反精神論宣言 〜「根性叩き直してやる」というただの暴力に抗して〜
ちょっとものものしいタイトルですが、どうしても書きたいと思ったのでポストしてみます。
昔から、ずっと生きづらさを感じてきました。
はじめは中学の吹奏楽部。いくつもの強制ルールがあって、先輩の演奏の準備を「絶対に」しなきゃいけなかったり、登校中に先輩を抜かすのは(たとえ挨拶をしても)ダメだったり、果ては先輩より大きなキーホルダーをつけることが許されなかったり。
最初はそういうものだと思ってました。でも、違和感というか不条理感を抑えられず、結局、半年で行けなくなりました。
思えば、(田舎の公立中学校だったからかもしれませんが)部活には「絶対に」入らなければいけませんでした。仕方なくPC部に移りましたが、そこは「落ちこぼれ」が集まる部活だと思われてました。
次は高校入学時。これも田舎だけなのかもしれません、高校の応援団のノリについていけませんでした。なぜ大声を張り上げて、大げさな身振りで応援をすることが「正しい」のか、声の大きいことがなぜ「正義」なのか。理解できませんでした。
今度は、半年も続きませんでした。入学前のオリエンテーションでついていけなくなり、やめました。
そして今、自分は普通に都内の私大を卒業したあと、通信制の大学院を昨年度末に出て、どうやって生きていけばいいのか途方にくれています。
そんな自分に人はいいます。「根性が足りない」「働くことが、食っていくことが、生きていくことがどういうことなのか分かってない」…
人生の中で、何度も考えました。耐えられない自分はおかしいのだろうか?ただ弱くて怠惰なだけの人間なのだろうか。
でも、やっぱり違うと思うのです。
もちろん、真面目に仕事をして社会を支えている人には敬意を持ちますし、それがなきゃ社会が回っていかないことは分かっています。そして、適切な助言や指導の意義もわかります。理にかなった説明をされればもちろん納得できます。
しかし、年齢が上だから敬意を「絶対に」持たなきゃいけない、とか、声が大きいことは「絶対に」正義、だとか、心身が追いつかなくて働けないやつは「絶対に」根性叩き直してやらなきゃいけない、とかって
ただの暴力なんじゃないだろうか?
きっと、というかむしろ社会の多数の人にはこんな自分の意見にはうなずいてもらえないのかもしれません。
でも、きっと共感してくれる人がいるのだと、心から「そうだ」と思ってくれる人がいるのだと信じています。心身に困難を抱えている人も、そうでない人でも。
君は、あなたは、ひとりじゃない。綺麗事かもしれないけど、同じように考えている人がいるから。一緒に頑張っていきましょう。
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