視点が増えると


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この投稿を見て「嫌い」を自分の中で処理して、そこから相手とどう関係をとっていくかって、成長するにつれて当たり前にやっているけど、まだ小さい子にとっては難しいことだと改めて感じた。

まだ幼児・児童期だと主観的な見方になりやすいし、経験値も少ない。
そういった点を大人がフォローしていくのが大事だと最近痛感する。
ただ、解決策を提示するのではなく「一緒に考える」のが大切であると私は考えている。
まず、なぜその子にアプローチするのかは、その子が自立・より生きやすくなれるようにするためである。
そのためには思考の筋道を一緒に考えて、事例をたくさん作っていき、段々と考え始めのスタート地点が成長していったり、1人で考えられたりすることだと思う。

何度も似たようなことを書いている気がするが、教育・保育の現場では先生たちが余裕がなく、話し合える場が少ない。
現場を回すことが優先順位の中で高く、子ども同士で何か起こってしまいそうなときに未然に防がせるか、事後はヒアリングも少なく謝らせて終わりという光景が目立つ。

現場に余裕があり、もっと全員が話し合える環境になっていく方が、先生も生徒も将来的に幸せだと思う。
余裕をなくしてしまっている要因って配置人数であったり、そもそも日本の文化的に話し合うという考え方が根付いてないのもあるよなと、簡単には解決できないから気づいた自分から少しづつできることをやっていこう。


保育に関わって

保育園で勤務しだしてから、まず乳幼児の子の成長過程について知らなさ過ぎたので、本を借りた。
その時にたまたま脳科学の本があって、読んでみたら心理学とは違って、成長過程の脳の進化方法が面白くて、脳科学系の本にハマった。

障がい者の子と人生で初めてがっつり関わった時に、障害について無知なことに気づいて本を読みだした。

子どもを少しはよく見れるようになったときに、家庭環境の影響力の大きさに気づき、母親と子どもの関係について考えるようになったら、社会問題(セックスワーク・貧困)の本を借りた。

そういえば、海外の保育事情ってどうなんだろうと考えるようになり、海外教育・保育の本を借りた。
その後、日本に在住している外国人やそもそも海外の現状を知らないなと思い、技能実習生・海外ニュースの講演や動画を見るようになった。

私は保育のおかげで、まず読書を再開して、地域にいるいろんな家庭や人を間近で感じるようになって、社会のいろんな問題を自分事として考えられるようになった。
最初はこの問題を私が解決できればと思ったが、それをやろうとしていた時は先だってキャパオーバーであるし、自己犠牲の精神でしかやりきれなさそうだったことから、メンタルは死にかけていた。
一度落ち着いて考えてからは、全てやろうとすると苦しいし、新しい情報も入れたくなくなるから、知ろうとする姿勢を保つことが一番大事だという結論に至った。
知らないことは知っていけばいいし、知らないままにするのが一番よくない気がすると思った。




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