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捨てるための日記_13「フレンドリーな文と隠語の取扱い」

自分が知っている単語って、なんとなく他人も既に知っているでしょという気になることがある。でも自分もかつては知らなかった単語で、調べて覚えたりニュアンスでなんとなくわかったりした言葉もあるわけだ。

専門用語とはまでは言わずとも、そういう単語にはなるべく注意を向けるようにしていきたい。適宜、簡単な説明を加えたり、こういうニュアンスで使っていますとか、意図をもって使っていますとか、そういうの。

それともうひとつ。
Twitterみたいなオタク文化が強いところでは、直接的な名詞は使わずに通称や隠語を使うことがある。仲間内だけに伝える略称とか呼称を用いて、発言を受け取る人を選別するやり方だ。
内輪に向けた発言をすると内輪だけで盛り上がれる。そこには当然メリットもデメリットもある。

例えば。
マンガがヒットしてドラマになった作品がある。私は好きだけど、一部の人は肌に合わなかったらしくポリコレアフロと揶揄されたりしていた。まあ、合う合わないはあるし、これは私向けではないと思った人が、なるべくそのままの作品名を出さずに言及するとき、そういう隠語は便利だ。
なぜなら発言力のある人が作品名を直につぶやくと、フォロー関係が全然ない人とかが全く悪気なく「こういうところがいいんです!」と鼻息荒く解説してくるパターンがあるからだ。
人気があってみんなこういうのが好きなんだなと思ったけど、強烈なポリコレ臭を感じて自分は無理だった、という理由自体に理屈はとおっている。だから、私がこの作品を好きだっていう自由と同じくらい、肌に合わなかったという理由があるのは理解できる。そしてそういう人が衝突を避けるために隠語を使うのもわかる。まあこの言葉自体が一部では有名になりすぎて、隠語の意味はなくなっていたけれど。

だからこの手の表現を「流行っている隠語」「みんなが使っている婉曲表現」という軽い意識のつもりで使うと反感を買いやすい。
この表現にはちょっと悪意というか嫌味のある揶揄が含まれているせいだ。

人気作品は、言及していなくても好きだって人はけっこう多かったりする。読んだことないけど、周囲がそういう表現をしているからという理由で簡単にそれに乗っかってしまうのは危険だ。というか、読んでいない人ほど流行り言葉に乗っかって揶揄的表現や言葉を使っている印象を受ける。

同じ言葉を使って発言していても、反感を買う人とそうでない人との差というのはこういうところで出る。
明確な理由があってその言葉を使っている人は、過去の発言の整合性からもなんとなくその理由がわかるから、あまり非難されないし多分絡まれない。(ように見える。違うかもしれんけど)
ポリコレアフロと発言して知らないうちに反感を買ってしまう人というのは、自分の発言の無自覚さに注意したほうがいいと思う。

なので私は、ネットで使われている言い回しやミームなんかにはなるべく距離をおいて接するようにしている。実際のところネットでの言い回しとかは定型文になっていて、それを使えばわかる人には通じちゃうところがあり、ハマってしまうと楽しい。しかし内輪向けになりがちなTwitterだからこそ、そのラクさには常に注意したい。
それと同時になるべく誰が読んでもわかるようなフレンドリーさのある文を書いていきたいと思っている。説明を省かないこと、手を抜かないこと。
まあこれは、捨てるために書いてる日記だけどね。

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