躁鬱病になったきっかけ〜高校生〜

高校生時代の躁鬱病になったきっかけであろう出来事を書いていきます。

いつの時代も華のJKと言われる高校生。

『充実した生活を送りたいなあ』

『彼氏ができたらいいな』

なんて夢を見ていましたが、現実は全く華ではありませんでした。

高校1年生での出来事

高校生になった私は、今までメガネだったのをやめてコンタクトをつけ始めました。

コンタクトをつけると人の顔がよく見えました。

目が見えるのはいいことですが、悪口を言ってくる人の顔や表情がよく見えて怖いという感情もありました。

デブ

顔でかい

その言葉がつきさりました。

出かけた時に、通りすがりの知らない人(同年代くらいの男子)や違う学年の人、同じクラスの女子にまで言われました。

目がよく見えるので、表情がよく見えます。

みんなが人を馬鹿にするようなニヤついたような顔でジロジロ見てくる・・。

とても苦痛でした。

私のクラスは3年間女子しかいないクラスでした。

最初は話しかけてくれる子もいましたが、結局距離感を感じるように・・。

小学校と中学校で同じだった子と仲よくすることしかできませんでした。


太っていたし、声が小さいし、顔がでかいし、猫背すぎるし、一重で冴えない顔・・当時の私はネガティブオーラ満載でした。

そんな私ですが、いつも一緒に弁当を食べたり出かけたりするいつめんはいました。

自分の見た目を変えたい

そう思っていた時に、いつめんの一人にアイプチを教えてもらいました。

アイプチで二重を作るとまるで自分じゃないみたいでした。

『そっちの方がいいよ』

あまり話したことがなかった子もそう言ってくれるようになりました。

私『良かった・・変われた』

そう思っていましたが、クラスの中心的メンバーの子達は私のことを嫌っていたようでした。

体育で、名簿が近い人とチームになる時に同じチームなのに無視されたり、調理実習のメンバーとしても役立たずみたいな感じで扱われたり、聞こえるように悪口を言われたりしました。

可愛い子はブスが許せないんでしょう。

さらに、勉強もできない&ドジな私は最悪でした。

自分なりに多少はマシに見えるようにアイプチをしたりしたのに・・すごく悔しかったです。

いじめられたことを先生に言ったからか、高校2年生では一部の子とクラスが別になりました。

高校2年生でも一部の子に嫌がらせをされたりしました。

そこでも顔の事・・アイプチが下手くそなせいか、笑われたりしました。

他のクラスの男子にも

きもい

顔でかい

など言われすごく傷つきました。

体育では高1と同じように無視されたり、調理実習でも足手まといのような扱いを受けました。

その頃から私の不登校が始まりました。

いじめられてることを親には言いにくいので、いつも

『お腹痛い』

『風邪ひいた』

など嘘をついて休んでいました。

休んだ日は昼まで寝て、昼ごはんを食べたらまたベッドに戻って21時くらいにに起きるような生活でした。

部屋の隅で、PDSとかマホトなどユーチューバーの動画を見て笑うことが唯一の幸せでした。

そんな私を見てある日、母が

福たろちゃんは普通じゃないよ。

と言いました。

その言葉で私の中の何かがはじけました。

普通って何?

今まで我慢してきたいじめや不満を全部母に話しました。

全部を聞くと母は黙って私を優しく包みました。

『ごめんね。気づいてあげなくて。』

そう言って静かに泣いていた母の顔を今も忘れません。

そして、母の予約してくれたメンタルクリニックに行き、先生に全てを話しました。

とても優しい先生で、親身に聞いてくれて心が落ち着きました。

薬のおかげか、少しだけ心が安定した気がしました。

その頃、ちょうど父が適応障害と診断されてよく家にいました。

当時は、私が休んだ時に父がいると憂鬱でしたが、

今ではお互いの気持ちを理解しあえるようになったと思います。

学校に行けない日は、縄跳びをしたり犬の散歩に行ったりアクティブに過ごせるようになりました。

少しでも自分が良く見えるように、

かっさやコルギ、筋トレも始めたり、おやつを制限したりして努力をしました。

そして努力の結果、中学1年生の時の体重に戻ることができました。

久しぶりに学校に行った時に、

『顔が小さくなったね』

と言われた時もありました。

縄跳び300回+カッサ+コルギを毎日やる。

おやつはアーモンドとプルーンのみ。夜ご飯は豆腐そうめん。

食べたものが体を作る

そう言い聞かせて頑張った甲斐があったなと思いました。

『家でこんなことしてるなら学校に行けるだろ!』

そう思うかもしれませんが、当時の私にはそれがどうしても無理でした。

ですが、

金爆のらふぃおらという曲がきっかけで少し学校に言ってみるかという気持ちになれました。

君は君のままでいい 何も変わらなくていい

その歌詞が心に沁みました。

ありのままの自分で頑張ろうと思いました。

(学校に行くだけで疲れて運動できずリバウンド・・・・(^◇^;)顔も元に戻ってしまいました。)

次の授業の移動中に、急に嫌になってトイレにこもったり保健室に駆け込んで寝かせてもらったり

今思えば異常な行動をしていたかもしれません。

嫌なことからすぐ逃げるようになっていました。

ですが、なんとか高校2年生を過ごすことができました。

そして高校3年生。

高校3年生は意地悪をしてきた子がほぼいなくて過ごしやすかったです。

でも高3が最大に病んでました。

高校生活最後、夏休み前はみんな進路を決めるのに必死でした。

『〇〇ちゃんどの大学に行くの?』

など大学や短大、専門学校に行く話ばかり。

私は、今まで学校に行けなかったのでゆっくり考えられるようにフリーターもいいなと思っていましたが、フリーターという選択肢は選びにくい時代でした。

『資格は取っておくべき』

と担任の先生に言われ、大学や専門学校を勧められました。

私は、強いていうなら昔から好きだった料理に関わる仕事がしたいと思いました。

自分自身の体づくりや父や祖父の体調のこともあったので、家族を食で健康にしたいという理由で栄養士の専門学校を受けることにしました。

母と何度か専門学校の体験スクールに参加したりして、AO入試で合格をもらうことができました。

ですが、その専門学校では

『3日欠席すると停学になる』

と専門学校の先輩が言っていたのを思い出して不安になりました。

専門学校に行くのは電車を乗り継ぎをしていかなければいけません。

電車や人混みの多い場所だと、立ちくらみや吐き気などの症状が出てしまうので通えるかどうか心配でした。

今のままじゃ通うのは無理かもしれない。

高校3年生の夏休み明けから、私はまた不登校になりました。

急に自分に自信がなくなってしまいました。

専門学校を休むと停学になること。

コルギをやりすぎて顎にかさぶたができたこと。

通りすがりの人みんなが私を馬鹿にしてるように思えること。

仲がよかった子が、自分を見下してくるように見えて人を怖く感じるようになりました。

そして、猫背がまた戻り、髪の毛で顔を隠すようにしていました。

怖い

同じクラスの子にそう言われました。

ショックでしたが、まあ怖かったでしょう。

学校に行けなくなり、

存在価値がわからない

消えたい

そんなことばかり思っていました。

時々学校に行くけど、午前中で帰る毎日。

ついに先生から深刻な顔で

あと3日こないと停学か留年になる

と告げられました。

それを告げられたのは、高校3年生の12月。

1ヶ月に何度も学校を休んでいた私が、1月・2月を乗り越えれるだろうか?

そう不安に思っていました。

母に、

『高校だけは卒業したほうがいい』と言われました。

あと少し。

今までの努力を水の泡にしたくない。

そう思った私は、1月から休まずに頑張って学校に行くことにしました。

そして、家族や友達、先生の支えがあったおかげでなんとか高校生活を終えることができました。

次は、高校卒業後です。












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