「美について考えてみました」
「美について考えてみました」
僕は絵を描くのですが、できのいい作品を描くこともあるし、ちょっと駄作だなと思われるものも描きます。
いい作品はなぜだか、絵の具が乾燥すると片つけてしまう。できの良くない駄作は何かすごい魅力を感じて、飾ってあげたいと言う気分になります。
駄作でも飾って人目にさらせば何となくいい絵に見えてくる。不思議なことだけど、絵は見られることで鍛えられているのだ。
人目にさらすのは絵そのものを育てていものだと考えている。それでだんだんとその作品が名画に思えてくる。
もちろん、僕は使い捨てのような絵を描いたことが幾度もあるが、そう言う絵が意外にいいと言ってくれる人もあるのだ。
それも、また不思議なことです。
となると、絵の善し悪しは変わった形態の絵に何となく美を感じるには、何かあるのだろうか。
街中で美人を見つけると自分では高嶺の花だなと思って声もかけられない。むしろ親しみやすい人に話した方が緊張しないで自然体でお話できる。そう言うこともある。
それは絵も同じなのかもしれない。
駄作にかぎって可愛いとかそう言う評価を受ける。となると完全完璧な絵より、ちょっと下手な方が親しみやすいと言うこともあるかもと思います。
できのわるい作品ほどいいと言う感想を聞き、何か美について考えてみた。
美は、教わらなくても子どもの頃からそれは先天的に、生まれる前から知っていることだ。
花は美しい
花は綺麗だ
そういう美意識は教わらなくてもわかるのだ。
なので、宇宙のどこかも法則に美の可能性があるのだろうか。誰でも美はわかる。
美意識で道徳が作られるくらいである。全ての根源は美でまとまる場合だってあるかもしれない。
美意識を鍛えることは、自己修養しているのと同じかもしれません。
誰からも教わることなく美を知っているからこそ、さまざまなものに美を見出す力が生命にはあるのだろう。
美はどこからか来て、私たちに教えるのあろう。
あまりにも綺麗だと神として崇めてしまうだろう。
親しみやすい美もあるでしょう。
多くの人が親しみのある美に寄っていく。その方が友達になれるからだと思う。
高邁な美にはただただ崇めるしかない、そんな名画かもしれません。
皆様はどうでしょうか。どんなものに美を見出されるでしょうか。
もし、そこにここに美があったら心豊かになることでしょう。美は決して主役でないのか。もしれませんが、美は私たちの心を満たしてくれる。そんな天からの慈悲であらることもあります。
美は主役でないでしょう。でも美がないと生きていけないし、生きづらいでしょう。
なので、美を表していきましょう。絵でなくても普段の生活の中でも美を表現するところがいっぱいあります。普段の所作の中に美を、ハートを入れ込んで周りの花となることもできるのではないかと思います。
ここまで読んでくださり感謝します。
ありがとうございます。
2020年8月
ほんだゆうきしるす
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