感想

 ここ最近は雨が多く、コインランドリーに足を運ぶ機会が増えている。明日から海外に出かける用事があるので、今日のうちにと自宅の洗濯機をまわし、乾燥機にかけるべくコインランドリーに足を運んだ。坂をくだるときはまだ雨が降っていたが、乾燥機を回転させて、もうすぐ閉店してしまう中華料理店に入った。昭和31年に創業された店が閉まるとあって、店内は盛況で、83歳を迎える店主は忙しそうに料理を作り続けている。テレビでは即位の儀が中継されている。そのタイミングで雨が上がったことが、タイムラインではことさらに話題になっている。料理を平らげて、コインランドリーに行くと、隣の乾燥機の取手にIKEAの青い袋が引っ掛けてある。洗濯物入れにこの袋を利用する人はほんとうに多いのだなと思う。

 京都でチェルフィッチュ×金氏徹平 『消しゴム山』を観てからというもの、コインランドリーの前を通りかかるたびに、ほんの少しだけ立ち止まって中を窺う癖がついてしまった。不審者である。別に洗濯物を観察するのではなく、IKEAの青い袋があるかどうかと探してしまう。

 『消しゴム山』の冒頭に、洗濯機が壊れた話が登場する。業者を呼んで修理を依頼しようとするが、壊れた部品は廃盤になっており、買い替えを勧められる。登場人物は、壊れた洗濯機を引き取ってもらう約束をする。ただ、それは「10連休」のときのことで、すぐには難しいという。そこで登場人物は、IKEAの青い袋に洗濯物を詰めて、コインランドリーに出かける。そこには同じように洗濯機が壊れた人たちで溢れており、皆、IKEAの青い袋に洗濯物を詰めてコインランドリーにやってくる。壊れた洗濯機とともに暮らしているうちに、登場人物は洗濯機のことを「この人」と――英語字幕では「this guy」と――呼び始めて、思い出を振り返ったり、趣味など語りかけたりした挙句に、引き取ってもらうのをやめにする。

 僕は登場人物のような振る舞いをしているわけではないけれど、なぜだろう、自分の姿を後ろから――それもかなり距離の離れた後方から――目の当たりにしているような気持ちになった。洗濯機に趣味を語りかけたことは一度もないけれど、洗濯機のことはとても好きで、ときどき洗濯機がまわる様子を眺めている。別に洗濯機全般を愛好しているわけではないけれど、いつも使っているその洗濯機になにか愛着を抱いている。『消しゴム山』に登場するIKEAの青い袋や、無印良品のソファ、同じく無印良品のトタンボックス・フタ式・大といった商品は、劇中ではそれらに対する登場人物の「愛着」としては語られていないけれど、なにかそういったものを勝手に感じ取ってしまう。それは、僕が生活の中で使っているそういったものに対して愛着に似た何かを感じているからだろう。

 そこで思い出されるのは、『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』という作品のこと(念のために先に書いておくと、『消しゴム山』が『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』に似ているということではまったくなく、むしろその反対である)。『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』の舞台となるのはコンビニエンスストアだ。ある登場人物は、そのコンビニで販売されているソフトクリームをこよなく愛していたけれど、その商品は店頭から姿を消してしまう。しばらくして、その商品が“グレードアップ”して棚に復活するが、“グレードアップ”によって、愛していた味は変容してしまっていた――この舞台を観ているあいだ、これはわたしの物語だという気持ちで溢れていた。僕自身、生活の中でとても頻繁にコンビニエンスストアを利用していて、棚に並ぶ商品に――工場で画一的に生産され、ごく事務的に並び変わってゆく商品に――愛着のようなものを抱いてしまっている(最近だと、スタイリッシュだと思えていたセブンイレブンの野菜スティックの容器が野暮ったくなってしまったことを悲しく思っている)。

 ただ、さきほど書いたように、『消しゴム山』と『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』は対照的な作品だと言える(より正確に言えば、ある範囲では同じことを扱いながらも、此岸と彼岸からそれを見つめている)。『消しゴム山』の概要には、こう書き記されている。

いま・ここにいる人間のためだけではない演劇は可能か?人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか?

 『消しゴム山』の中で、登場人物は、洗濯機に語りかける。動かなくなった洗濯機は、ただ部屋の中で結構な体積を占有する物体でしかなくなっているのに、そこになぜか愛着を抱く。それが淡々と描かれ、舞台上に配置された膨大な物体のあいだで台詞が語られてゆくことで、観客である僕の意識はその愛着にクローズアップするというよりも、それが徒労であることに向くことになる。

 生活をしていると、ものに愛着を持つことが多々ある。だが、それは人間が「私」という存在を中心にして世界を捉えているだけのことだ。いくら長年使っていようと、どんなに語りかけようとも、洗濯機は人間の意識とはまったく無関係に、ただそこにある。それは、天気というものが人間とはまったく関係がなく、どんなに儀式の途中に晴れ間がのぞいたとしても、そこには何の因果関係もありはしないのと同じだ。

『消しゴム山』の中盤には、こんな台詞も登場する。走り書きなので正確な引用ではないけれど、大意は合っているはずだ。

「時間というのがあったんですよ。でも、そもそも時間がどういうものかがわからないですよね。時間というのは、経過するという性質がある。でも、経過というのがわからないですもんね。時間というのがあったんですね。人間には、この時間というのが問題だったんです。言ってみれば、人間にとって問題は、煎じ詰めればぜんぶ時間だったのではというぐらい問題だった」

 この台詞は、舞台上に立っている俳優によって語られるのではなく、舞台上にスクリーンが置かれ、映像の中にいる女優によって語られる。ここにはチェルフィッチュが取り組んできた映像演劇の要素が取り入れられている。さらに遡れば、チェルフィッチュの岡田利規が戯曲賞の選考委員を務めることになったところにも、その遠因があるようにも思える。選考委員に就任したばかりの頃、岡田利規が「上演」と「戯曲」の違いについて明確に分けて語っていたことを思い出す。上演というものは、そのとき、その場所にのみ存在しうるものだ。いくら記録映像を残そうとも、それは上演とは別物で、上演はそのとき、その場所にのみ触れられるものだ。そこでは演出家と俳優と観客とが場所と時間を共有している。だが、戯曲や上演台本とは、それとは根本的に異質なものだ。そこにはただ言葉があるだけで、それを書いた劇作家も、最初に演じた俳優も、とっくにこの世界には存在していないということもありえる。そこでは言葉は「いま・ここ」を超えた存在となり、しかし今この瞬間に存在している「私」によって読まれている。

 そもそも書かれた言葉というものは、ずっとそこにあり続けるもので、有限の生の中にある人間とは違う次元や尺度にあるものだ。それを感じたのは、『消しゴム山』にも出演する青柳いづみが川上未映子の「水瓶」を演じたときにも感じたことだったけれど、この『消しゴム山』では「舞台上にただ言葉だけが置かれている」と感じる瞬間があり、シビれた。ただ、それがなぜシビれるほどのものだったのかという感想を書くには、「時間」というものを考えるのに必要な教養が僕の中に備わっていないし、観劇中に書き記したメモはあまりに走り書きすぎて判別できなくなってしまっている。ただ、いずれにしても、すべてを人間の尺度で捉えて世界がまわってしまっていることに作家が問題点を見出して、この作品を作ったのだということは間違いなく、そうして舞台上に出現した世界に圧倒される。ただ、「いま・ここにいる人間のためだけではない演劇」を観れば観るほど、「それを観客席から見つめている私という存在」のことを意識させられる。時間というものに縛られながら生きている私という存在のことを。その意味では、作品の志向は真逆であるはずなのに、先日感想を書いた快快『ルイ・ルイ』を観終えたときの感覚――道端で死んでいるセミを見て、「私」という存在を発見する――に近いものを感じる。

「作品の思考は真逆であるはずなのに」と、軽く書いてしまったけれど、それでは一体何が違っていたのだろう。

 先日の感想で、『ルイ・ルイ』を観たあとに志賀直哉の「城の崎にて」や志賀直哉について論じられたテキストを読んで考えたことをぽつぽつ書いた。「城の崎にて」は私小説であり、また、著者の生活と深く結びついている。

 私小説について論じられた批評は数多くあり、そもそも「私小説とは何か?」を定義するのも骨の折れることであるけれど、ここでは志賀直哉を肯定的に評価しながらも、日本の私小説に批判的であった小林秀雄の「文学界の混乱」から引用してみる。

 私小説の先祖は恐らくジャン・ジャック・ルッソオであろう。少なくとも彼は私小説の問題を明瞭に意識して文学に導き入れた最初の人物であった。「懺悔録」に語られている不幸は英雄の不幸ではない、凡人の不幸である。しかし読者はこの不幸を及び難い不幸と観ずる。言いかえれば、作者が自分の不幸な日生活を救助した強い精神力を感ずる。この力が私を語って私以上のものに引きあげる。作者は自伝を書いて文学作品となしているのだ。また言いかえれば「懺悔録」の客観性は、彼が己れを忌憚なく語るという当時前代未聞の企図を信じた事による。何故信じたか。社会が自分にとって問題ならば、自分という男は社会にとって問題であるはずだ、と信じられたがためである。

 この「文学界の混乱」の少しあとに書かれた「私小説論」では、西洋の私小説と日本の私小説の決定的な違いについても言及されている。

 フランスでも自然主義小説が爛熟期に達した時に、私小説の運動があらわれた。バレスがそうであり、つづくジイドもプルウストもそうである。彼らが各自遂にいかなる頂に達したとしても、その創作の動因には、同じ憧憬、つまり十九世紀自然主義思想の重圧のために形式化した人間性を再建しようとする焦燥があった。彼らがこの仕事のために、「私」を研究して誤らなかったのは、彼らの「私」がその時既に充分に社会化した「私」であったからである。

 小林秀雄は、「私」が社会化しているか否かを問題とする。『ルイ・ルイ』で描かれる「私」が、「充分に社会化した『私』」であったかどうかと言えば、あまりそうとも言えないような気もする。ただ、そこにも「形式化した人間性を再建しようとする焦燥があった」のは間違いないだろう。『ルイ・ルイ』の初日があけた翌日に収録された座談会では、たとえば、SNSの息苦しさが語られている。すべてが言葉で応酬されている空間がそこにはあって、そういった社会の状況に対する違和感があり、言葉では言い表せないことを模索するなかで――今の状況の外側を想像するなかで――『ルイ・ルイ』は出発したのだ、と。

 今の状況の外側を想像する。それは『消しゴム山』にも共通している。ただ、『消しゴム山』が人間という尺度を超えるものに向かったのに対し、『ルイ・ルイ』は極私的な世界に向かったと言える。そのふたつは、まったく異質なものではあるのだけれど、なぜか観終えたあとには同じ地点に自分が立っているように感じられた。それは、つまるところ自分がひとりの観客であって、奈良の大仏の巨大さを見上げたときと、セミの亡骸が転がっているのを見下ろしたときとで、まなざしている方向は別であるにもかかわらず、私の中に浮かんでいるのはなにか近しい感慨だからだろう。

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