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サンタクロースが去ったあとの世界で、子供と向き合うこと

個人的な子育ての話です。

と以前にツイートして、しんどいはしんどいのですが、楽しくもあります。何が、というと、子供の成長を目の当たりにすることがです。
もちろん子供が生まれたときから、どんなときも、子供の成長をすぐ近くで見ることは、少なくとも私にとっては幸せなことで、それは変わりません。
まだ子育てを終えていない、トラック・レースで言えば第4コーナーにさしかかろうとする位置にいる私の感覚なのですが、子育てというのは、ザックリ分けると2段階あると思っています。
子供が"こども"である時代と、子供が"オトナ"になっていく時代です。我が家の一姫二太郎は、後半の段階に入りました。

"こども"時代とは、また私の定義ですが、赤ちゃんのころから「サンタクロースが"いる"世界」を卒業するまで、です。6年ほど前、こんなツイートをしたことがありました。

成長して、空想と現実の境界が明確になってきたころ、良好な関係性を幸福にも築けてきた親子は、「大人同士」にほぼ近いようなコミュニケシーョンをとれるようになっていくのだと感じます。つまり、会話が成立していきます。親子が互いの性格を知り(想像し)、いろいろな"文脈"をふまえた、次元の高いハナシが出来るようになる。たとえば「この社会はどうやって成り立っているのか」とか、「パパ(私)はどういう人生を歩んできたのか」とか。
さいきん上の子(娘、中2)に寄り添って、一緒にたくさん勉強をしていて、そのなかでいろいろな話をして、息抜きをするため二人で出かけたりしているなかで、あらためて「おお、なんだコイツ、、これはもうだいぶ大人じゃないか」と、シンプルに驚いています。赤ん坊のころからのさまざまな「場面」をこちらは記憶しているわけなので、感動とともに実感している次第です。
(仕事の性質上、妻に比べて接する時間は遥かに少ないので、気づきが遅かったかもしれません)

空想、夢の時代を彼女がどれほど楽しんで、何を経験したのか、それが彼女の人格にどのように影響しているのか、それはよくわかりません。そして、子育てがうまくいっているのかいないのか、そんなことは私にはわかりようもありません。もっと後になって、彼女自身が決めることだと思っています。いま、目の前にいる娘と自分がどういう関係であるのか、何か問題はあるのか、そういうことを、日々のコミュニケーションから真剣に考えることが大切だと考えています。

子供が"オトナ"になっていく時代に入り、思春期の心が繊細になっていき学業もハードになっていく段階は、冒頭のツイートで書いたように、親としても、それまでとは質の違うムズカシさに直面します。父である私は我が家においておもな稼ぎ手であり、肉体も衰えていくなかで、自分自身の労働面でも責任、負荷が大きくなったりして、(妻とは異なる)ハードさはあるのですが、子供だってタイヘンなのです。ここは親子という協働人生の正念場のひとつだと思い、「育てあげる」ところまでは、しっかりと息を合わせて伴走していきたいと思っています。子供に「孤独感」を抱かせたくない。

やがていつか、自分が握っている"バトン"をうまく引き継げたならば、それは私にとって、自分の人生の役割を終えたことを意味します。

いつだって、子供の成長はうれしくもあり、さびしくもあります。あと数年を、瞬間瞬間を、噛みしめるようにして楽しみたいですね。

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