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支援とメサイアコンプレックス


実際、臨床心理士を目指す人によくある間違いが、「人を助けたい」という気持ちに溺れてしまうことです。単純に「人を助けたい」という気持ちに溺れてしまうことです。単純に「人を助けてあげたい」という援助願望だけでは矛盾が生じ、行き詰ります。
この援助願望は「メサイア(救世主)コンプレックス」といって、人をほめてもらおうとしたりする、間違った姿勢につながりかねません。
実は助けた人に「あなたはすばらしい」と言ってもらうことで自尊感情を満たしたいだけで、救いたいのは他人ではなく自分だったというわけです。


自分が納得してやっているつもりでも、自分を削ってしまうと、「あなたのためを思ってしているのに」と責任を被せるようになりますし、それによって相手に「自分はだめな人間」だと思わせたこともあるはずです。もしかしたら本当はその人のためにならないことや、望んでいないことを押し付けていたかもしれません。こういう人間関係は誰にとっても幸せではありません。
「サバイバーズギルド」という、生き延びた人が感じる罪悪感がありますが、私もそうなのかもしれません。その罪悪感を埋めるために「私は救われたのだから、その恩返しをするために生きる」「恵まれているのだから、そのぶん人の役に立たなければいけない」そう考えて生きていました。自殺をしたいと思ったこともありますが、その理由は「自分が苦しいから」ではなく「このままじゃ私はみんなに恩返しができないので生きていてはいけないから」でした。いま考えるとすごく歪んでいるのですが、罪悪感型ともいえるメサコンをずっと抱えていたのだと思います。


自分に自信がなく誰かから感謝されるような行動をしなければ社会から受け入れられないと感じている。
人を助けることに自分らしさ(アイデンティティ)を見出しており、自分らしさを維持するために自己犠牲をしてでも助けようとする。
周囲から感謝されるようなことでしか自分を受け入れてもらえなかった経験から、自分を犠牲にしてしまう。
「幸せな人なら慈善活動で誰かのために奉仕するものだ」という考えに囚われている。本当は不幸な状態なのにそれから目を背け、あくまでも自分は幸せな人だという実感を得るために慈善活動にのめり込む。


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保育ソーシャルワーク

https://www.hogoshasien.com/%E4%BF%9D%E8%82%B2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%81%E6%80%A7/?mobile=1


自分の経験とその子をかぶせてしまってるなとふと思うことがまだまだある。
自分のことを少しずつ棚卸しながらも、相手と自分を分離して考えて接せられるようになりたい。
保育で自分を成り立たせるのではなく、保育を通じて自分をわかるようになりたい。

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子供も親も余裕のできる場づくりをしたいな

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人を選ぶのは福祉ではない

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保育
ただただ関連するのを学ぶのが楽しい。
この知識を支援が必要な人には活かしたいし、必要のない人にはむしろ円滑になってる理由を聞いて勉強したい。
親子の関係って深いから、少しでも相互が良くなるお手伝いをしたい。
それか、自分は自分でいいと幼い頃から思ってもらえるような保育をしたい

勉強していて、もし自分に子どもができたら、こんな客観的に同じような対応はとれないと思う。
だからこそ、親子の最初の一歩を第三者の立場から支援できればなと思う。


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