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あらためて、本人・家族と支援者について(後編)

本人の人生を変える怖さ

 次に、前回で取り上げた「第三者が介入すべきです」という言葉を、支援者が使うことについてです。

 支援者たるもの「介入」(本人への介入はもちろん前述のような親御さんへの介入も含めて)するからには、本人の人生を良い方向に変えてあげようという、熱意と使命感を持っていると思います。

 もちろんそれは大切なことですが、その一方で、もし介入の仕方やタイミングを誤ったら(誤った指示や訪問をしてしまったら)、反対に本人の人生を支援者が辛い方向に変えてしまうことになるわけです(前回参照)。

 支援者も神ならぬ身である以上、そうなるリスクに対する恐れ、すなわち「<他者の人生を変える>という重大なことをやっている(やろうとしている)」という自覚が必要だと思います。

 たとえば、本人を無理やり連れ出して入寮させる施設で起きる事件事故のように命にかかわる結果まであり得ますし、そこまでいかなくても、病院が本人をだまして強制入院させたことによって、親子関係が崩壊したり薬物による副作用でその後の生活に支障をきたしたりして、平穏な生活を取り戻すのに長い歳月をかけなければならなくなったというケースが、かつては後を
絶ちませんでした(現在も無くなってはいません)。

トンネルを歩き通すために

 さらに、私がいつも書いたりお話ししたりしているように、不登校/ひきこもり状態という“トンネル”を歩いている本人は、トンネルの途中で引っ張り出してもらうこと(介入)ではなく、トンネルを歩いている自分を応援し、出口まで歩き通すエネルギーを補給してくれるような支援(関与)を望んでいることが多い、と私は感じています。

 にも関わらず、指示や家庭訪問などで介入することは、本人のそういうプロセスを強制終了させ、支援側が用意しているプロセスに変更させることになります。

 私は、介入すべきケースかどうか、すなわち本人の意思や家族の判断に任せるべきか否かは、個別に慎重に鑑別するべきではないのか?と考えるのです。

 以上、周囲のなかでも支援者が助言の言葉を使う場合について、私の意見を述べました。
 要するに「本人や家族を、支援側の基準ではなく個別に判断して支援すべきだ」ということですが、その判断は専門家でも難しいものです。
 かく言う私も、自分の判断に間違いはないとうぬぼれてはいません。

 そうである以上、本人やご家族が、自分たちの状況に合った支援を主体的に選択し利用することが重要になってきます。

 そのため私は、相談や家族会では個別に、メールマガジンや定期イベントでは一般的に、その判断基準や判断基準になるイベント等の情報を提供しているわけです。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第134号(2006年12月6日)

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※この文章の執筆から14年近く経ちますが「不登校/ひきこもり状態の人を救おう」という動きは盛んになる一方です。ただ、それにつれて文中でも指摘したように、事件事故あるいは利用の強制による状況悪化が増えている印象を受けます。現にきのう、ある自立支援施設の元利用者による集団訴訟が準備されている、という情報が入ってきました。私は原告の支援者のひとりと情報交換する間柄でもあり、動向を注視していきます。

※文中でも引用した拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本は一部を除き転載しませんので、ご関心をお持ちの方は同著を入手してご一読ください。

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