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美容師の宣材写真

中目の美容院で予約を入れた.東京に来たという実感が一気に沸く.上京して早2年.まだ新鮮にこんな気分になれるなんて.いかに自分がピュアな人間かと嬉しくなる.そしてすぐ、人生経験の希薄さというピュアの裏返しの意味を悟り、28歳という年齢ならピュアというよりもう一方の意味だろうと悲しくなる.日々の出不精な生活を憎む、そして取り返しがつかない時間の残酷さに打ちひしがれて今日も今日とてamazarashi.

さらっと中目と書いてみる.しかし上記の文を書くような人間が略すような人間ではないのは自明で、そしてなにより略すほど時間に追われてない.有り余る膨大な時間の中でゆっくり時間をかけて発音できる生活を送ってる.「な・か・め・ぐ・ろ」日本人らしく母音を強くはっきりと、一音に15分かけて.

美容師を選択できるらしい「どれどれ、どんな奴がいるんだ」
僕よりも圧倒的ハイセンスな美容師一覧をスクロール.サービス業とは常に客がお店側よりも高い位置に置かれる.それをすんなり受け入れられる者と、その対応を前に恐縮して一挙手一投足のリズムが狂う人間がいる.お店側も想定しているのは前者の方だ.おどおどされたら逆にマニュアル外のアドリブを効かせなければならなくなる.毎回の美容院でカットからシャンプーへの移動で立ち上がる時に高身長が原因でおどおどしてしまう.スクロールしながらこれからの美容院に行く事がより現実的になり辟易.

ん?スクロールする美容師の画像に疑問が浮かぶ.
全員正面を向いていない.身体を斜めに構えて少し上を見る男.ドライフラワーに囲まれてカット用ハサミを持つ女.室内仕事でなぜ被っているのか不可思議な組み分け帽子らしきもの.美容師プロフィール画像がアーティスティックな演出になっていた.

なぜだ.この写真は美容師を選択してお店に行ったときに本人の認証が取れる為に存在していればいい.なぜプロフィール写真でかっこよく撮っているんだ.芸能人の宣材写真なら見た目の魅力を押し出すことを第一優先にして演出をかけるのも理解できる.しかし美容師の魅力は本人の容姿ではない.理容技術だ.写真でかっこよく、かわいらしく映る必要はない.

もしかしたら、この写真で本人なりの演出を加え、その演出から伝わるセンスがカット技術等のセンスにも比例していると言いたいのだろうか.素直にこの中から視覚的に好みの美容師を選べばおのずと自分の求めていたカットセンスの美容師に結び付くという方式なのだろうか.

僕は目クリクリで観葉植物をかき分けながら笑顔でカットしているボタニカル女子みたいな子を選択し確定ボタン手前まで進んだところで、恥ずかしくなり「お任せ」に変更した.

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