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沖縄に思いを馳せる写真記録 観光じゃない沖縄卒業旅行

2019年2月

慰霊碑のある公園で、人が来たと分かるとすぐ寄ってきて、友達の膝の上から離れようとしなかった猫。

戦時中に亡くなった報道関係者の慰霊碑

戦後沖縄の政治家、瀬長亀次郎の米軍、日本政府との闘いの記録・資料が展示されている不屈館。
沖縄は戦時中から2020年の今日も、日本の「中心」から不条理を押しつけられている。
"沖縄の問題"は、沖縄の問題でなくて今日を生きる私たちの問題だ。

栄町市場。戦後すぐは闇市だった。
居酒屋で地元の人とゆっくり話をした。

この栄町市場の中に、ひめゆり同窓会館がある。
ひめゆり学徒隊だった方たちの母校の跡地。

同窓会館はホステルになっていて、一昨年から女性限定だが一般の人も宿泊できる。
2018年9月に大学のフィールドワークで宿泊し、2月に友人と再び行くことができた。

今も元ひめゆり学徒隊の方たちが、不定期でこの場所に集まってコーラスの練習をしている。
2月に宿泊した日も、タイミングよくコーラスの練習がある日で、練習を見学させていただけて嬉しかった。

朝の栄町市場。夜と雰囲気が全然違って面白い。猫がそこら中にいる。かわいい。

対馬丸記念館。展示品は撮影禁止だった。
疎開のために児童たちを乗せていた対馬丸は撃沈された。
攻撃による死者のほとんどは小学生
館内には犠牲者ひとりひとりの遺影がある。

旧海軍司令壕

壕の中はとてもつめたい

海軍の司令官が自決をした部屋の壁には「滅覆米醜」の文字
天皇信奉的な言葉も

ニュースでよく見る辺野古ゲート前と、テント村。
テント村近くの海岸にはバリゲートがはられていて、日本の人は入ってはいけない場所になっている。
ニュースでの座り込みのイメージがあるかもしれないが、少し歩けば普通の住宅街。
夜はバーがたくさん開いており、在日米軍の人が利用していた。
地域の人の日常がそこにある。

辺野古へ行ったのは2019年2月。
ちょうど沖縄では住民投票が行われていた時期で、多くの場所に「反対に⚪︎を」の旗やポスターがあった。

土砂を積んだトラックが何台もひっきりなしに出入りしているゲート前では、この日もデモが行われていた。
沖縄防衛局の職員が、目の前でデモをしているおじいさんおばあさんをどかしていた。
ゲート前では、写真はとても撮れなかった。

ただ、ゲートを塞ぐ沖縄防衛局の職員の数の多さにびっくりしてしまった。
ゲートの前に50人くらいが隙間を作らずに立っていて、ただ真っ直ぐを見ている。

デモ参加者の人が私たちに話を聞かせてくれているすぐ近くにも、職員が立っている。
私たちは見られていて、話を聞かれている。

沖縄では、あなたはどんな考えを持っているのですか?と問われている気がした。
自分という人間が見られている。意見を求められる。
沖縄のような環境の中で、意見を持たないことは、とても難しいことだと思う。
そして、「中立」「中道」は存在しないものだと改めて思う。
中心にある東京は、意見を持たなくても良い場所で、自分を求められない、誰も自分のことなど見ない、ただそこにいるだけが許される場所だ。
「無関心」故のラクさ、冷たいように感じるけれど、そこにただいていいという居心地の良さ。「考えなくていい」それが東京(中心)の大きな特権だ。
「中立」「中道」という一見きれいな言葉は、「考えなくていい」中心にいる人間が作った傲慢な言葉だと思う。
中心だからこそ、東京は「考えたくない」人にとって、ラクで居心地が良い場所なのだ。
周辺である沖縄に、「中立」「中道」はない。
沖縄に限らず、周辺とされる場所や数々の構造的社会課題にも、「中立」「中道」は存在しないと考えている。
構造的暴力の被害を受けている場所では、「自分がそこにいる意味」を求められる。

以上、観光でない沖縄旅。
2019年2月。

卒業旅行として、一緒にこういう旅に行くことができる友人がいて、とても幸せです。
まだまだ見れていない場所があるから、また行きたい。

※ボリュームが多いけど、今後追記していきます。

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