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差別や人権侵害が起きる基本的な構造

「なぜ、人間の社会から差別がなくならないのか」という問いに対して、「人の心の中には差別する心があるからだ」と答える人がいます。このような考え方は、実際に口には出さなくても結構多くの人の心の中にあるのではないかと思います。ただ、このような考え方は認めるわけにはいかないとわたしは思います。なぜなら、こういう考え方は、最後には「差別もしかたない」という結論になってしまうからです。このような考え方から抜け出すためにも、われわれは「なぜ差別が起きるのか」についてしっかり考える必要があります。

差別や人権侵害が起きる基本的な構造

わたしが現時点で考える「差別や人権侵害が起きる基本的な構造」は次のようなものです。

二人以上の人がいて、そこに人間の集団と呼べるものがあれば、そこには必ず「強い立場」の人と「弱い立場」の人が出てきます。「強い立場」の人は、「弱い立場」の人を自分の思っているとおりに「しよう」、「動かそう」とします。(実は、「弱い立場」の人も、同じように「強い立場」の人(相手)を自分の思いどおりにしたいという気持ちは思っているのですが、それはふつう願っても実現不可能なことなので、なかなか現実的な問題にはなりません。)

「強い立場」の人の思うとおりに「弱い立場」の人がふるまっている場合は、問題は起きません。しかし、ふつう「強い立場」の人と「弱い立場」の人の間には、心の溝や気持ちのズレや断絶があるので、結果として「弱い立場」の人が「強い立場」の人の思うように「しない」、「動かない」ということが起きてきます。「強い立場」の人が、「まあ、これでもいいか」と思えばいいのですが、多くの場合、「強い立場」の人は、それを許しません。自分が持っている「強い立場(=力)」を使って、「弱い立場」の人を自分の思うとおりに「しよう」、「動かそう」とします。これがうまくいかなかった時に、人権侵害や差別が起きてくるのです

部落差別はどのようにして生まれたか

日本社会が明治時代以降、抱え続けてきたもっとも根深い差別として、部落差別があります。一見するとこのような歴史的経緯が生んだ差別の場合は、わたしが今お話したような「差別や人権侵害が起きる基本的な構造」が当てはまらないように思われる方が多いかもしれません。むしろ部落差別こそ、歴史がつくった偏見とラベリング(レッテル張り)が原因だと思われている方も多いかもしれません。しかし、わたしは少し違った見方をしています。

部落差別は明治維新(日本の近代化)が生んだものだとわたしは考えます。江戸時代以前には、身分制度はありますが、それは差別や部落差別とはべつのものです。近代化以降の社会にいるわれわれから見れば、封建社会の身分制度はすべて差別に見えますが、それはあくまで「そのように」見えるというだけのことです。そして、封建社会の身分制度の一部が日本の近代化の中で、いわば「大きくねじれる」ことによって部落差別となったのです。(くわしいことは、「高校生のための人権入門(7)同和問題(部落差別)について」をお読みください。)

美作一揆からわかること

部落差別の始まりと呼べる大きな事件は、明治四年の賎民廃止令(いわゆる「解放令」)の後に、関西から西日本にかけて起きた被差別部落襲撃事件です。この襲撃事件を見ることによって、先ほどお話しした「大きなねじれ」がどのようにしてできたかを知ることができます。被差別部落襲撃事件の中で、おそらくもっとも多くの犠牲者を生んだ悲惨な事件が、岡山県で起きた「美作一揆」(明治6年5月26日~6月1日)です。『民衆暴動 一揆・暴動・虐殺の日本近代』(藤野裕子著、中公新書)では、「美作一揆」についてこう書かれています。

一揆勢は近隣の被差別部落に対して、賎民廃止令が出る以前のようにふるまうことを求め、詫び状を出させた。(中略)詫び状を差し出した場合、それ以上の放火を免れた。(中略)しかし、虐殺が行われた地域はこうした詫び状を頑なに拒んだ。(中略)虐殺された村はこのように、一揆勢の襲撃に対して「解放」を選び、抵抗を続けた村であった。(中略)問題にすべきは、詫びる/詫びないの二者択一を突きつけ、それに基づいて相手を放火・殺害するか否かを決定できたのは、一揆勢の側であり、その反対では決してなかったことである。一揆の場では、それだけの強固で非対称的な権力関係が両者の間に現れていた
(ゴチックは引用者がつけました)

『民衆暴動 一揆・暴動・虐殺の日本近代』(藤野裕子著、中公新書、55~57ページ)

ここで注目したいのは、多くの犠牲者を出した「美作一揆」の中でも、一揆勢(暴動を起こした民衆)は、今までの身分制から来るしきたりを守る(加害者側の言い方では「礼儀正しくする」(前掲書、56ページ))と約束した被差別部落の村は襲われず、そのような要求に従わなかった村が襲撃されたということです。

部落差別の原因は、偏見やラベリングではない

この場合、被差別部落の人々が、先ほど述べた「差別や人権侵害が起きる基本的な構造」の「弱い立場」の人々にあたり、一揆勢が「強い立場」の人々にあたることは言うまでもありません。「強い立場」の人々は、「弱い立場」の人々が自分たちの要求(「正しさ」)に従う場合は、攻撃しませんが、従わなかった場合、自分たちの力を使って無理やりにでも自分たちに従わせようとします。この場合、それが虐殺という最悪の形をとって行われました。重要な点は、被差別部落の人間であるから(これが前回、述べた「ラベル」、「くくり出し」に当たります)襲撃されたのではなく、「強い立場」のものたちの要求(「かつての身分制度に従った行動をせよ」)に従わなかったから襲撃されたという点です。前回、偏見やラベリングが差別の原因ではないとお話ししました。そのことは、この美作一揆を見ていただいてもよくわかるかと思います。

差別の本当の原因はなにか

では、偏見やラベリングが差別の原因ではないとすれば、差別の本当の原因はなんなのでしょうか。わたしの考える「差別や人権侵害が起きる基本的な構造」からすれば、差別を生んでいるのは「強い立場」と「弱い立場」という「力の関係」です。先ほど引用した本の著者(藤野裕子さん)も、先ほどの引用文の中で、それを「強固で非対称的な権力関係」と書いていました。差別を生むものは、ひと言で言えば、人と人の間の「力の関係(非対称的な権力関係)」です。そして、そのような「力の関係」の中で、「強い立場」の人の中で逆らいがたく強力に働く、相手を自分の思うとおりに動かそうとする欲求とは、どのようなものでしょうか。それは、人の中にある「(他人をも巻き込んで)自分が自分として生きようとする欲求」、つまりはその人の「生きる力」から生まれてくる欲求です。そうだとすると、たぶん差別を生む一番根底にあるものは、人の中にある「生きる力」だということになります。

差別の原因である「生きる力」は悪ではない

ここで注意しなければならないのは、差別や「差別する心」は悪ですが、「生きる力」は悪ではないということです。むしろ、人が生きること自体を支えている重要なものだとすれば、善であると言うべきかもしれません。なぜ、悪ではないものから悪が生じるのか、これについては今後さらに考えてみたいと思います。(「高校生のための人権入門(21) 力の関係としての人間関係」では、この「生きる力」をスピノザのコナトゥスの概念を使って考えています。興味のある方はお読みいただけると幸いです。)

終わりに

前回からお話してきたように、偏見やラベリングは差別や人権侵害の原因ではありません。しかし、実際には本来、差別の原因ではない偏見やラベリングが、いつのまにか差別の原因と考えられてしまっています。次回は、なぜこのような錯覚が生まれてくるのかを、考えてみたいと思います。そして、その中で、差別される原因と考えられてきた「出生地」や「肌の色」や「女性という性」という「性質(ラベル)」というものは、実は差別や人権侵害が生まれる過程で、見せかけの「理由」(口実)として選ばれたものにすぎないということをお話ししてみたいと思います。


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