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90年代のパソコン体験の原体験

私が初めてパソコンを触ったのは、小学校5年生(90年代初頭)の頃、お店の展示でのことでした。色々なお店のパソコンを触っていたずらしていました。新しい技術に触れる興奮は今でも鮮明に覚えています。

実際に自分のパソコンを手に入れたのは、小学校6年生の頃です。Windowsはまだ3.1の時代でした。Windows 95が発売される前のことです。当時、パソコンを家庭で所有することは珍しく、家にパソコンがあるだけで特別な感覚がありました。初めてプログラムを打ち込んで、それが画面に反映される瞬間は、私にとって驚きと感動の連続でした。小学6年生は英語を塾で学び始めた頃で、語彙力がないので、英語がベースであるプログラミングやコマンドは大人の世界でした。それを吸収して自分の思う通りに動作する瞬間の数々。それが、技術への興味を芽生えさせた瞬間でした。

当時の家庭環境では、ファミコンやスーパーファミコンのようなゲーム機は父の反対で手に入れることができませんでした。代わりに、ベーマガ(マイコンBASICマガジン)という雑誌に掲載されていたBASICのプログラミングコードに出会い、それが私のパソコンへの憧れをさらに強めました。パソコンならば、知識さえあれば自分でどんなものでも作れる、と感じ、ますます技術への興味が膨らんでいきました。

小学校時代には、同級生と一緒にゲーム、特にRPGの世界を考え、私はその世界をプログラムとして実装する役割を担っていました。休み時間に集まっては、どんなストーリーやキャラクターを作るかを話し合い、それをどのようにプログラムに落とし込むかを考えることが、当時の私たちにとっての遊びでした。この経験が、現在の私がアプリエンジニアとして働く上での原体験となっているのかもしれません。

NECの98シリーズも忘れられない存在です。当時、このシリーズは学校でも広く使われており、先生たちがよく使っていました。とはいえ、まだ多くの先生はワープロを使っていた時代です。しかし、98シリーズの存在感は非常に大きく、教育現場でもその支配力を感じました。

ソフトウェアを入手する方法も、今とは大きく異なっていました。パソコン通信や雑誌の付録についてくるフロッピーディスク(FD)が主な手段で、情報を得るための手段が限られていたこの時代に、パソコンを扱うこと自体が特別な体験であり、達成感を得るためには多くの工夫が必要でした。パソコン通信自体は存在していましたが、子供が高額な従量課金のサービスを使うわけに行かなかったので、利用できていませんでした。(通信回線を自宅で初めて体験したのは、64kbpsとか128kbpsのインターネット回線の提供が始まった頃で最初はそれも従量制だったため、料金を気にしながら通信していました。貴重なフリーウェアを入手すると、友人とFDを交換していました。ADSL回線になり定額になって常時接続が当たり前になるまでは、データはもっぱらテキストかソフトウェアだった記憶です。)

また、端子の記憶も懐かしいです。RS232C端子やSCSI端子で周辺機器を接続していました。SCSI端子は大きく、これまた大きなカートリッジプリンタを接続するのに使っていました。のちにポケコンからRS232C端子で電子回路を制御する体験をしたとき、子供のころに見ていたあのケーブルや端子が、こういう風に使われるものだったのかと感激した記憶があります。

MS-DOSで操作することもありました。コマンドを打ち込む作業は、玄人っぽくてハッカーになった気分を味わわせてくれました。DOSの黒い画面でコマンドを入力するのは、当時の私にとって高度な作業であり、その分成功したときの喜びはひとしおでした。大切なシステムファイルを削除してしまい、shellを書き直すまでwindowsを起動できなくなるという夢に出てきそうな体験をした記憶があります。


私がアプリエンジニアとして働いているのは、子どもの頃の経験が大きく影響しています。技術への興味と情熱は今も変わらず、これからも新しい挑戦を続けていく力となっています。

今の子どもたちは、レゴスクールなどでロボットプログラミングに触れることができたり、生成AIつきのIDEを使えるなど、とても恵まれた環境にいます。あの頃の自分のようにドキドキしながら端末に向き合っているのでしょうか。もうあの頃には戻れないので、せめて自分の子どもに、あの時のようなワクワクする体験をしてほしいと願う今日この頃です。

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