ。

「あ、あ、あー夢乃わかっちゃった。お姉さんkiyoさんと一緒にいたいんでしょ。霊だの業者だの言って、kiyoさんとの同棲を楽しんでたんですねぇ」

 粘着そうな声で、夢乃が嗤う。金城は虫をみるような目つきで祈を睨んだ。

「迷惑なんですよ〜お弁当とか衣装とか理由をつけて撮影場所にもきて。プロ意識に欠けるって言うかぁ」
「そうかのか?」

 金城は夢乃に確認をする。こっちに確認すべきだろうに。

「週刊誌にすっぱ抜かれでもしてみろ。慰謝料を請求するからな。全く、大事な商品を傷物にして」

 どれだけ冷たくされても、祈には痛くも痒くもない。だが、この部屋からは出てもらわないとマズイことになる。

「とにかく出て……」

 話している途中で閃光が走る。

 ドォォォォォン!!

亡者


 大きな音がして、部屋の明かりが消えた。パチパチと静電気のような音も鳴る。

「「ひぃぁぁあああああああああ!!」」

 永護と金城、それから夢乃。3人の叫び声が聞こえる。

(だから言ったのに!)

 煙のようなものがTVの前からもくもくと上がる。大きな塊に膨れ上がった霊が、人ではない顔をしている。

「だめ、暴走しないで」

 伝えてみるが、届かない。次の瞬間、目の前に映像が広がる。目を閉じても消えない。脳の中に直接、流れ込んでくるようだ。

『やめてください!』
『うるさい、俺の商品だ。俺が好きにして何が悪い!』

 揉み合う男女。金城と、可愛らしい女性だ。「飛鳥」だろう。

『そんなことするつもりはありません。お断りします』
『売れなくていいのか?』
『……』
『女優になりたいんだよな。いま俺の誘いを断ったら、二度と仕事ができないようにしてやるからな』
『……ぃ、いやぁぁぁぁ』

 女が逃げる。台所へ入ると、包丁を取り出した。

『こないで!』
『ふざけるな、お前、俺に向かってそんな態度が許されると思っているのか! こい、教育し直してやる!』

 金城が飛鳥の腕を掴む。再び揉み合う。

『許さないからな! 俺に逆らう奴は、一人も許さん! 俺はえらいんだ。なんでも持ってる、金も、地位も、権力も。全部俺のものだ。俺に逆らうな。俺の、言うことを聞けぇぇ!!』

 金城は飛鳥の首をしめた。ギュッと、強く、長く。
 しばらくすると、飛鳥はぐったりとした。金城は飛鳥の首から手を離すと、包丁で彼女の身体を刺す。深すぎない程度に。3回、4回。それから取手の指紋を拭いた。

 ドォォォォォン!!

 再び大きな音がする。

(戻ってきた)

 マンションの部屋だ。永護と夢乃が青い顔をしている。同じ映像が、彼らの脳にも入ってきたのだろう。金城は下を向いて震えている。

「し、社長……」

 永護が声を出すが、反応はない。金城は下を向いたまま、夢乃の方に歩いていく。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 夢乃が逃げる。祈の後ろへ隠れ、座り込んだ。
 祈は金城と対峙する。

「自首した方がいいですよ」
「……自首? 何の?」

 金城の声は冷たい。

「みましたよね」
「何を? 夢か?」

 じりじりと、金城が寄ってくる。

「夢ではないことを、あなたは知っているはずです」
「夢だ。ただの夢だ、妄想だお前らの。俺は何もしていない。何も……なにもぉぉぉぉ」

 走り寄った金城が、ガッと祈の首を掴む。

「祈ちゃん!」

 引き離そうと、永護が金城に掴みかかるが振り落とされる。

(く、くるし……)

 死ぬのはいい。怖くない。だが祈には、まだしなければならないことがある。

(腹を蹴って……)

 思考が薄くなる。マズイ。そう思った瞬間、金城の手の力が緩んだ。
 霊だ。
 霊が、金城の首を掴んでいる。

『おおまぁぁええもぉぉぉぉ』
「グッ……がっ」

 金城の手が緩み、祈の首から外れる。どさっと、床に倒れ落ちた。

「ゲホっゲホっ……」
「祈ちゃん、大丈夫?!」

 近寄る永護を振り払い、祈は霊に向かって叫ぶ。

「警告してくれたんですよね、危険な社長のことを。早く逃げた方がいいと。この部屋の住人に教えるために、電気や物音のいたずらをした」
『……』
「その男を殺しても、あなたは満足できないです。あなたは苦しいことではなく、嬉しいことや楽しい記憶と一緒に逝きたいから」

 霊はなにも言わない。

「えいちゃんを見てください。これから夢に向かって、ひたむきに頑張る彼を見て。あなたの夢見た未来を彼に託して。そんな男に……」
『……』
 
 霊がこちらを見る。飛鳥の原型はない。大きな黒い塊だ。

「そんなクソ男に、死んでまで囚われないで!」

 バーーーーン!!

 大きな光が、部屋を包む。眩しくて目をつむりたくなるが、祈は真っ直ぐに見た。飛鳥がいる。今までで一番、はっきりとした実態だ。

『女優に、なりたい』
「なれますよ。次の人生で。あなたは、もう自由です」
『……ありが』

 最後まで言葉がつづくことなく、「飛鳥」だった霊は、消えた。
 

祈と祷


『この映画の見所は、ずばり何でしょうか?』
『そうですね。地位も名誉もお金も、全てを持ってるはずの主人公は満たされません。反面、なにも持たない彼の優しさや暖かさにふれ、主人公の価値観がだんだん変わっていく、その心境の変化でしょうか』
『kiyoさんは、ご自分の価値観が大きく変わったことはありますか?』
『あはは、どうでしょう。変化するのは、時に苦しさも伴うし難しいことです。……ですが、よりよく生きられるなら、その苦しみにも耐えらえる自分でありたいと、思っています』
『変化と言えば、kiyoさんは事務所の移籍もありましたね……』

「出ずっぱりだなぁ」
「『出世部屋』って、本当だったんですね」

 画面に見入っている御嶽と一太を他所に、祈はチャンネルを変えた。

「おい、見てんだから」
「天気予報が知りたくて」

 情報番組はもういい。明日の天気が知りたいのだ。

『所属タレント殺害の容疑で逮捕されました、芸能事務所元社長、金城容疑者の取り調べが続いています。金城容疑者は今年の6月、所属タレントとして活動していた飛鳥さんの自宅に押し入り、飛鳥さんを殺害。その後、強盗を装い捜査を撹乱させたことなど複数の罪に問われています。なお容疑者は逮捕直後に『幽霊が』などと訳のわからないことを口走っており、検査をしたところ覚醒剤の使用も発覚しました。かなり常習していたのではないかと見て、引き続き、覚醒剤使用の面でも捜査が続いています。金城容疑者のアリバイ工作に協力したとされる夢乃容疑者からも聞き取りを行い……』

 再びチャンネルが変えられる。番宣に戻った。御嶽は、この後のコーナーにきららが出るのを見たいのだろう。
 
 金城は逮捕された。捜査がうまくいったのは、御嶽のお陰だ。
 あの日「飛鳥」だった霊が成仏したタイミングで、御嶽は警察とともにやってきた。部屋はぐちゃぐちゃで、永護も夢乃も「金城が暴れまわって、殺されそうになった」と証言した。実際、祈の首にはしっかりと、金城の指の後も残っていた。泡を拭いて倒れていた金城は、その場で、殺人未遂で緊急逮捕された。
 警察へ移動してからの捜査はトントン拍子に進む。全て、御嶽によって御膳立てされていたからだ。
 飛鳥が殺された日に金城と一緒にいた、と供述した夢乃だが、実はその日彼女はホストクラブにいた。店内の映像とホストの供述もあり、嘘がばれる。
 マンションの入り口には防犯カメラがあり、警察も当然調べていたが、それは金城がすり替えた後の映像だった。金城がいない隙に事務所を家探しした御嶽が、元のデータを金城のPCから引っ張り出した。金城の被害に遭った女性は複数おり、一人づつ探して証言を得た。身体を許す代わりに主演に抜擢する、と言う内容の契約書を持つ者もいたらしい。訴え出る心づもりのある被害者たちの報告をまとめて、匿名で警察に送った。これから集団訴訟が始まる。
 永護は事務所を移籍した。前よりも大手だ。3本目の主演映画も無事に上演が決まり、このほど公開された。人気は鰻登りだ。

「あ、忘れてた。ほれ、ここサインしろ」

 御嶽が紙を寄越してくる。『返済済み証』金額にして、100万円。

「ボーナスの件は?」
「諦めろ、社長があれだ。前金しかもらえなかった。全然儲かんなかったけど、いつもの分は減らしてやるよ。俺は優しいからな」
「優しい人なら、首を絞められる前に助けに来てくれるのでは?」
「おいおい。誰のおかげで今ここにいられると思ってるんだよ。俺がなきゃお前、あと半年は警察で事情聴取だぞ」

 実際、祈の扱いには警察も困っていた。被害には遭っている。しかし、なぜあの場にいたのか経緯が不明な女性。事務所とも関係ない。永護との関係も話すわけには行かない。殺されかけたのに、被害届は出したくないと言う。確かに、御嶽がなにやらうまく話をつけてくれたから、祈への聴取は早々に終わったのだ。
 祈は黙ってサインした。棚のところまで歩くと、引き出しを開けて朱肉を取り出す。勝手知ったる御嶽の事務所だ。彼もなにも言わない。
 母音を押して、御嶽に返した。

「おっし。これで残りは1億9千とんで400万な」

 ティッシュで指を拭く。このペースでは、いつになっても返し終わらない。

「では、バイトに行ってきます」
「おー働け働け。次のはまた探しておくから、しばらくココな」

 TVに顔をむけたまま、御嶽はおざなりに手を振った。祈は御嶽の事務所をでた。

「祈さ……あれ、行っちゃいました?」
「おー。バイト」
「シーツ、花柄とストライプどっちがいいか聞きたかったのに……まあ帰ってきてからでいいか。あ、返済済み証しまいますねって、社長。社長も名前書いてください」
「あーめんどくせぇな」
「一応、大事な書類ですからね。はい、どうぞ」

 一太がペンを手向けてきた。御嶽はさらさら署名する。

「ハンコは事務所のついとけ」
「はい。あ、社長、ちょっと擦れちゃってますよ、名前のところ。下の名前がぐちゃぐちゃです」
「ウッセーな、いいんだよ。どうせどこに出すわけもなし!」

 仕方ない社長ですね、と一太がぶつぶつ言う。書類にはどうにか読み取れる程度の擦れた字で『御嶽 祷』と。

「せっかく同じ名前なんだから、もっと仲良くすればいいのに」

* * *

「今度、改めて食事でも……あぁ、だめだだめだ、こんなの」

 永護はスマホを手にうんうん唸る。
 メッセージアプリには祈のアイコンが。最後のメッセージは「今から帰ります」。まだ一緒に暮らしていた頃に送ったものだ。いいねマークがついている。新婚みたいだなどと、一人浮き足立っていたのは祈にバレていないはずだ。

「元気? バイト捗って……だっさ」

 同居を解消して早くもふた月。祈とは、警察署で別れて以来だ。
 聞き取りが行われている間、金城の犯行と向き合わざるを得なかった。自分好みの女の子に目をつけて社宅で行われた犯行は、指の数では間に合わない。お金も、地位も名誉もある彼がなぜ犯罪を犯してまで自社のタレントに手をかけたのか。あらゆるものを入れても足りないくらいの欲望は、どこからわいたのか。わからなかった。
 売れたくて、金を稼ぎたくてたまらない自分も、いつか金城のようになるのだろうか。あらゆる欲に対して見境なくなる日が、いつかくるのだろうか。
 
(いま考えても仕方がないか)

 最悪のケースを目の当たりにした。自分はこうならない、と決めて生きるしかないのだ。
 そういえば、一連の経験から、一つだけ良い変化を得られた面がある。幽霊が、怖くなくなった。目の前で心霊現象が起きようが、脳にダイレクトに映像を流されようが、大したことではなかった。
 生きている人間の方が、よほど恐ろしい。

(もっともっと頑張って、たくさんの作品に出て稼いで……祈ちゃんがあいつから離れられるよう、変なバイトから足を洗うための手助けをしよう)

 スマホの画面をつけて、ぽちぽちと打ち始めた。

* * *

「次の作品が公開されたら連絡するね。もっと売れるように頑張るよ、か」

 スタンプの画面をいくつかタップし、いいね、を返した。標準装備のスタンプしかないが、一応、女の子が写っている絵を選んだ。

(えらいな、えいちゃんは)

 決めたことは、しっかりとやり切る。諦めずに、コツコツと正しい努力ができる人。彼は昔からそうだ。永護なら、きっともっと売れるし、俳優としてしっかりとした場所に立てるだろう。もう会うことはないだろうが、活躍してくれればこちらからは無事を確認できる。そう思えば、俳優と言う仕事は、安否確認にちょうど良い職業だ。

(しかし、あいつ……がめつい奴)

 ボーナスをつけるから、と言われたから、近々の事故物件にもかかわらず引き受けたのだ。なのに蓋を開ければ、結局100万しか返せなかった。
 1年で20件こなしても、利息がつくので結局減る借金は数百万から数十万。この人生は死ぬまで続くだろう。あいつは私を飼い殺しにしたいのだ。あいつの目的のために。
 それでもいい。
 祈には祈の目的がある。2億の借金を背負う決断をしたのは、それとは別に、相続したい物があったからだ。まだ手をつけてはいない。時が来るのを待っている。その日のために、自分はただ、霊を祓い続ければ良い。
 だいたい、父の残した借金だ。少しでも減らしてやったら、自分が死んだとき父は喜ぶかもしれない。それから母は……
 
 スンっ 
 
 河川敷を歩いていると、ジャスミンの香りがする。風が吹いてきた方を探すと、小さな花が咲いていた。野生だろうか、珍しい。鳥がフンを落としたのかもしれない。

『おいで』

 川の中に、たたずむ人がいる。女だ。白いワンピースを来ている。ふわふわとウェーブのかかった髪は下ろされており、腰の辺りまで伸びていた。

『おいで、おいで』

 祈は河川敷に立って、じっと、女を見た。

「あなたじゃない」

 顔を見ながら、もう一度、祈は言う。

「探しているのは、あなたじゃない」

 大きな風が吹いて、もう一度、ジャスミンの香りが鼻を通って行った。


#創作大賞2024
#ホラー小説部門

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