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池谷さんの著者本 感想

人の心を動かす❝言葉❞とは?

この実験のルーツは、犯罪心理学の研究にあります。そもそも犯罪者はなぜ罪を犯すのでしょうか。好んで罪を犯す人は少なく、多くのケースでは、貧困や宿怨や嫉妬、失恋など、止むに止まれず犯罪に走っています。このときの心理は「本来の自分は善良なのだが、今回ばかりは特別だ」と心に蓋をします。
多少なりとも罪悪感がある人であれば、自分が「根っからの悪人」ではないことは、自分が一番よく知っています。ですから「本当の人格」と「実際の行動」は別物であるとして、犯罪に走る自分を心理的な安全圏に避難させるわけです。
さて、改めて先の問題を見てみましょう。忠告A(ウソをつかないで)の指摘対象は「虚偽の申告」という「行動(=一回の過ち)」にのみ言及したものですが、忠告B(ウソつきにならないで)は「人格」そのものに言及しています。だから心に届くのです。
左より・・・
「犯罪なんてしないで」→「犯罪者にならないで」「裏切らないで」
「投票は大切です」→「投票者としてふるまうことは大切です」
「怠けないで」→「怠けものにならないで」
「無駄遣いをしないで」→「浪費家にならないで」
「いつも笑って」→「にこやかな人になって」
「私の状況を理解して」→「私のよい理解者になって」
「泣かないで」→「泣き虫にならないで」
?「結婚してください」→「一生のパートナーになってください」

これを意識するだけで自分も周りも楽になりそう。


男女で違う脳の使い方

脳活動の大半は言語や知識に関与する部位で見られ、その点については男女差がありませんでした。
しかし、女性でより強く活動する部位がいくつか見つかりました。その一つは側坐核です。側坐核は快楽に関与する脳部位です。つまり、女性の方がユーモアを楽しんでいるようなのです。
側坐核の活動は、期待と現実の「差」に比例します。収入で考えるとわかりやすいでしょう。同じ獲得額であっても、予想よりも多額だった方が嬉しいものです。ライス博士は「女性の方がオチの面白さを過剰に期待していない」と推論しています。つまり、「男はオチの前からその結果にこだわっているのに対し、女は素直に提示されたオチを楽しむ」ということのようです。これに加えて、男は妙な競争心から「上手いこと言う奴だな」という嫉妬もあり、素直に側坐核が活動できない可能性も考えられます。

なんか、女の子の方が笑ってくれるみたいな聞いたことあったけど、あながち間違った見聞ではなかったのだな。


寝不足になると脳がサボる

おもしろいことに徐派睡眠の時の方が大脳皮質は活発で、この時、ほぼすべての神経細胞が活動しています。活動の様子も独特で、神経細胞が同期しています。
活動のタイミングが揃っているということです。
この足並みがそろう活動は、ゆっくりと大規模にそろうので「徐波」と呼ばれます。これが深い眠りを「徐波睡眠」と称する理由です。
一方、レム睡眠中の脳は、覚醒しているときの活動パターンにそっくりです。実際、夢を見たと自覚されるのはレム睡眠であることが多いのです。
本来、深い眠りの時に脳の全体で足並みをそろえて観察される徐波なのですが、寝不足の時には、足りない睡眠時間を補うためなのでしょうか、細胞たちが交代で徐波を出していました。トノーニ博士は、こうした脳の部分的な眠りを「局所睡眠」と呼んでいます。

局所睡眠をしているときは仕事勉強などの効率成績が低下する。
理由は脳のパーツが交互にサボっているから

イルカや渡り鳥は、脳を半分ずつ交互に睡眠させながら移動することが知られています。寝不足の時や覚醒前に観察される脳の部分睡眠は、人がまだ野生動物だったころに活用していた能力の名残なのかもしれません。

寝不足の時の集中力のなさは脳内で局所的に睡眠してるからは驚いた。


「脳の活性化」は本当にいいの?

一つは「海馬が活動しすぎると、かえって認知力が低下する」というものです。つまり、適度な活性化が重要だとする説です。もう一つの説は「脳の機能が衰え始めているので、失われつつある脳機能を補うために、海馬の活動を高めている」というものです。要するに、海馬の過剰活動は、認知症の原因なのか結果なのかという解釈です。
(省略)
認知症の患者に、抗てんかん薬を投与したところ、海馬の活動は正常レベルに落ち着き、同時に、健忘症も改善されました。
過ぎたるは及ばざるが如し—脳が活性化することは必ずしも良いとは限らないということです。
抗てんかん薬(てんかんは脳が過剰に興奮してしまう疾患です。抗てんかん薬は、この行き過ぎた脳の活動を戻す薬です。)

脳が老化しているが、脳自体はそうならないようにあらがっているのに結果的にはボケてしまうって、体のつくりは不思議。


❝若者❞でいることがうつ病に?

年を重ねると、否定的な感情が減り、人生に対して肯定的になります。この心境変化は一般的に「残り時間の少なさに気づくことで情動を幸福へ適応させる順応プロセスの一環だ」と説明されます。別の説明として「財産やチャンスが減っていくことを埋め合わせるための補完的な感情変化だ」と唱える研究者もいます。
うつ病が高齢者に多いことをご存じでしょうか。うつ病疾患の4割は、60歳以上です。この数値は治療を受けた患者の身で、現実には、国内で100慢人もの老人性鬱患者が通院しておらず、先の数値に反映されていないといわれています。
見逃される理由として、認知症と区別しづらいことが挙げられます。記憶力や集中力の低下は、老人性鬱に典型的な症状です。「老人性うつ」(PHP新書)の著者、和田秀樹医師は「ボケたと思われている7、8割はうつである可能性がある」と指摘し加齢に伴ってうつが増えるのは、おそらく生物学的現象の一環です。つまり、神経伝達物質の減少という器質的な経年変化です。老人性うつは、若者のうつより抗うつ薬が良く聞くという事実がこれを物語っています。
健康な高齢者は、ものごとが必ずしも自分の思い通りにならないことを知っている」と指摘します。諦める能力—。逆に言えば、いつまでの若者のような脳の使い方に固執する人がうつ病になりやすいとも言えそうです。

老人性鬱があるなんて知らなかったし、5割以上はいるかもしれないという数字に驚いた。認知症の方が認知されているし、うつは中年くらいの人がなってしまうイメージが強い気がする。
自分の思い通りにならないことを知るって、相手の立場になる気持ちや話し合いをしてこないと気づけない気がするなと思った。


ヒトの善悪を科学で分析すると

博士らが注目したのは、「直感」と「熟慮」の違いです。どちらもヒトの判断の重要な要素ですが、直感の方が判断は早いことが知られています。つまり、「直感」はより生命の本質に根ざした瞬時的判断であるのに対し、「熟慮」は時間をかけるぶん、文化的要因や環境的要因が反映される余地があります
つまり、性善説が正しければ直感は反射よりも好社会的になるはずで、性悪説が正しければ直感は反社会的になるでしょう。

ボランティアを集め、手渡した金をどれほど寄付するか観察。
寄付金を決定するまでの時間が早い人ほど寄付率が高く、熟慮するタイプは自己利益を優先する傾向が強かった。
その後の実験で判断の遅い人に「迅速に判断してください」と促すと寄付率が高まった。

直感的に決定すると、自分中心的な行動よりも、他人を利する行動が増えるわけです。この結果から、人は生まれながらにして「善」であることがうかがえます。一方、「悪」は、直感的な結論を一歩踏みとどまって「考える」ことから生まれるとも言えます。
性善説を唱えたのは孟子だとされています。しかし、孟子はひたすら楽天的な人間論を展開したわけではありません。「人間の道徳的本性は善であり、これが隠されて悪が生まれる」と説いています。

性善説を考えたことがあまりなかったけど、実験方法としてこのやり方を考えつくのが面白かった。
直感と熟慮に関しては言われてみるとその通りだなと思った。


白い音、白い匂いとは?

この三つのセンサーが満遍なく刺激されると、「白さ」という近くが脳に現れます。つまり、三つのセンサー(網膜には赤・青・緑の3種のセンサーがあります)にとって、できるだけ相互に重なり合わない波長スペクトラムの色が反射されれば、「白」に近づくというわけです。
これと同じ原理は「音」についても成り立ちます。様々な音程を混ぜると「白」になります。いわゆる「白色雑音(ホワイトノイズ)」と呼ばれる音です。チャンネルの合っていないラジオから流れるザーというノイズは白色雑音です。音の「白さ」とは、あんな質感なのです。
博士らはこの白い匂いを「ローラックス」と名付けました。光や音と同じ原理が嗅覚にも成り立つわけです。光が三原色なら、匂いは「三十原香」といったところでしょうか。
もちろん、白い匂いは、無臭ではありません。香りの混合ですから「白い香り」という質感があります。ちょうど、白色雑音は無音ではなく、独特の音であるのと同じことです。
色も同じです。純白、潔白、などの言葉から、白には「無」「初」「虚」のイメージがありますが、白は決して無色透明ではありません。白という「色」は、それ自体が固有な質感を持っています

白って白じゃん。くらいのところまでしか考えたことがなかったけど、白を考え続けるとこんな話が広がるのかと面白かったし、言われてみれば白色ではないが形容して使われていることあるなと思った。


くすぐったさはユーモアの原型

さらに誰がくすぐるかも重要です。一般的に親しい人にくすぐってもらうのが効果的です。見知らぬ強面風の男性にくすぐられても、くすぐったくないでしょう。つまり、くすぐられ側の精神状態に依存するのです。たとえば、泣きわめいている子供では、たとえ近親者がくすぐっても効果がないものです。
こうした現象の中で、とくに注目に値するのが、「本人がくすぐってもほとんど効果がない」という事実です。この現象を拠点に様々な研究が行われた結果、現在では「予測不可能性」が、くすぐったさの鍵を握っていることがわかります。
総合して考えると、「予測と不一致は快楽と関係がある」ということになります。これは、まさに、冗談やギャグと同じです。予想通りだったらば「おもしろみ」は生まれません。ユーモアは、期待の展開と異なった場合に生じる感覚です。
実は、くすぐったさがユーモア感覚の原型であることを最初に明確に指摘したのはダーウィンです。1872年の著書「人及び動物の表情について」には、「くすぐりは動物たちが転げまわって遊ぶ遊戯に由来するもので、原始的ユーモアである」と記されています。

くすぐるのもやられたら笑えるな、大人になってからあんまり笑えなくなったなと思っていたけど、子どもの頃はどうやられたらくすぐったいか経験値がないからすぐに笑えたのかなと思った。

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