【寄稿】イノベーションを導く「ポジティブマインド」をどう育てるかーエイチタス特別顧問/筑波大学名誉教授 蓮見孝ー

 VUCA時代と評される現代においては、これまで以上にイノベーションへの期待が高まりを見せており、企業はもちろん、地域においても、いかにイノベーションを担う人材の育成を進めていくのかが注目を集めています。
 そこで今回は、エイチタス株式会社特別顧問/筑波大学名誉教授の蓮見孝より、「イノベーションを導く『ポジティブマインド』をどう育てるか」をテーマに寄稿をいただきましたのでご案内いたします。
 デザイナーとして、そして、研究者として常に人に寄り添い、人を中心に置いて様々なイノベーションが生まれる現場をサポートしてきた経験から導き出されたイノベーション創出の土台となるマインドセットについての論考をぜひご一読ください。

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写真:筆者・蓮見孝(左)とエイチタス・原亮(右)

「ニューノーマル」とか「新しい日常」というような聞き慣れない言葉が、コロナ禍にさらされた社会の中で注目されるようになってきた。革新的な技術開発というような意味で使われてきた「イノベーション」が、今や日常生活や地域社会の中でも必要不可欠な概念となりつつある。どうしたら、自分のマインドをクリエイティブなイノベーション型にシフトさせ、「SDGs」(注1)や「Society5.0」(注2)で示されるような新たな社会変革に参加することができるのか。50年以上に亘りデザイナーとして生きてきた私が、経験を通して得てきたことを紹介したい。

 「イノベーション」とは、この世に存在しない新しいモノ・コトを生み出すことであるが、神様ではない私たちにとっては、それは極めて難しいことだろう。そこで少し謙虚になって、異質なものを結合したり、新たな領域にシフトしたりしてみよう。これも立派なイノベーションといえるだろう。

アクティブなスイッチをONにする

 私は43才の時に、20年間勤務した自動車会社を退職し、筑波大学に転職した。新しい日常が始まり、ワクワクした記憶がある。しかし転職はリスクを伴う。企業では、開発計画や業務命令というものがあり、不平不満を言いつつもそれに従っていれば仕事は成り立っていた。しかし大学では授業担当を除けばタスクとかノルマというものが一切なく、いわば研究室というお店の個人事業主のような立場になった。激減した給与でも、ある程度の生活を維持することは可能だったが、わずかな研究費ではカーデザインの研究も成り立たなくなり、生きがいとか働きがいが得にくくなった。じっとガマンの人生を耐え続けるのではなく、自分を高めていくスパイラル的な発展プログラムを描いてみたくなったのである。

 本当に困った時は、普段は休眠している知恵が起動するらしい。アクティブなスイッチが入り、自分で考えてもダメなら人の手を借りようと、 “ダメもと”で情報収集やパートナー探しを始めた。すると大学のすぐ近くで、自動車の開発を試みている人がいることがわかった。国立環境研究所で次世代型超高性能EVの開発をしていた総合研究官の清水浩氏である。いつも妻からたしなめられている図々しさを発揮して、さっそく清水さんに電話したら、「ハイ、すぐにでもお訪ねください」とフレンドリーなお返事をいただいた。以来数年にわたり、環境研からも活動資金をもらって、企業ではできないような実業と教育・研究をミックスした興味津々の活動を展開しながら、未来技術が創発されていく現場に立ち会うことができた。

 もう20年以上も前のことだが、当時電気自動車というと、「そんな遊園地の乗物のようなものに乗れるか!?」とバカにされたものだ。「新幹線だって電気ですよ」という話術を使ってEVの社会啓発活動をおこなったりしていたが、その後東海道新幹線の車両開発に関わるようになったのは不思議な因縁である。

「コントラスティブ発想」を活かす

私が環境研でおこなっていた研究開発は、「EVでなければできないこと」を可視化(デザイン)することだった。常々使ってきた「コントラスティブ(対比的)発想」というデザイン思考が役にたった。「イノベーションは、常識の逆相である」。つまり常識をみつけ、その正反対のかたちをデザインすればイノベーションが生まれるという、ある種安易な考え方である。

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図1:EV開発で描いた「コントラスティブ(対比的)発想」の概念

 自動車は有害な排気を出すので、屋外しか走れないという常識がある。しかしゼロエミッションのEVになれば、「室内も屋外も自由に移動できる」という新たな“非常識”が想起できる。高層の集合住宅でも、ドアto ドアの移動が可能になるかもしれない。
 さらに、クルマは大きな箱であり、人は箱に乗り込む(getting in)という常識がある。それに対して、小さなインホイールモータ(車輪とモーターの一体化)を装備した靴と、バッテリーを内蔵したベルトをつければ、「ウェアラブル(着る)なのりもの」をイノベートできるはずだ。さらに、自動操縦の技術を付加すれば、大きな箱に複数人が窮屈そうに乗り合う自動車のかたちから、一人乗りのパーソナルユニットが数センチのクリアランスで並走し合うミニムーバーの世界に移行する未来が見えてくる。つまり「未来ののりものはパーソナルでヒューマンスケールのモビリティになる」という仮説が導きだせるのである。

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図2 ヒューマンスケールのモビリティ-1:インラインスケートブーツに超小型のインホイールモータを装着

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図3 ヒューマンスケールのモビリティ-2(スケッチ):スティックの先にインホイールモータ、そして小型バッテリーを装備した雨傘サイズのムービングデバイス。インラインスケートブーツを履けば、高速走行も可能。スティックにまたいで乗れば、まるで魔女のホウキのようだ

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図4 ヒューマンスケールのモビリティ-2:実動モデル


 このようなアイデアは、子どもたちといっしょにディズニーランドの光のパレードを見ていて思いついた。大きな台車の上で、ミッキーマウスなどのキャラクターが“ところ狭し”と踊っていた。未来の光のパレードでは台車は不要になり、光の衣裳をまとったキャラクターたちが広い会場をホタルのように自由自在に乱舞していることだろう。


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写真:ディズニーランドのエレクトリカルパレード:基本は古の祭の山車と同じであり、時代を感じさせる
©HarshLight

野生の思考力を発揮する

 2歳半になる4番目の孫の成長過程を観察していると、とても興味深いことが見えてくる。どのようにして会話能力が身についていくのか。だれも単語や文法の使い方を教えてないのに、いつのまにかネイティブレベルの自然で適切な会話ができている。大人は何年外国にいても、決してネイティブのようには話せないのだけれど。

 その秘訣は、「感性」という生まれた時に無料サービスでついてくるアプリのような野生の思考力の働きなのではないだろうか。それは、好奇心→体験→模倣(応用)→反応評価→活用というようなプロセスを日々無数回にわたって繰り返しながら、あいまいに全体的な概念を整えていくしくみのように見える。それに対して学習は、野生的な知力を人工的な知力にコンバートしていく。あいまいな全体性をよしとせず、すべてを1・0のデータに置き換えて記憶できる圧倒的な正答力が求められる世界である。それには2種類の思考方法がある。ディダクションは演繹法と呼ばれ、いわば教科書に書かれてあることを丸暗記して正答を出すことであり、私たちは初中等教育でこれをたたき込まれる。インダクションは帰納法と呼ばれ、実験によって正誤を確かめるような、今流行のエビデンスが求められる思考である。

 私が通っていた大学の教授でノーベル賞学者だった朝永振一郎先生は、「科学の芽」という詩を残している。

”ふしぎだと思うこと これが科学の芽です
よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です
そして最後になぞがとける これが科学の花です”

 正解が用意されている演繹や単純作業的な帰納というような既成の知力だけをいくら積み上げても、イノベーションは生み出せない。まずは、「なんだ、これは!?」という好奇心を涵養すること。そして、「ひょっとしてこんな真実があるのではないか…」と考えるひらめき力が大切、ということだろう。それは「アブダクション」といわれる仮説推論力の働きなのではないだろうか。ニュートンの万有引力など、すべての発明・発見は、誰かの気づき=アブダクションから生み出されてきたのである。

 アブダクション力は、人が学習過程を通して弱らせてしまう感性の働きが作用しているものかもしれない。心の内奥にある率直な欲求に正直になって、子どものころのワクワクする遊び心を引き出してみるとよい。それは生命力の源であり、イノベーションを生み出す泉なのではないかと思っている。子どもの絵は、きっとピカソの絵より,人の目を惹き付ける力が強いだろう。たとえば、科学やビジネスに感性的なアートの視点を採り入れて見ると、面白い表現体がうまれるかもしれない。事実、情報社会が生み出してきた大きな価値の一つはゲームであり、アップルのスティーブ・ジョブスは、ごく初期のアップルコンピュータに、取説のかわりに「テトリス」という直観的な理解を引き出すゲームアプリを取り入れている。

「好奇心」が新しい物語を生み出す

 イノベーションの源は好奇心であり、それはイノベーティブなプラットフォームを生み出してくれる。73才になっても、私の好奇心はおとろえず、昨日もちょっと得をしてしまった。散歩コースに、薪を積み上げたログハウスがあるのだが、小さな字で「サイクル ファクトリー」と書かれてあることを発見した。その時、我が家の物置に、昔私が愛用していたクラシック自転車(フランス製部品でコーディネート)が埃を被っていることを思い出した。息子が壊したままになっておりレストアするのも大変だし粗大ゴミに出すのも気が引けるとして、今に至っていた。

 小屋のような店の扉を開け、初めて会った店主に「引き取ってもらえないですか」と聞いて見たら、主はつくばのJAXAに勤めていた人で、すぐに気が合い、なんと有料で引き取って貰えたのである。こんな近くにクラシック自転車やテクノロジーの話に興じ合える人がいたなんてビックリである。

 考えて見ると、現代の生活はすっかりビジネスライクになってしまった。すべてのモノやサービスはお金で処理され、1円でも足りなければ生活ができない。でもログハウスのドアを開けてみることで、自転車という共通の話題を通して、初対面でも、また売り手と買い手という対峙的な関係にも関わらず、珈琲を飲みながら和やかに歓談し情報交換し合える時空間を楽しむ一日を過ごせたことが嬉しかった。

 知らない道があれば、躊躇なく分け入ってみることだ。新しい道、新しい場所、新しい人とコミュニティを探し出し、新しい物語を生み出していくことを意欲することから、イノベーションの芽が開く。イノベーションは、意外と身近なところに転がっているものなのではないだろうか。


■蓮見 孝 プロフィールはこちらから

注1:「SDGs」:2030年までに、持続可能なよりより世界をめざすための目標であり、2015年の国連サミットで採択された。17のゴールと169のターゲットから構成されている。世界各国とともに、日本も積極的に取り組んでいる。
注2:「Society5.0」:第5期科学技術振興計画(平成28〜32年)において、日本がめざすべき未来社会の姿として提唱された。仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立させ、人間中心の社会をめざす。


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