死亡記

 死因の解明を求む。
ここがどこだか判らない。温いのか寒いのか、明るいのか暗いのか判らない。いや、なにも見えないのだから暗いのかもしれない。俺になにが起きたのか判らない。誰かに何かをされたのか?自ら何かをやらかしたのか?
 死因の解明を求む。俺は死んでしまったらしい。どこかで何かにより、他殺あるいは事故、または自殺かなにかで死んでしまったらしい。
 死因の解明を求む。俺には心当たりがない。ここには心当たりがない。誰かには心当たりがない。これに至る過程に心当たりがない。
 死因の解明を求む。誰が望んだことなのか。俺が望んだことなのか。誰も望んじゃいなかったのか。俺は望んじゃいなかったのか。
 死因の解明を求む。俺は切に、俺の死因の解明を求む。

 ある男の行方不明事件を追っていた。もう何日も見つかっていないし、手掛かりもなし。正直誰もが諦めている。この男はもう生きてはいないだろう、と。捜査班は大幅に減少し投げやりな捜索の末、やっと見つかった。行方不明だった男が。土の中から。腐った状態で。皆、ああやはりなといった様子だった。
「やっぱ仏さんになってたかあ。しかし酷い腐敗状況だな、こりゃ」
「身元がギリギリわかるかどうかですよ、これ」
捜査班たちは顔をしかめつつ口々に言う。それほどの状態だったのだ。
「ま、とにかくあとは鑑定に回すとして……うーんこれは……他殺、かな……埋められてるしなあ」
「一人で埋まりにいくものじゃあないですもんね」
「……たぶん。普通は。……いやあ、穴があったら入りたかったのかもしれないし」
「ぷぷっ」
「ぐふふっ」
捜査班たちは不謹慎に笑った。

 おい何笑ってるんだよ。だけどよかった。俺は土に埋まっていたらしい、それを発見してもらえただけでも前進だ。だが、確かに俺は自分から地中へ埋まりにいくような物好きだったろうか。わからんよ、そんなことは。だが自死を選ぶのならもっとシンプルな手段を取る。縊死だとか。水死だとか。飛び降りも。であれば、自殺の線はないかもしれない。早くその辺り解明してくれよ警察さんよ。それから、自分でわかることはというと……困ったことにない。せっかく地中から出れたのに全くわからない。こんなに腐っていたとは。外傷があるのかないのかもわかったものじゃあない。どこか痛むか意識を集中させる。いやもう俺はその死体にはいないので感覚というものはない。あったとしても腐乱しきっていて何が何やらなのではないか?ううむ、死後もわからないことばかりだ。解明を求む。

 「鑑定の結果が出ました」
死体発見から実に1ヶ月が経とうとしていた。漸く結果が出た。一言で言えば他殺。手段は毒物を用いた殺人だった。他殺であった以上どこぞにまだ犯人は野放しにされている。それが何者で、被害者とはどのような関係だったのか……警察はそれを調べることとなった。
「怨恨の線だろうねえ」
「なんでわかるんです?」
でっぷりとした体型の中年刑事が資料を片手に呟いた。若手刑事はそれに対し質問する。
「まあ……普通に考えて。意味もなく毒殺しなくない?」
「しませんね」
若手刑事はいまいち容量を得ないといった顔でコーヒーを啜った。
「いやちゃんと調べましょうよ、仕事ですから」
「わかってる、わかってる。犯人逮捕しなきゃな」
中年刑事は重い腰を上げ、部屋を去った。若手刑事はそれを追う前に資料へ目を通した。
「毒をそれとなく盛れるような間柄……うーん……」
若手刑事も部屋を後にした。

 毒殺!そういうのもあるのか!
思い出そう。思い出せるか?俺はなにかを口にした、そこに毒物が入っていたらしい。最後に口にしたのはなんだっただろうか。お茶……紅茶かコーヒーだった。それを淹れたのは……それを淹れたのが犯人だ。俺はそいつに殺されたんだ。なるほど。全く思い出せない。脳みそがなくなっちゃってるみたいだ。しかし1ヶ月て。鑑定結果出るまで1ヶ月。酷く腐っちゃいたがそんなにかかるか。存在が希薄になるかと思った。結果が出ないまで考えた。そうなったら俺ってどうなってたろうな?話が逸れた。現状そうはならなかったし、死因がわかって犯人の存在が仄めかされたのだ。俺に毒物を盛れた人間。その日俺が会った人間。それまでに至る出来事。思い出せ。そして、解明を求む。

 「その日被害者宅には何人かの人間の出入りがあった、ってわけなんだがな」
中年刑事がのんびりとホワイトボードに写真を貼りつつ言った。1人目は宅配物の配達員。この人物である可能性はかなり低い。2人目の人物は女性。
「交際相手か……なにか」
「なにかって」
若手刑事の呆れた声と同時に3人目の写真が貼り出される。また女性。先程の女性よりも年上といった風情だ。
「交際相手はこちらのほうかもしれない」
「ああ、なるほど。または両方そう?」
「可能性はなきにしもあらず」
4人目。被害者男性と同じ年格好の青年だ。
「ま、こんな感じ。痴情のもつれじゃないかなあ」
「その憶測だけでフワッと考えるのやめません?」
若手刑事は中年刑事に反発する。中年刑事はこくこくと頷いた。
「配達員以外、一応全員犯人の疑いあるもんねぇ。さあて、捜査しに行こうか」
若手刑事はゆっくりと歩く中年刑事の後を追った。
「手始めにどうします?」
「2人目の女性に当たってみようかねえ」
二人の刑事が乗り込んだパトカーは市街地へと向かっていった。 

 そういえばそうだった。あのナントカって子と、ナントカさんって人と、ナントカってヤツがうちに来たんだった。名前が思い出せない。自分の記憶がこんなに頼りにならないことがあるか。本当に脳みそは空っぽなのか?ちゃんと考えることは出来るか。……そうだ、ナントカってヤツは俺の親友だった。日中ふらっと来て、ピザ頼んで、ピザパーティーやったんだった。アイツはバカだった。ピザバカだった。うちに来てすることといったらピザ食うことか一緒にゲームすることか、だいたいそのくらい。ああ、こいつは違う。犯人じゃあない。なんとかまだ使い物になったぞ、俺の脳みそ。だからもうちょっと頑張ってくれ。あの時のピザの味を思い出す。他の二人はなんだったんだっけ。アイツいまどうしているだろう。ナントカって子にそもそも見覚えはあったか?ナントカさんって俺にとっての何だった?解明を求む。

 「高校時代の先輩で……偶然に街で会ったんです」
刑事らは被疑者とされている若い女性に聞き込みを行っていた。ボブカットの髪で、どこかおどおどとした雰囲気の女性だ。
「先輩。この人とは親しかったの?」
「し、親しかった……いえ、そうだったらよかったんですけど、そういうわけでもなくて……」
聞き込み中も視線を下に落としぼそぼそと受け答えをしている。若手刑事が質問を変える。
「ええっと、それでは大して親しくなかった先輩の家に特に用もなく立ち寄ったということになるのですが……そういうことですか?」
「あ、あの、私……先輩に片思いしていて……どうにか親しくなるきっかけが欲しくて、それで、その……」
言いながら彼女は赤面しながら泣き出してしまった。若手刑事はちらと中年刑事を窺う。この調子じゃああまり情報の提供を期待できない。
「そうか……残念だったね、彼のことね。もう今日はここまでにしとくから」
「今日はってなんですか!?まだなにかあるんですか。まだ、まだ気持ちの整理がついていないんですよ!?」
それまで小声だった女性はヒステリックに声を上げた。
「お気持ちはわかりますが、犯人がまだ見つかっていないので。被害者のためにもご協力お願いします」
若手刑事は帽子を取り、深くお辞儀し言った。それから、中年刑事と共にその場を去った。有力な情報は得ることはできなかった。

 そうだったの?……そうだったの!?忘れていた、完全に忘れてたし高校時代に面識があったこと自体身に覚えがない。本当に彼女の言ったことは事実か?脳よ、どうかもう一度仕事をしてほしい。思い出せ。確かに彼女はうちには来た。来て……美味しいお菓子を買った、とかなんとか言って。そのとき俺は?俺は。やっぱりどうしても心当たりがなく、そう言った……?
「ごめん、本当に本当に申し訳ないんだけど、俺君のこと全く知らないんだ。何年後輩で、何て子だった?」
とにかく彼女に見覚えがない旨を伝えた。伝えたら、泣きながらその場を去ってしまった。俺が淹れたお茶も買ったという菓子もそのままに。あ。そうか。そうか、そうか、そうか。わかっちゃった。犯人、彼女だ。それ以外考えられない。あとの一人は無実。配達員もピザを持ってきただけ。ピザ野郎はピザ食いに遊びに来ただけ。なんだ、そうだったか。やっちまったな、俺。でも俺とあの子、本当のところ面識はあったのだろうか?解明を求む。

 「……そんな……やっぱり。何てこと、あと一歩遅かったんだわ」
被疑者二人目の女性は口許を覆った。その顔色は蒼白だった。
「この人物とは、どういったご関係だったんですかねえ」
中年刑事はメモを取り出し彼女へ尋ねた。
「アパートの隣に住んでたの。転職のせいでもう今は別のところに引っ越しちゃったけど」
「その様子ですと、彼に何があったのかお分かりですね?」
若手刑事が聞くと、彼女は彼の肩を掴み必死の様子で言った。
「私のところへ助けを求めてきたのよ!その時の顔色は酷いなんてものじゃなかった、今にも死んでしまいそうなくらい弱りきった状態で、一生懸命隣の部屋の私まで、助けを!すぐに救急車を呼んだわ、でも」
中年刑事が彼女を宥めすかす。僅かに女性は落ち着きを取り戻し、面妖なことを言い出した。
「……ごめんなさい。救急車が到着したころには、彼……どこにもいなかったの」
「なんですって?」
若手刑事はわけがわからないといったような声を上げた。中年刑事もメモを取る手を止め、女性のほうを見た。
「信じてもらえないわよね、私も信じられないもの。彼はとてもどこかへ行けるような状態ではなかったし……」
「何者かが連れ去ったというのは?」
三人は顔を見合わせる。しばし沈黙が流れる。
「だとしたら……誰なの?私、彼がああなる前に見たのはか弱そうな女の子だけなのよ……?」
「……まだ被疑者、あとひとりいましたよね」
若手刑事は中年刑事へ耳打ちする。中年刑事は唸り、メモ帳を胸ポケットへ仕舞った。
「ご協力、ありがとうございました。またお話を窺うかもしれません」
若手刑事は帽子を取り、深々とお辞儀した。女性もまた、ゆっくりお辞儀をし、二人を見送った。

 そう。毒で死にかけた俺は必死こいて、吐瀉物垂れ流しながらお隣さんちに転がり込んだんだ。もう助からねえなこれ、そんなことを考えながら。結果助からずこうなった。彼女はとにかく瀕死の俺を必死で介抱しながら救急車を呼んでくれた。だが、だが。俺は救急車に乗せられることはなく、助かることもなかった。何故なら、俺は別の乗り物に乗せられていたからだ。急に脳みそが働きだした。いいぞ、その調子だ。なにかはわからない。車には違いないが、息のなくなった俺はシート状のものにくるまれ運ばれた。ああ、最悪だ。その時はもう既に死んでたのに最高に不快で不調で気分が悪かったのを覚えている。で、まだわからないことがある。俺はどのタイミングで毒を盛られたのだろうか。あの時俺を運び出したのは彼女か?彼女ひとりにそれだけの芸当が出来るのか?のちに地中に埋めるという大仕事もある。それを、ひとりで?
解明を求む。すべての、解明を求む。

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