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初体験の進路選択(前編)

※2002年10月に創刊し、掲載文が200本を超えたメールマガジ(メルマガ)『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本(予定)の掲載文を、毎週1本ずつ転載しています(歳月の経過を踏まえ、字句や一文、一段落など小幅な修正をしている場合があります)。

※不登校状態の中学3年生や高校生にとって、この時期から学年末までは最も苦しい時期と言っても過言ではないでしょう。そこで今月は、16年前の同時期に「不登校状態からの進路選択」をテーマに書いた4回シリーズ(おとなのひきこもり状態にもふれています)を転載していきます。

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 11月に入りました。不登校状態にある、中学3年生や高校生の子とそのご家族にとっては、気の休まることのない季節の到来です。

 中学3年生は卒業後の進路を考えなければならなくなりますし、高校生は進級できるかどうか確認し、進級できなければ留年か退学かを考えなければなりません。
 担任の先生も、生徒の進級進学について、生徒の意思を確認したり生徒に検討するように勧めたりしなければなりません。

繰り返された私の苦しみ

 私は高校時代に不登校状態でしたから、当時は毎年、今頃から学年末にか
けてプレッシャーと葛藤に苦しんでいました。

 私は毎年この時期が来るたびに、翌年度どうするかを決めるよう学校から迫られながらも、どうすることもできずにズルズルと月日をやり過ごし、自分の身の振り方を決めることができないまま学年末を迎えてしまうのでした。

 初めて留年した高校2年目の2学期後半には、当時中退経験者を学年の1割まで受け入れることで有名だった、長野県の篠ノ井旭高校(北星学園余市高校のような高校)に転校する希望を伝えたものの、3学期早々それを撤回し、何も決めないまま2度目の留年となりました。

 次の3年目も、この時期には進級が不可能になり「今後どうするか」を、当時担任の先生とやりとりしていた「交換ノート」のなかで、あるいは面と向かって、担任の先生と考え合うようになりました。しかし、中退を含めて生き方の選択肢を広く考えるよう勧める先生に対し、私は退学後の進路を考えることが恐ろしく、結論を出せないまま日々が過ぎていったのでした。

 3学期の後半「退学したくない(留年したい)のなら、新しくやることを決めろ」という先生の指示に「家を出て独り暮らしする」という決意(当時の私は、自分の不登校状態をめぐって両親との不仲が続いていました)を伝えました。ところが、これもまた「本質的な解決策ではないような気がする」という理由で、後日撤回してしまったのです。

 結局先生は、進級の可否を決める職員会議で「知り合いのカウンセラーを本人につける」という条件を提示して、私の退学を回避してくださり、異例の3回目の留年が認められたのでした。

 私が、すっきりした気持ちで、自ら納得して退学後の進路を決めることができたのは、その1年後、不登校状態が終わったあとのことだったのです(そのあと退学ではなく留年となって3年後に卒業)。

<後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。