巨大感情が嫌いだ

なにが巨大感情だ!!

 なにが巨大感情だ。なにがクソデカ感情、激重感情、関係性云々だ。そんなものはどこにもありはしない。

 私はオタクである。どこにでもいるただのオタクである。そしてオタクとはどうやら「巨大感情とされるものが大好き」とされる。実際、そんなオタクは多い。オタクはキャラクター間に生じるなんらかの関係性、感情が好きで好きでたまらないらしい。それが憎悪であろうと。或いは無関心であろうと。羨望であろうと。好意であろうと。嫉妬であろうと愛憎であろうと興味であろうとなんであろうと。彼らは言い出すのだ。巨大感情と。なんでだよ。そんなにでかくなかったろ。震度2くらいだよ。仕方がない。オタクはちょっとでも揺れを感じれば巨大だ関係性だエモだなんだと騒ぎ立ててしまうのだから。しかしそれが私は好きじゃあない。嫌いなのだ。大きくも重くもないのに巨大、クソデカ、激重。関係もへったくれもなかろうと関係性、関係性。気を確かに持ってくれ。ただの気のせいです。

 これを言語化したいがために私は探した。巨大感情の類を嫌うオタクを。幾らか見つけはした。「巨大感情が嫌いなオタクなんているわけがない」という思い違いも。まあそれはこの際置いておこう。特に目立った意見としては「巨大感情(クソデカ感情や激重感情、関係性)といった言葉、言い方、表現が嫌いだ」というものだった。


 ……えっそういう……?

 そう、そういう……?成程、言い方。表現。彼らとしては「言葉にしようのないなにか素敵なものに珍妙なネーミングをつけて形にしてしまうこと」が許せないらしい。恐らく彼らは巨大感情そのものが嫌いなわけではないのだろう。ただ薄っぺらい変な名前を付けられ、それが流布してしまったことが嫌なのだろう。あとはただ単に「クソデカ感情とかいう言葉が汚くて嫌い」といったものだったり。そうかあ……としか言えない。別の表現を模索してほしい。言語、表現の不一致派とも意見を違えてしまったオタクだが、私はなんなのだというと……今から綴るが今もハッキリとはわかっていないので、うまく言語化出来る気がしないが折を見て編集していきたい。

 私が巨大感情の類を嫌いとするのは、ありもしないものをあると大声で吹聴しているさまがどうも気に入らないからだ。大方オタクの幻覚、妄想だ。たとえ公式から「これは巨大感情です!」「クソデカ感情あるよ!」「関係性が凄い!!」などと言ってお出しされることはないだろう。仮にそんなことがあったとしてもオタクたちは食いつきはしないだろう。オタクたちはないものに、行間になにかを見出だすことの多い者たちだからだ。そうやって幻覚を見る、相関図へ矢印とともにクソほど長くて重い文を書き込む、スクショとともに如何に重いかを長々と書き連ねる。おお、オタクの業。オタクのライフワーク。オタクがしないと死ぬ行為。これを二次創作の範疇、ただの※これは私の幻覚です であることを理解していなければアレルギー反応が出てしまう。出ない。オタク特有の大法螺である。しかしさも原作、公式がそうであるかのように言い出すオタクとはマサラタウンでサヨナラバイバイしたい。あと考えられる理由のひとつとしては、シンプルに「重いのが嫌い」がある。なんかなあ。嫌なんだよなあ。

 オタクは巨大感情が大好きである。今回調べてようくわかった。嫌いな人間を一所懸命探してみたが方向性の違うオタクばかりだったからほんとうに表現や言い方が気に食わないだけで、巨大感情が大好きなのだろう。しかし私は感情ミニマリズム派閥の者なので、「感情も関係性もないとされているところにごくごく微小な感情とも言えないなにか」があるやつを支持したい。微小感情の時代。………来る気がしない。
 

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