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期待と説き伏せる

一時保育のとこ辞めました

縛りがない分、自由度が高く全体的にも余裕があるのかと期待していた。
働きに行くと、まず自由というよりは放置で見守っているのかわからない環境。
一歳の子が泣くと「泣かない」と一喝し、挙句の果てひどいあだ名をつけ呼ぶ始末。
子どもに注意する際も、大人基準での声掛け。
余裕がなく、伸び伸びと全体的に話し合える雰囲気ではなく、共有も難しい。

家のような環境は悪くはないと思うが、保育をするのであれば多少の環境整備は必要だと思った。
ずっといても、自分の理想とする保育像から遠いと感じ辞めました。
いろんな保育の仕方があるけれど、無理して遠いやり方を学ばなくてもいいかなと思った。


学童での一場面

不審者に襲われた時どうするかということを話していたら『傘で対処する』と言われた。
襲われた時は逃げる・大きな声を出すが基本だが、そのまま伝えても納得しないと思い、「傘がない時はどうする?」と聞いた。
そしたら『大事なところを蹴って逃げる』と言われた。
足が速いからまず第一に逃げて、助けを求めることを提案したがいまいち腑に落ちない様子だった。

会話中は否定をしすぎずに会話をしながら気づいてもらえるように、やんわりと話せたつもりである。
しかし、心の中では今ここで私の考えている考えに切り替わってほしいと思った。
けれど、最近は大人からの一言は種まきだと捉えている。
その種は開くこともあれば、ずっと土に埋まっているかもしれない。
人によって開花スピードは違うので、基本的には気長に理解が深まることを待つのが大人の役割だと思う。
理解の深まりも自信が経験がトリガーとなったり、年齢だったり様々だと思う。

もしかしたら、すぐに認めるのは負けたようで嫌で、言葉にしないだけで心にはじんわり広がっているパターンもあるかもしれない。
説き伏せるのは違うなと改めて思ったが、どう伝えていくかってむずいよなぁ(笑)


ちょっとずつ移行させる

今日ワードウルフを子どもたちにルール説明、お題カード作成をした。
最初はどうゲーム進行をしていいかわかっていなかったので、一緒にゲームに入っていたが、わかってきたのでお題づくりに専念していた。
子どもがお題を作ると、1人だけゲームの中でわかっている子がいるのでつまらないために自分が作っていた。
しかし、よく考えれば子集団の中で今回は1人誰かが抜けて、その子がゲームマスター的なポジションでカード作成をする方式にすればよかったかなと反省。
自分で作ることで考えるし、全体を見るいい経験になったのではないかと思う。

なんでも大人がするのは上記の理由で、小さいかもしれないが子供の成長機会を奪ってしまう気がするし、ずっと大人が関与しないと成り立たないのは(うまく言葉にできないが)よろしくないと思う。
まず、私の役割は子どもを見守ることであってゲームを滞りなく進行させることではない。
ゲームでついていけない子、ゲームをやりたいけど言い出せない子、他のことをしている子を見守り、全体のフォローをすること。
私がいなくてゲームができないのでは教えた意味がないと思う。
教えることはその子のみでもできるようになることが目標だと思うから、教える時点で私が設定したゴールが間違っていたと反省。

日々トライ&エラーだね。

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