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2004年夏、中欧、一人旅

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10年ほど前に中欧を旅したときの記録です。
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2015年9月の記事一覧

中欧旅行記⑤:ベルリン

中欧旅行記⑤:ベルリン

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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本日ベルリン最終日。ホテルの朝食はコーンフレークてんこ盛り、甘い。

観光の前に、明日からのポーランド行きに備えてポーランド通貨「ズウォッティ」を手配する。観光案内で教えてもらった、アダルトショップの街のどまんなかにある両替屋で、紫色の香りとドゥドゥチャドゥドゥチャに包まれながら両替。手数料込みで、1ズウォッティは

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中欧旅行記⑥:ワルシャワ

中欧旅行記⑥:ワルシャワ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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目が覚めたらコンパートメントはぼく一人になっていた。ワルシャワまでまだ数時間。トイレいこ、とコンパートメントから出ようとするとドアが開かない。ガシガシやってもダメ。ドアの隙間を覗いてみたところ、なんと外側から鍵がかかっている。

いやな予感がする。イケナイ電車に乗ってしまったのだ。このままポーランドを越えモスクワまでいき、

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中欧旅行記⑦:ワルシャワ~クラクフ

中欧旅行記⑦:ワルシャワ~クラクフ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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本日はクラクフに向かう。ワルシャワがとてもいい街だったので、もっと滞在したかったかといえば、そのとおり。クラクフにも期待したい。

切符を手配してから1015出発まで、地下街をうろつく。浮浪のおっちゃんが通路に寝ころんでいたりして、このあたりの治安が悪いってことに納得。

電車のコンパートメントは6人用で満員。クラクフまで

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中欧旅行記⑧:クラクフ・ヴェリチカ

中欧旅行記⑧:クラクフ・ヴェリチカ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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うだうだ起きたあと、ヴァヴェル城に向かう。ヴァヴェル城はクラクフで一番の観光名所で、さらに日曜日の今日は入場制限があるため、午前中に行くのがベストだそうだ。
城の脇を流れるヴィスワ川がきらきら輝いている。このヴィスワ川の向こう岸が「シンドラーのリスト」のシンドラー工場があった場所だ。

ガイドに従い宝物やら王室のプライベー

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中欧旅行記⑨:アウシュビッツ

中欧旅行記⑨:アウシュビッツ

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そもそも、なぜポーランドというお世辞にもメジャーとはいえない国に来たかというと、どうしてもアウシュビッツに行きたかったからだ。説明するまでもない、人類の負の遺産。

アウシュビッツまではクラクフ駅前からバスで1時間半ほど。バスはポプラ並木と、その向こうにゆるやかに広がる丘の中を走って行く。アウシュビッツの凄惨なイメージとは

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中欧旅行記⑩:プラハ

中欧旅行記⑩:プラハ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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ついにやってきた!あこがれの「百塔の街」プラハ!この街に来たくて、ヨーロッパに来たようなもんである。本日から4日間滞在の予定であるから、のんびりと満喫できそうである。

プラハ中央駅に着いたのは730、とりあえず安パンを買って、ベンチで鳩と一緒に食す。ベンチもハトもパサパサのパンも、なんの変哲もないライブソングも素敵に見え

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中央旅行記⑪:プラハ

中央旅行記⑪:プラハ

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寝坊して10時半頃出かける。今夜も同じホテルなので、荷物はそのまま。ちなみにここ、正式にはホテルじゃなくてペンション。ぶれじな家のペンションこと「ブレジナペンション」。ペンションはホテルよりもワンランク下がるらしいが、部屋はきれいだし新市街へのロケーションもよろしい。

本日はプラハ城が目的地。旧市街の火薬塔を出発して~旧

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中央旅行記⑫:プラハ

中央旅行記⑫:プラハ

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「ブレジナペンション」は二泊しか部屋が取れなかったので、本日は宿探しから始めなければならない。中央駅の観光案内にいくと、すんなり宿が見つかり、予約もしてくれた。荷物を置きに「ペンション・プラハシティ」に向かう。中央駅からトラムで二駅とちょっと徒歩。バストイレ付きで4,000円。

レセプションでチェコ人と日本人の意思疎通が

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中欧旅行記⑬:プラハ

中欧旅行記⑬:プラハ

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中央駅に向かい、ウィーン行き夜行列車を手配。快適な寝台は高く、安価な座席は窮屈。友人の助言が脳裏をよぎる。

安全と快適は金で買える。

えいや、と寝台をゲット。ちなみに運賃が5,000円、寝台が4,500円。ホテル代を節約するための夜行だから、目的に適っていないとのご批判は否めない。が、夜行寝台の旅も一興だからヨシとしよ

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中欧旅行記⑭:ウィーン

中欧旅行記⑭:ウィーン

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0700にウィーン南駅に到着。今日もいい天気。

はたと気が付くと、ユーロが500円程しかない。T/Cを現金化するために駅にあった両替屋に行く。係が「ちょっと待ってね」と忙しそうにしていたので、その間にT/Cにサインし提示すると、

「俺の目の前でサインしたものでなければ受け付けない」

いや、そんな設定、知らんがな。なら

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中欧旅行記⑮:ウィーン

中欧旅行記⑮:ウィーン

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900頃まで寝てた。朝寝坊サイコー。おかげでホテルの朝食を逃したので、ちかくの駅でサンドイッチを調達した。腹が満たされたのは良かったが、ポーランド、チェコに比べるとどうしても食事が高く感じてしまう。

本日はまず、美術史博物館に向かう。昔、国語の教科書で見たブリューゲルをどうしても見たかったのだ。迫力ある「バベルの塔」やい

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中欧旅行記⑯:ウィーン

中欧旅行記⑯:ウィーン

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シェーンブルン宮殿にやってきた。ここは後期のハプスブルグ家が狩猟のための別荘としてつくり、毎年の夏を過ごすようになった場所である。敷地に惜しげもなく立てられた別荘本体と、その脇の森と丘。敷地内に森があるあたりでどんだけでっかいのか想像してください。

館内見学ではオーディオガイドがついてきて、中のお姉さんがハプスブルグ家の

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中欧旅行記⑰:ウィーン=ザルツブルグ

中欧旅行記⑰:ウィーン=ザルツブルグ

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1134にウィーン西駅からザルツブルグ行きが発車。本読んだり車窓からの景色を眺めたり、居眠りしたりして3時間強を過ごす。雨は降っていないが、どんよりと厚い雲が空にある。

1500ころザルツブルグ駅に到着、まずは滞在先の確保から。駅の観光案内にいったところ、難なく3泊分の宿が見つかる。しかも駅から徒歩10分の好立地。さらに

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中欧旅行記⑱:ザルツブルグ

中欧旅行記⑱:ザルツブルグ

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朝食は杏ケーキとヨーグルト。たんまり食う。うまい。

モーツアルト博物館に向かう。神童と呼ばれ、類まれな才能があったとされる彼だが、当時は名声も富もほとんどなかったようだ。宮廷を解雇されたり、食うために演奏旅行をしたり、旅先で母親をなくしたり、実に波乱。天才も時代背景によっては大変なのだ。

昼にはザルツブルグ名物(らしい

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