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脳科学・心理学系の読了本から


「疲労は肉体で実際に起きているものではなく、感覚や感情というべきだ」と述べています。つまり、疲労は体の動きを止めようとする脳が生み出した「感覚」に過ぎないということです。
これはつまり、自制心を発揮した後に「もう限界だ」と思えるほどの精神的な疲労を感じても、それは脳がそう感じさせているだけで、実際にはそれは限界ではないということを意味しています。

自分が感じる疲労はそれが限界だと思っていたけど、場合によっては脳が作り出しているのかもしれないと思うと、日々の限界だと感じる時に選ぶ行動が少し変わりそうだと思った。
ただ私の場合、限界を超えて体や心を壊したことがあるから様子を見ながらではある。


報酬への期待があまりにも強烈なせいで、私たちは「満足」をもたらすどころか「悲惨な結果」を招くものを消費し続けます。
ドーパミンの主な働きは報酬を追い求めることなので、ストップ信号を出すことなどありえません。
こうして脳内物質に操られて衝動に走ると、私たちは自己破壊的な行動をとってしまいます。

本書の中で「こういった脳の働きからまずいポップコーンにも関わらず食べ続けた」という研究結果から、自分でも「なんでこれを続けているんだろう、、、」と思い続けながら、やっている時があったがこれは脳の働きからだったのかと驚いた。
今後こう思ってしまうことがあった時に少しでも早く「これは脳の働きであって、私の本意はこれを続けたくない」と考えが働けばいいなと思ったけど言うは易く行うは難しだろう、、



離見の見

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16nv/032200016/042500006/?P=1

世阿弥は『花鏡』に、演者は3つの視点を意識することが重要だと書いています。
1つ目が「我見(がけん)」。役者自身の視点です。2つ目が「離見(りけん)」で、観客が見所(客席)から舞台を見る視点を指します。3つ目が「離見の見(りけんのけん)」。これは役者が、観客の立場になって自分を見ること。客観的に俯瞰して全体を見る力です
離見の見にて見る所は、すなはち、見所同心の見なり(『花鏡』舞声為根)役者は演じながら、同時に観客にはなれない。けれど観客と同じ気持ちになろうと努力することはできる。この努力が実を結ぶことを「見所同心」と世阿弥は表現しました。ただ、いずれも容易ではない。その難しさを誰しも理解するからこそ、世阿弥のこの言葉が時代を超えて長い間語り継がれてきたのでしょう。

日常からどんな状況であれ、離見の見は行うことで視点が増えるが、これを無意識に精密にすることはとてつもなく難しいから、コツコツしていきたい。


マインドフルネス

https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_699.html

私たちは、今この瞬間を生きているようでいて、実は過去や未来のことを考えて、「心ここにあらず」の状態が多くの時間を占めています。特に、過去の失敗や未来の不安といったネガティブなことほど、考えを占める時間が長くなりがちです。つまり、自分で不安やストレスを増幅させてしまっているのです。こうした心ここにあらずの状態から抜けだし、心を"今"に向けた状態を「マインドフルネス」といいます。

マインドフルネスという言葉は何回も見聞きしてしたが、意味がいまいちわかっていなかったので調べました。
説明を読み、「今ここ」に集中するために瞑想をするというのも納得がいった。
後先のことを感が過ぎてもわからないことが多いし、先にどうつなげるかも「今」次第だから、マインドフルネス大事だと感じた。


立って読書

たっちレディオでもスタンディングめちゃいいと言ってたし、実際座ってパソコン触っていると姿勢が悪いし、疲労も異常にある。
これからはスタンディングに移行していきたいな。

糖質と糖類が血糖値をあげる

チョコの原材料名を見ると一番最初がカカオマスでなく、砂糖が多いものがあるから気を付けるというのを読んで、一時期カロリーは見ていたが、こういった根本的な原材料を見て考えるのも大切だと思った。


ゆっくり食べることは、味覚にとっても重要です。
ふつう味覚は下で感じるものだと考えがちですが、じつは味覚のうち、下で感じる割合は2割で、残りの8割は「喉の奥から鼻に抜ける香り」で感じています。

舌だと思っていたら、喉の奥からの香りの方が大きいことに驚いた。


37 自分を優先する

理想主義者たちは「たとえ自分が恵まれていなくても他人が恵まれるように心がけなさい」と教える。これは崇高な考え方のように聞こえるが、自分を犠牲にするとは、他人が自分より重要だと信じることだから、これなナンセンスである。
人間の価値を測る尺度は存在しないのだから、「他人が自分より重要だ」ということはありえない。私たちはみんなと同じくらい重要な存在であり、一人ひとりが必要としていることも同じくらい重要なのだ。


38 他人をむやみに持ち上げない

自分は他人より重要というわけでもないし、重要でないというわけでもない
特定の人たちを実際以上にえらい人間だと考えているのは自分なのだから、その人たちを実物大に戻すのも自分だ。他人が自分と異なっているからといって、その人がそれだけで偉いということにはならない。私たちはみんな、しょせん人間なのだ。


44 自分の思いどおりに生きる

思いどおりに生きるという他人の権利を侵さないかぎり、自分にも同じ権利がある。

他人に自分の考えを押し付け、他人の人権を踏みにじる。


46 自分の考えを全て受け止める

自分が心に抱いているすべての考えは、自分の重要な一部分として受け入れる。
実際のところ、だれしも心の中に何らかの醜い考えを抱いているものだ。不幸なことに、多くの人は自分の心の中に生まれた考えを捨て去ろうと努力する。しかし、自分の一部を否定することは賢明なことではない。あるものをないと思いこもうとしても、それ消え去らないからだ。
一番賢明な対応策は、自分の考えは自分の考えであることを認め、静かにそれを受け入れ、自分を洗い清めることである。


56 いい人をやめる

頼まれたことを何でも引き受けない。
・頼まれたことが本当に重要なら助ける
・相手が自分だけでできないのなら助ける
・自分で問題を作り出した人には、自分で解決させる。
・あなたを助けてくれたことのある人には、きっちりとお返しをする。


64 自分の個性を受け入れる

あなたはそれほど他の人と違うのだから、あなたを完全に理解する人がいなくても不思議ではない。あなたの思考と行動は、あなたをよく知っている人にとっても謎である。
あなたはこの地球上で個性的な存在だ。あなたは個性を発揮して、独特な影響を世界の人々に与えている。自分では気づいていなくても、あなたは世の中に対して他の誰とも異なる独自の貢献をしているのだ。
ただし、あなたが個性的な存在だからといって、他の人より優れているとか劣っているということではない。地球上すべての人が個性的な存在なのだ。


72 バカにされても相手にしない

・相手が不愉快な思いをしているのを面白がる。
・自分と違っている人をバカにすることで優越感に浸る。
・精神的苦痛を相手に与えれば、自分の苦痛が減るような気がする。
・自分がバカにされるのを避けるために、人々の注意をそらそうとする。
・自分がバカにされると深く傷つくが、相手は自分ほどには精神的苦痛を感じないと思っている。
幸せで充実した人生を送っている人は、誰にも苦痛を味わわせる必要性を感じない。こういう「必要性」を感じる人は、自分の不適切な行動の原因が未熟さと不幸にあることに早く気づいて反省してほしいものだ。


78 耳の痛いことでも快く受け入れる

建設的な批判は人身攻撃とは違う。しっかり聞いて自分の向上に役立てる。
あなたが苦言にどう対応するかは、あなたが自分についてどう感じているかに大きく左右される。健全な自尊心を持っている人は、建設的な批判をされたときに感情的になることはめったにない。しかし、自尊心が不十分な人は、それを人身攻撃と考えたり、自分のいたらなさの証だと思い込んだりする。自分のことが好きでない人ほど、苦言を快く受け入れることができない。


07 「なりきり」作用を駆使して、「なんか、この状況を逆に楽しんじゃってる」気持ちになってみる

どんな状況も「楽しい!」と感じている人(あるいは、楽しもうとしている人)は人生の勝利者だと思います。
(中略)
つまり、「楽しんでいる自分になりきる」ということです。じぶんは楽しんでいるのだと脳をだますのです。
接待で偉い長い人の長話に付き合わされているときは、
「こんなに話がつまらないのに、これだけしゅっせできるなんて、逆にこの人に興味が湧いてきた。いったいどんな人生を送ってきたのか質問をしよう」

飲み会がノリの合わない人ばかりだったら、
「こんな中でもスッと自然に溶けこめる、私は松山ケンイチのようなカメレオン役者」

渋滞がひどすぎたら、
「おいおい、いくらなんでもひどすぎ!笑っちゃうよ!(私)もう歌っちゃおうかな!」


08 胸を張って生活することで「できる人」のオーラが自然と発せられるようになる

「パフォーマンス」や「雇用の可能性」などの評価は、面接前に堂々とした姿勢を1分間取ってから望んだ人たちの方が高いものとなりました。
この際、被験者本人たちのパワフルさに関する自己評価も高かったそうです。「積極性」に関わるホルモン、テストステロンが出ている感じが伝わってきます。


10 「ぼーっ」とすると脳は平常時の15倍働き、良いアイデアがわいてくる

何か行動をしているときと、ぼーっとしているときの脳の働きを比較したところ、後者の方が記憶に関する部位や価値判断に関する部位が活発に働いていたという報告もあります。
何かをしているときは、その行動をするために脳の部位に血流が多く流れます。反面、一部に血流が集中することで他の部分の動きを鈍くなります。
一方、ぼーっとしている場合は、何かをしているときに使われていなかった部位にもエネルギーが行き届くのです。そのために、それまで浮かんでこなかったような考えが浮かんだりします。


15 社会的な「意義」よりも個人の「好き」の方が動機付けとしては強力

自分の「やりたいこと」に対して、教養のため、人類のため、出世のため、などと「理由づけ」をする人ほど、長期的には結果が悪くなる傾向が出たそうです。
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この動機づけの種類にもいろいろあって、「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」というものがあります。(他にもいくつか動機づけの種類は存在します)。ざっくりと切り分けてしまえば、「国のため」などといった理由づけをすることが外発的動機づけ、「好きだからやる」のが内発的動機づけとなります。
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もちろん、仕事に置き換えても同じことで、開発途上国に貢献できる仕事がしたいと考えた時、社会起業家やNPO団体の職員として働くストレートな道もありますが、自分のいる環境や得意なことを活かして、途上国のためになるサービスや商品を開発したり、様々な分野の人と組んで、アイデアを共有する、とう手もあります。
重要なことは、できるだけ多面的に物事を見て取り組んでいくことです。

メンタル・コントラスティング


16 正しい自信をつけるには「認知バイアス」の壁を打ち破る必要がある

能力の低い人ほど、自分の未熟さや他人のスキルの高さを正しく認識できない。そのため、自分を過大評価する傾向がある」ということです。
(中略)
自分の非や弱さを認めてしまうと自分の存在意義がゆらいでしまうので、過剰に守ろうとしてしまう、というわけです。
(中略)
つまり、人間だれしも「自分の能力不足を認めるのはつらい」ということです。そのため、多くの人が認知バイアスの罠に陥り、現実を正しく見られず、成長の機会を逃してしまっています。
これは反対に考えると、「だからこそ、自分の能力不足を認め、改善しようと努められる人は稀であり、貴重な存在」なのです。


31 朝起きた時に息が上がるくらいの運動をすることで、脳がベストな状態に覚醒する

脳が活動するには酸素が必要です。そして、酸素は血液によって脳に運ばれてきます。運動をすることで心臓から脳にどんどん血液が送り込まれるために、脳がベストな状態になるわけです。


38 外国語を学ぶと脳が発達し、マルチタスクが得意になる

外国語を話すことで脳の老化を遅らせられるという報告があります。
バイリンガルはマルチタスクに優れ、多面的に物事を考えることにも長けているという報告もありますし、バイリンガルはそれぞれの言語を話すときに違う脳の回路を使うため、仮に脳の障害などで一つの言語回路を失っても、言葉を失わないということも示唆されています。


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