「絵の価値、多くの鑑賞者の」
「絵の価値、多くの鑑賞者の」
絵はどういう意味を持つか?それは何であろうか。
ある意味、換金性があるなら紙幣と同じようなものか。画家は紙に何らかの図を描き、それが価値を持つことがある。その図に意味があればいいのか。価値があればいいのか。
その価値っていうのはいたって個人的な価値かも知れない。それに価値を認めた人がその画家の描いた絵画を購入するのでないか。絵に価値を認める。
それはそこらへんの風景を絵として描くだけでも価値を見出すことは可能であろう。その土地に思い出があり、何らかの思い入れがある場合、その人は写真をもっていれば写真を撮ったであろう。写真が無い時代には絵画を買うだろう。
何らかの価値を美術品たる絵画に求めた時に価値が発生する。
女性モデルの裸婦画が売れることがあろう。そこには普段見えないものを見たいという欲求もあろうし、女性の肉体に美を見出すことで価値が出るのか。そうであろう。見たいという衝動がどうしても強ければあなたがコレクターならどうして購入するだろう。それも財産をかけてでも欲しがるであろう。僕もそうであるからだ。
しかし、今の時代、写真があるので写真で完結して裸婦画も買わないだろう。それくらいの落差があるし、絵は写真は視覚の芸術であり、ほとんどローリスクマネーで購入できる写真集やスナップ写真で完結してしまうことがある。
では、画家はどうすればいいか。われわれ現代人はどのような絵が見たいのであろうか。それはほとんど個人的な美意識に訴えかけるものであろう。もう、裸婦とか風景では満足できないのだ。それくらい情報が飛び交い目が肥えに肥えているのだ。その鑑賞者相手にどうしようというのか?
見たい風景を描けばいい。
作家の見た風景を描けばいいのだ。
そこに作家の価値がなくてはならないだろう。画家自身が特別な目をもっている必要があるのだ。
画家自身に特別な世界観や視点が絵画のまだ見ぬ絵画を描くことになる。そこで画家の個人の視点の目に価値が出てくると言えます。
裸婦ももはや普通に描いていたのでは青少年にしか魅力がわからないであろう。たいていの大人は見るべきものは見ちゃっているからそんな驚かないであろう。その辺で裸に近い服を着ている者を見てもそんな普通な感覚であろう。少しは性的な欲望が入るが昔ほどでは無いのだ。裸の画像や情報は様々なところで簡単に見れてしまうがゆえにそんな切迫したものでは無いであろう。
しかし、18世紀とか19世紀は違うし、もっと前であれば血眼にもなってそのような裸婦画を求めたことであろうし、禁画を密かに集めたコレクターもいよう。
美人画もそうであろう。
ただ、この美人画には現代にも通用するであろう。そこはアイドルを求める願望もあるだろうし、美的な価値を認めることもあるからだ。
なので、何が言いたいかというと、画家はほとんどオリジナルな感覚が必要であるということです。
鑑賞者はその画家の見る風景を見たいし美人画も見たいことでしょう。
写真とは違った世界を見てみたいという人間の見る欲望に絵画でもって提供できればいいのである。
なので、写真でできない絵というものを描くことにこれからの画家、これまでも画家に必要とされる価値を作り出すことではないかと思いました。
ここまで読んでくださり感謝します
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