向井秀徳、「らんど」を語る(5)
今年の夏は猛暑だった。各地で観測史上最多となる猛暑日を数え、記録的な猛暑となった。そんな夏に、ZAZEN BOYS及び向井秀徳アコースティック&エレクトリックは、全国の様々な会場でライブをおこなった。そのひとつが、表参道にある銕仙会能楽堂本舞台で開催された「緑光憩音2024夏」だった。
向井秀徳アコースティック&エレクトリックとして、能楽堂で演奏をおこなう。都会の真ん中にある能楽堂でライブを観るというのは、またとない機会とあって、8月1日に予定されていた公演のチケットはすぐにソールドアウトとなり、急遽8月3日に追加公演もおこなわれることになった。
そのライブで、向井秀徳は「夏の思い出」という言葉を口にした。向井秀徳にとって、「夏の思い出」とは何であるのか。この猛暑の夏に、向井秀徳は何を感じながら過ごしているのか。話を伺うべく、能楽堂でのライブを終えたばかりのタイミングで、話を聞かせてもらうことになった。ここに書き綴るのは、そんな旅の記録であり、対話の記録である。(聞き手・構成 橋本倫史)
――こないだのライブ、能楽堂が会場でしたけど、あんなところに能楽堂があったんですね。
向井 表参道のさ、ブランドのビルが羅列されてるところにあんな場所があるって、まったく知らなかったね。まさかこんなところにあるのか、って。ちょっとした文化劇場みたいな雰囲気だったね。
――能楽堂でライブを主催されている方が、「今年初めに向井さんとバッタリお会いしたこと」がきっかけだったと書かれてましたけど、そんな偶然から実現した企画だったんですか?
向井 「青山月見ル君想フ」のタカハシさんとは、よく飲み屋で会うんです。「月見ル」ではこれまで何度もお世話になってるんだけども、あるとき渋谷の「B.Y.G」で会ったときに、「表参道に能楽堂があって、夏に色々ライブを企画してるんですけど、向井さん絶対似合うと思うんで、やってみませんか」と。それはもう、興味が湧き立ち上がるよね。それで「やりましょうや」って、そういうふうに決まったんだけど、能楽堂っていうと神社の中にある奉納舞台みたいなイメージしかなくて、建物の中に能楽堂があるとは思ってなかったから、面白い場所だなと思ってたね。
――炎天下の街を歩いて、ビルの中に入っていくと能楽堂が現れて、冷房が効いた空間でライブを観る。観客としては不思議な体験でしたけど、演奏している側としても不思議な感覚があったんですか?
向井 なんかこう、異世界にいる感じはしたよね。ただ、私はいろんな異常空間におりますんで、狼狽はしないんだ。アコエレの場合、フットワークが軽いもんだから、いろんな場所へ行くわけよ。学校の教室だったり、神社やお寺だったり――それは山ほどやってますよ。この空気は一体何なんだと思うことも時々あるんです。もう15年ぐらい前ですけども、築地の東本願寺で演奏させてもらったこともあるんだけど、あきらかに空気と匂いは変わったね。あれは何だったんだろうな。パワースポットがどうとか、そういう精神的な話はおいといての話なんだけど、確実に空気が変わる場所だったね。やっぱり、音の響きっていうのはすごく作用しますよね。この前の能楽堂も、たぶん古くからあるところじゃないから、音響設計がしっかりされているんだと思うんだ。能舞台は木造なんだけど、その空間の壁は全部コンクリだから、響き方が独特だったですよ。まあ気持ちよかったけどね、俺は。
「その時代は、守られた夏のぼんやり感の中にいたわけよ」
――ライブの途中で、「2024年の夏の暑さは、この夏がいつまでも続いて欲しいみたいな気持ちにならない、早く過ぎ去って欲しい」ってこともおっしゃってましたよね。だから、あの頃の夏の思い出を歌った曲をやりますと言って、「透明少女」を演奏されてましたけど、夏ってことの響きが変わってきてる感じはありますよね。向井さんにとって、夏っていう季節はどんな思い出として記憶されてますか?
向井 夏と言えば、いろんな人にとって、まず夏休みっていうのがあると思うんですよね。バケーションである、と。夏休みというのは、非常に長ったらしい、だらだらとした、何も巻き起こらない期間だったんです。自分の思い出の中ではね。海や山に出かけて思い出づくりをする期間というより、何もしない、何も生まれない、ただ同じような毎日が過ぎていく。蝉の声がずっと聞こえていて、扇風機がまわっている。ぬるい風がずっと吹いている。甲子園大会の応援席のざわめき。実況アナウンサーの淡々とした中継が聞こえている。これがずうっと続く、気だるい時間――そういった意味で、「終わらない長い夏」ってイメージを持っているんです。それは、心地良かったのか。そう、心地良かったんですよ。それがいつまでも続けばいいと思ってさえいる。「夏だからどこかに行こう」とか、「夏だから思い出をつくろう」とか、そういうことじゃなくて、「夏休みだからこそ、だらだらしよう」と。それが夏だと思っていたんですね。今はもう、夏は気を張ってないといけない。そうじゃないと死んでしまう。ちょっとね、夏に向き合わないといけなくなってますよね。
――ぼんやりしてられない、と。高校生の頃だと、向井さんは佐賀に住まれていたわけですよね。高校を卒業されて、実家を出て一人暮らしをされるわけですけど、それはやっぱり、「このままここにいたら駄目だ」という気持ちがあったんですか? これをやるんだという明確な目的があったというより、「ここじゃないどこかに行けば、何かがあるんじゃないか」と。
向井 単純に言えば、このままでいいのかって焦り始めるわけよ。ぼんやりしてる場合じゃねえ、と。ぼんやりできたのは、小学生とか中学生とか高校生とか、その時代は守られた夏のぼんやり感の中にいたわけよ。モラトリアムの中にな。でも、皆が大学生になったり、必死こいて働いてる人もいたりするのに、俺は一体何なんだ、と。それ、誰だって焦るわね。1本1000円の一升瓶を2日で空けて、自部屋にクーラーをガンガンに効かせることに対して、焦燥感が芽生えるわけですよ。芽生えてよかったと思ってる。そこが居心地いいと思っていたら、何もしないまま過ぎ去っていくんでしょう。消え去っていくんでしょう。だから、出ていこうと思えてよかったと思ってるんだけど――今の夏はもう、行動の夏とは言えないね。
――暑過ぎて、行動に出る気になれない、と。
向井 もう、「行動するな」と。それこそ冷房でガンガンに冷やしとけ、と。身の安全のためにね。たぶんきっと、これから先は、この暑さが普通になるからね。
ここ数年、私がちょっと懸念してるのは、夏の音楽フェスティバルの開催に、危険性が付きまとうわけですよ。フェスとか行くのに慣れてる人は昔からいて、雨が土砂降ろうが、むちゃくちゃ暑かろうが寒かろうが、それに構えて行く人はいるんです。でも、ここまでフェスがカジュアルになったことで、「ああ、楽しそうだから行ってみよう」って人たちもいっぱいいると思う。そういう人たちが、構え方がわからなくて、熱でやられて死んでしまったりすることがあるんではないかと、そういうことを心配しているんです。そういうことが起きてしまったら、「夏フェスの開催はやめたほうがいいんじゃないか」と、そういう風潮になっていくこともあるんだろうな、と。実際、甲子園大会の試合の進め方も検討されてますよね。
――今年は暑い時間帯を避ける2部制が導入されてましたけど、7イニング制にしたほうがいいんじゃないかとか、ドーム開催にしたほうがいいんじゃないかとか、いろんな意見が出てますね。フェスに関して言うと、フェスがカジュアルになったことで、「まあ現地でいろいろ調達できるでしょ」って、気軽に参加する人も増えてるでしょうね。
向井 実際、ほんとに危険ではあるからね。「どこかに日陰もあるだろう」とか、「冷房が効いた場所もあるでしょ」とかって行ってみたら、どこにも逃げ場所がないこともある。これも危険なんだけど、「水分足りないなら、ビールで補給だ!」とかって、盛り上がってビールをガバ飲みする人もいるんですよね。アルコールってさ、分解されるときに体の水分を吸い取っていくから、飲めば飲むほど干上がって行くわけだ。ビールをガバ飲みしときゃ大丈夫だろうと思い込んでる人がいれば、「死ぬぜ」って言いたいね。
「酩酊したときの独り言だよね。ひとり酩酊の果てですよ」
――フェスがカジュアルになったのもそうですけど、せっかくの夏だから、盛り上がって思い出に残るようなイベントに出かけたいっていう気持ちが、世の中でどんどん増してきてるような気がするんですね。だだらだら続く何もない時間を過ごすというより、せっかくの連休だからどこかに出かけなきゃっていう焦燥感に駆られる人が増えてきてると思うんです。ここじゃないどこかに、何かがあるんじゃないか、と。
「黄泉の国」の歌詞の冒頭には、「連れてって 君は言う 行き先なんてどこにも無い」という歌詞が出てきます。これは、「連れてって」と「君」に語りかけられたんだけど、それを言われた「私」は、「行き先なんてどこにも無い」と思っているのか。あるいは、「連れてって」と言っている「君」自身も、「行き先なんてどこにも無い」とわかっているのか――。
向井 この曲のみならずの話なんやけど――(歌詞カードを見ながら)これ、酩酊したときの独り言だよね。ひとり酩酊の果てですよ。もういいじゃない、酔わせてよ、と。酔いましょうや、と。ちょっと投げやりというかね、そういう歌ですよ。酔っ払いの歌ですね。じゃあ、これは「君」に言っているのか――これはもう、ほとんど自分自身に問いかけてるんじゃないですかね。最後のほうになってくると、「桜の季節にらりるれろ」って出てくるけど、これはもう、ロレツがまわらなくなってきてるんだろうな。「らりるれろ」ってちゃんと言えるかどうか、確認してるんだ。あなたは広島出身だけど、「サララモサラ」って、広島弁のはずなんですよ。
――ササラモサラ……?
向井 「ササラモサラにしちゃれい!」って――これ、言わんの?
――日常生活で使ってる人は見たことないですね。
向井 『仁義なき戦い』の中で、松方弘樹さんが「ササラモサラにしちゃれい!」って言うんだよ。何だろうな、ササラモサラって。でも、五感で大体、どういうことかはわかりますよね。だから――言うなれば、「酔わせてよ」って言っとるけども、もうすでに酔っ払っとるやろうがって話なんだな。それを「酔ってもいいよね」って、自分自身に納得させてるんだ。
「酩酊することで、定まる視点がある。それを俺は知っている」
――ちょっとこだわるようですけど、冒頭にある「連れてって」という言葉にあるように、今この現状から違う状況に連れ出してほしいって欲求って、人間に備わっているものだと思うんですね。それはもう、どんな時代にも存在する欲求で、たとえば江戸時代ならお伊勢参りに出かけることで、なにかが変わるってことに期待する人もいたわけですよね。人によっては、現実を忘れるためにお酒を飲む人もいるでしょうし、現実逃避をするためにドラッグに手を出す人もいる。ただ、向井さんにとって――。
向井 悲しみ酒とか、ヤケクソ酒とかね。そうやって現実逃避したいとかさ、そういう悲壮感があるかと言われたら、そういうものはないですね。現実がツラ過ぎて、酒の力を借りて、夢の世界に逃げ出したい――そういった意味合いはないですね。
――「このまま酔わせてくれ」と、もっと酩酊状態に突き進んでいく。そうやって酩酊を求めるというのは、何が一番大きいんでしょう?
向井 酩酊してから定まる視点があるって、ワタシは昔から感じているんですね。視点が定まっている気がするだけで、実はぐらんぐらんになってるのかもしれんけど、酔えば酔うほど覚醒する。「いや、酔拳じゃないんだから」って、自分でも思うんだけれども、でもね、それはあるんですよ。それが許される生活環境があるっていうのは、幸せなことだと思ってます。一般社会に生きている人が、「俺は酔えば酔うほど仕事ができるんだ」と言ってたら、大問題になりますよ。でも、ワタシの場合、シラフのときのほうがぼんやりしてるかもしれない。酩酊することで、フォーカスが合う瞬間があるんですね。それを俺は知っている。それは別世界にぶっ飛んでるわけじゃなくて――それで言うと、普段から別世界に行ったり来たりしてるわけだ。酩酊することで、見つめ直すことができるような気がしてるんです。これ、アル中の言い訳と思わないでくださいよ、ほんとに。
「出口なし、逃げ場なし――そんな世界っていうのは嫌だね」
――この「黄泉の国」を聞いたとき、「天国」という曲が思い出されたところもあるんです。宮藤官九郎さんが作詞をされて、向井さんが作曲をされた歌で、アコエレのライブではよく演奏されてますよね。あの歌詞の冒頭にある「旅に出よう ここじゃない どこかへ」という言葉を、ここ数年ずっと考えているところもあって。人間というものは、「ここじゃないどこか」を求めてしまって、それが人によっては酒であるかもしれないし、天国や黄泉の国が存在すると想像することで救われる人もいるかもしれないし――。
向井 それはね、だいぶ宗教的な世界観だと思いますね。そういうことではないような気がするな。ただ、宗教による救いというのは、人間にとって大切なことだと思ってますよ。信じることで、その人が救われることもある。そのために人間が作り出したものですよね、宗教というのは。それは、うん、必要な人にとっては大事なものだと思います。ワタシもね、仏壇の前では南無阿弥陀仏を唱えますけど、それは自分が極楽浄土に行きたいんじゃなくて、ある種のご先祖との対話といいますか、南無阿弥陀仏をもってして、ちょっとだけコミュニケーションがとれたような気になれる。だからワタシは仏壇で線香をあげるけども、この曲に関しては「黄泉の国で救われよう」とか、そういう祈りみたいなものじゃない気がしてますね。「黄泉の国まで連れてって」――この歌詞に関して言うと、宗教的な救いのことを言っているんじゃなくて、この現実世界から一瞬だけでも逃れさしてもらってよかですかと、そういうことを言っているんだと思います。
――お酒にしても、音楽にしても、ほんの一瞬でも現実世界から逃れるために、それを求めるという人もいると思うんです。ただ、向井さんの場合は、そうやって現実から逃れるためにお酒を飲んだり、音楽があったりするわけではなくて、むしろ現実をよく見据えるためのものだという感じがするんですね。
向井 音楽というのは、単純に逃げ場所としてあっていいんですよ。何でもそうです。逃げ場所はあったほうがいい。あって欲しいですよ。全部が塞がって、出口なし、逃げ場なし――そんな世界っていうのは嫌だね。逃げればいいんですよ。どんどん逃げればいいと思う。だからワタシも、音楽をずっとやってきてますけど、救われたと思ったことは何度もありますよ。ただ、音楽をやることの意味っていうと、逃げるために始めたわけじゃないんですね。ギターのコードを鳴らしたときの、感情の揺れ動き。その心地よさ、快感。バンド全員で音を鳴らしたときの生理的な快感っていうのは、それはもう、確実にあるんですね。だからやっぱり、何度も繰り返したい。いつまで経ってもやめられない。やり続けることで、解放される。解放感があるのは確かなんですね。だからやっているんです。しかも、それを人に聞いてもらって、音楽をもってして人と関わることによって、ある種のコミュニケーションが生まれて、この世界に自分がいると実感できる。それを求めてるんですね。
「デリカシーがないと言われるけど、想像力だけは確保している」
――3回目のインタビューの中でも、「八方美人」について伺いましたけど、この曲について、もう少しお話を伺いたいと思います。向井さんのつくる曲には、一人称が女性のものはかなり少ないですよね。向井さんの歌というのは、向井さんが目にした光景、あるいは向井さんが幻視した何かを歌っている曲が多いなかで、「八方美人」に関しては、自分以外の誰かの視点を想像して描かれた曲だと思うんです。4回目のインタビューの中で、想像することの大切さについて話をされてましたけど、向井さんにとって、自分以外の誰かを想像して歌をつくるというのは、どういう感覚があるんでしょう?
向井 「八方美人」――これね(と、歌詞を手に取って、目を通す)。これは、女性の視点というか――これは、うん、桃井かおりって感じやね。桃井かおりに歌ってもらいたいね。
――歌ってもらえるものなら。
向井 そう。「八方美人」の話から逸れますけど、想像するってことは、人にとって非常に重要なことだと思うんですね。これをやったら、どういうことになるんだろう。これをやったら、どういうことになるんだろう。その想像力は、社会で生きていく上で、なくてはならないものだと常日頃から思ってます。想像しようとしないっていうのは、あまりいいとは思わないですね。どうだっていいじゃないか、こっちがよけりゃいいんだ――そういう態度はよくないですね。ワタシはね、こう見えても社会的な人間性を確保してるわけですよ。これをやったら、こうなるだろう。それを一瞬でも想像するのが大事だなと思っているんですね。歳を重ねれば重ねるほど、それがわかってくる。それは気遣いだったり、思いやりだったりする。ワタシは昔からデリカシーがないと言われてるんですけども――。
――そうなんですか?
向井 「自分勝手なやつだ」と。「人の気持ちに土足で踏み込んでくる人間だ」と。ああ、たしかにそうだよ、と。今でもそう思ってるんですけども、想像力だけは確保してますよと言いたいね。
――ライブで初めて「八方美人」を聞いたとき、サビのところがすごく印象深かったんです。サウンドの響き方も含めて、寂寥感に溢れてる感じがしたんですね。それは、向井さんが自分自身のセンチメンタルを表現しているというより、この世界のどこかにいる、誰かが抱えているかもしれない寂寥感を想像して表現されているのかな、という感じがしたんです。
向井 あなたの寂しさを刺激してあげますよ――みたいなね。そういう意図はないです。ないですね。
「『狂い咲きサンダーロード』には、暴走のほとばしりを感じる」
――「八方美人」の冒頭に、「狂い咲くサンダーロード」という歌詞が出てきますね。石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』、20代の頃に観たはずなんですけど、内容をあまりおぼえてなかったので、DVDを買って観たんです。
向井 これ、いつのDVDだ? リマスター版じゃねえな、これ。
――リマスター版が出る前、2009年に発売されたDVDです。
向井 「狂い咲く」と言ったら、「サンダーロード」に繋がるでしょう、って――それしかないんだけど。前口上としてね。この『狂い咲きサンダーロード』のリマスターをするクラウドファンディングがあったんです。すぐ出資しましたよね。そのリマスターで映像がバキーッとなったんだけど、それはもう買えないんだ?
――リマスター版はもう、新品では買えなくなっていて、中古もプレミアがついて高くなっていて、手が出なかったです。
向井 DVDとかはね、ロットがなくなったら追加プレスしないんだよね。(DVDのパッケージに書かれた文字を見ながら)「やってやろうじゃねえかよ」――この台詞ね。主演の山田辰夫さん、もう亡くなってますけど、素晴らしい俳優さんです。『狂い咲きサンダーロード』は、観てるこっちがツラくなるぐらい、暴走のほとばしりを感じるんです。山田辰夫さんにね。それに皆が刺激を受けて、名作になってるんだと思います。信念と挫折と――あとは“返し”だね。返すんだよ。ただじゃ終わらないぞ、どうにか返してやるんだっていう、その信念だよね。それが凄まじくて、勇気が出る。
「私が感動する映画は、私もその映画の中にいられるような気分になるものなんです」
――山田辰夫さんの佇まい、すごく印象的でした。
向井 1984年の映画で、吉川晃司さんの第一回主演作品の『すかんぴんウォーク』という映画があるんだけど、これに準主演で山田辰夫さんも出てるんです。広島からバタフライで東京湾にやってきた若者がいて、それが吉川晃司なんだ。彼が東京で出会った、ポップス歌手を目指している男というのが山田辰夫なんです。ライブハウスの“箱バン”のメインボーカルとして山田辰夫は歌っていて、「お前、ギター弾けるなら俺のバックで弾けよ」って吉川晃司を誘うんだけど、あるとき立場が逆転するんだ。吉川晃司が歌い出したら、客が盛り上がって、大人気になる。そのままレコード会社から誘いがかかって、デビューして売れっ子シンガーになるんだけど、山田辰夫はやさぐれていくんだよね。挙げ句の果てに、ライブハウスのステージに出て行ったら、客からスパゲッティを投げられて、山田辰夫のもじゃもじゃリーゼントにぶっかかるんだよ。
――スパゲッティまみれになる。
向井 そこで山田辰夫は覚醒して、「上等じゃねえかよ!」って、今では絶対NGの暴言を客に喚き散らすわけね。それは「村の衆!」って言葉から始まるんだ。「お前ら、田舎モンなのに、こんなとこに集まりやがって!」と、心叫びをぶちまける。お客さんはドン引きするんだけど、そのシーンはむちゃくちゃ長くて、ずっと暴言を吐き続けるんです。そのうちに、最初はドン引きしていたお客さんたちが反応し始めて、暴言シンガーとして人気になっていくんだよね。新聞とかを読んで、そのときの政治状況や社会状況に文句を言って、むちゃくちゃ盛り上がるわけ。その暴言ソングが、山田辰夫にしか表現できない心の叫びになってる。内容はメチャクチャななんだけど、その人のハートなんだよね。それが伝わってくる。ワタシとしては、山田辰夫ワークスの中でもベストですね。
――DVD、探して観てみます。観客からすると、映画というのは自分が生きているのとは違う世界が、自分とは違う誰かの視点から見た世界が表現されたものだと思うんですね。向井さんの中では、映画を観ることでしか触れられない感覚があるから――自分ひとりの人生を生きているなかでは触れられない感覚にタッチできるから、映画を観ている、というのがあるんですかね?
向井 まさに異世界への旅行だよね。私が感動する映画っていうのは、私もその映画の中にいられるような気分になるものなんです。山田辰夫が暴言吐いてるライブハウスに、たぶん俺もいるんだよ。俺も観客のひとりとして、「すげえこと言ってんなー!」と思いながら、それを観てるんだ。それはまあ、ある種の傍観なのかもしれない。幽体離脱した霊体みたいな存在かもしれないけど、その場に自分もいれるんだよ。それがすごく気持ちいいし、そういう気持ちになれるのが、ワタシにとって良い映画なんですね。どんな映画でも入り込めるわけじゃないから。それは作品のクオリティがどうって話じゃないんですよ。そこにいれるかどうか。たとえつくりがボロくてもさ、そういう気持ちになれる映画はあるんです。映画のみならず、なんでもそうですよね。たとえば私小説といっても、「これ、ほんとに『私』ですか?」っていう小説もある。「あんた誰ですか」って。そんなの全然入り込めないし、それに接触する余裕も時間もねえわ。ただもう、ガーッとその場所に入り込んでいけるものがあるなら、どんどん連れてってよって思うよね。
「26年前、東京に出てきて最初に住んだのは、代々木公園のほとり」
向井 最初の話に戻るんやけどさ、東京の目抜通りはいっぱいあるけど、表参道の一直線の道って、特別感があるんだな。あんなにまっすぐな道ってあるわけないから、無理やり作ったんだろうな、あれは。
――表参道は、明治神宮が造成されたときにつくられた道路ですよね。その時代だと、表参道のあたりは郊外ののどかな地域で、今は代々木公園になってるあたりには、戦前だと陸軍の代々木練兵場があったという。その一帯が、戦後になるとアメリカの軍人が暮らすワシントン・ハイツになって、その近くには米軍関係者が暮らすセントラル・アパートができて――。
向井 あのあたりは、アメリカンな場所だったわけだ?
――郊外であるがゆえに、広々とした空間があったんだと思うんですよね。1960年代になって、東京オリンピックの時代になると、そこに開発の波が押し寄せていく。実際に米軍関係者が暮らしていたセントラル・アパートも、カメラマン、デザイナー、コピーライターといった「カタカナ商売」の日本人が暮らす場所に変化していって、おしゃれな街になっていくという。
向井 だから、しみついた土着感はないわけだよね。そのフレッシュな感じが、おしゃれになって、若い人が群がってる場所になってるんだろうね。坪内祐三さんの本でも、青山通りの話を読んだような気がするんやけど、そういう話を坪内さんに聞いてみたかったね。原宿の昔の感じとかさ。明治神宮だって、「明治」だもんな。
――そうですね。造成されて200年も経っていないわけですからね。
向井 全然経ってない。明治神宮もそうだし、代々木公園だって造られたものだからね。26年前、東京に出てきて最初に住んだのは、代々木公園のほとりなんです。これが東京か、って。なぜそこに住んだかといえば、選択肢がまったくなかった。地方出身者からしたら、東京の東はもう、見えてこないんですね。もしくは、そこには地方出身者が行ってはいけないんじゃないかって、感触でわかるよね。そこに東京の人がいるんだろう。
――それこそ「下町」ってイメージもありますしね。
向井 どこに行けばいいかわからなくて、まあ渋谷の真ん中にいたら色々できるだろうと、風呂なし5万円のところに住んだんです。いちおう鉄筋だったけど、その時点で築40年だった。去年、とうとう取り壊されたんだけどね。
――ああ、でも、去年まではあったんですね?
向井 あった、あった。
「結局のところ、どこに住んでも同じなんだよ。逃げ場所はないんです」
――上京されたばかりの頃だと、東京のどこに住んでいいのかわからなかったとしても、それから28年が経って、東京の地図ははっきりしてきたと思うんですね。今は笹塚にMATSURI STUDIOがあるというのが大きいとは思うんですけど、スタジオも含めて、東京の別の場所に拠点を移すことも、あるいは東京以外の土地に引っ越すことも、選択肢としてはありうると思うんです。でも、別の場所に拠点を移すってことは、まったく考えていないんですか?
向井 ねえ。それはまあ、考えたこともありますよ。何もない地方都市に行って、その都市に埋没してみたいという気持ちにとらわれることもあるんやけどね。もう、無作為に選んで、何も言わずにそこに住んでみる――そんな妄想をすることもあるけども、結局のところ、同じなんだよ。どこへ行っても同じです。山ン中に行っても同じよ。逃げ場所はないんです。ここじゃないどこかはないよ。ここしかないんだ。そう考えると、その場所を自分の場所にしていくしかないのかなと思うんよね。あなたは何区やったっけ?
――今は文京区です。上京して最初に住んだのが高田馬場だったんですけど、勤め先があるわけでもないので、特に引越しをするきっかけもなく、ずっと馬場だったんですね。このまま東京の他の街に暮らさずに生きていくのかと思ったとき、ちょっと東のほうに移動してみようと思って、今のところに越したんです。根津に好きなバーがあって、それも引っ越した理由のひとつなんですけど。
向井 だけどさ、根津も馬場も、そうは変わらんよね。
――俯瞰で考えると、そうですね。大学生を見かけることが多いか、お年寄りが多いかというのはありますけど。
向井 リモートワークで事足りるということになって、都内にいなくてもよくなって、静岡に引っ越す人が増えたという話を聞くんですよ。それはたしかに、家を買うなら都内より全然安いだろうし、静岡なら東京にすぐ出れるんだろうなとは思うんだよね。だけどさ、「リモートワークでも仕事ができますよ」っていうのは、だいぶ限られた人だよね。そんなことも言ってられない、毎日出勤して仕事をするしかないっていう人もたくさんいるわけだ。
「大の大人が、何でそんなに怒ってるのか、知りたくてたまらないんだ」
――コロナ禍になったときに、「エッセンシャル・ワーカー」という言葉も耳にしましたけど、誰もがリモートワークで事足りる仕事をしているわけではないですよね。今の話で思い出したのは――2020年にバス停で女性が殺された事件、あれはMATSURI STUDIOのすぐ近くでしたよね。
向井 そうだね。甲州街道を新宿方面に進んで、笹塚交差点を渡って1個目のバス停で、そういう事件があった。その事件もそうなんやけどさ、ささくれだってる感じが、どうも増えてきてるような気がするんだよ。私自身もささくれだってるから、世の中がささくれだっているということを、感じざるを得ないんだ。この4、5年でね、私が目のあたりにする空気感として、ささくれだってきてるなと思うことがありまして。そういうこと、ありませんか。
――SNSに流れてくる言葉を見ていても、社会の底が抜けてしまったなと感じることは多いですね。
向井 それもあるんやろうけど――もっとこう、半径50メートルの話としてね。ワタシの場合、文句を言われることが増えたんです。
――文句?
向井 買い物してるときに、ぶつかっただの、ぶつからないだのっていうね。そういうことは昔からあったんだろうけどさ、お互いに押し殺してたのが、表面化してきてるような気がするんですね。ちょっと肩が当たっただけで、面と向かって文句を言われるわけだ。それで、ワタシはタチが悪いことに――「何を!」とか、「表出ろ!」とか、そういうことを言うと思ったでしょう?
――いやいや、思わないです。
向井 ああ、そう? ワタシはね、「表出ろ!」みたいなことは言わないんですよ。そうじゃなくて、むちゃくちゃにこやかに喰らいつくんだよね。「なんで怒ってるんですか」ってね。「お前、わざとぶつかっただろ!」と言われても、「いや、混雑してるから、ちょっとぶつかっちゃっただけで、わざとじゃないですけどね」と。自分でもタチが悪いと思うけど、なんでそこまで憎しみを持つのかってことを知りたくなるんだよね。そして真剣に問いかける。「なぜそんな怒る必要があるのですか?」「おしえてよ」と。大の大人が、なんでそんなに怒ってるのか、知りたくてたまらないんだ。なんでこらえられないんだ。こらえられない理由はなんだい。何か嫌なことでもあったのか。それに対して、ワタシは解決もなにもできないけども、そういう喰らいつきかたをしてしまうんだね。まあ、それはトラブルになりますよね。じゃあ、俺が悪いのか――「はい、私が悪いです」って、今は言えるんだけどね。
「世間一般が苛立ってるのか、俺が苛立ってるのか――」
――向井さんの生活の中で、トラブルに巻き込まれるようなシチュエーションってそんなにあるんですか?
向井 いっぱいありますよ。あるとき、うどんを食べようと思って、うどん屋の前に自転車を停めたんです。そこにはスクーターが停まってたんだけど、その後ろに自転車を停めたわけだ。そうしたら、いきなり「どけよ!」って怒鳴られたんですね。それは宅配業の人だったんだけど、いきなり「どけよ!」と言われた。「なんでよ」って聞いたら、「邪魔だよ!」と。そうなってくると、話が長くなるわね。やっぱり、「どうしたんだ?」って聞きたくなってくる。なんでそんなイラついてるんだ、と。「お前が邪魔だからだよ!」って、ガンガンくるわけね。俺がスクーターの後ろに自転車を停めたこと自体、ソイツにとっては腹立たしいことだったのかもしれないけど、いきなり「どけよ!」と命令するほどイラついてる理由が知りたくてね。「あんた、どこの宅配だ?」と聞くと、こう言いやがる。「残念でした。こっちは個人事業主だから、どことか関係ねーよ」と。ぐらぐらきてさ。一応、「うどんが伸びるぜ」みたいなことも言いつつ、最終的には俺がどかされる運命にあったんだけれども――これ、俺の愚痴吐き出し大会になってるね。世間一般が苛立ってるのか、俺が苛立ってるのか、よくわからなくなってきたけど、こっちから絡んでるわけじゃないからね。
――電車に乗ってると、ささくれだった気持ちになることはすごく増えた気はしますね。混み合った電車に乗っていたら、後ろから肘で押されたり、わざとぶつかってこられたり――そういうことはすごく増えた気がします。わざとぶつかって来られたりすると、その人を追いかけて、「なんでわざとぶつかったんですか?」と聞きたくなってしまうんですけど。
向井 向井 やっぱり、そういう気持ちになるよね? そうなんだよ。ちょっと前にさ、銭湯の脱衣所でも、そういうことがあったんです。俺は銭湯から上がって、服を着て帰ろうとしてたんだけど、浴室から全身ズブ濡れのまま上がってきた若者がいたんですね。バシャバシャバシャッて、床を濡らしながらトイレに突っ込んで行ったんです。俺はもう靴下履いてたからさ、濡れるの嫌だなと思って、脱衣所にあるモップで床を拭いたんだよ。そしたら、ソイツがまた出てきてさ、俺が拭いたところを濡らしながら浴室に帰ろうとしたんだ。そこでまあ、俺は言うんだね。決して声を荒げることなく、「出るときは拭こうよ」って言ったのよ。それを言った瞬間に、めちゃくちゃデカい声で「わかってんだよ!」って怒鳴られたんだよね。もう、シュンとしてさ。「言われなくてもわかってんだよ!」と言われて、びっくりしてね。「いや、俺が悪いんか?」と聞いたら、「だからさあ! タオルをロッカーに入れてんだよ!」って、怒鳴り続けるんだよ。「だったら、ちゃんと水を落としてから出ようや」、「わかってんだよ! モップで拭けばいいんだろ!」って言い合いになってたら、銭湯の店主がやってきたんだよね。そしたらその若者が、「この人が僕に怒鳴ってきたんです」としおらしく言い出して、完全に俺が罪人扱いされたんだよね。「はいはい、ほかのお客さんに迷惑だからとりあえず出ましょう」とか言われて、手ぇ引かれて外に連れて行かれたんだ。20年通ってる銭湯でこんなことになるのか。あれは一体、何だったんだろうな。俺は別に、「お前、拭けよ!」みたいな言い方をしたわけじゃないんだ。「出るときは拭こうよ」って、普通のトーンで言っただけなんだよ。でも、その若者からしたら、人から何かを言われるだけでピキーンときたんでしょうね。もう、こらえがきかないっつうかね。俺、泣きたくなったもん。この銭湯とははっきりと決別しました。二度と行かねえ。
「そこにいる人間の感情を、聞きたいと思っているわけだよね」
――なんでしょうね。僕は1982年生まれで、少年Aだとか、バスジャック事件を起こした彼とかと同い年なんです。
向井 「キレる17歳」ね。
――そう、「キレる17歳」と言われた世代なんです。その時代には、当時10代だったこどもたちが、未知なる世代が登場したみたいに扱われてたような気がするんですよね。でも、今はそれ以上に、まるで感覚が変わってきてるような気がします。コミュニケーションの前提が変わっていて、知らない人から話しかけられるなんてことを受け入れられない時代になってきてる気がするんです。
向井 銭湯でトラブルになったあと、シミュレーションしたんだよ。あのとき、どうすればよかったのか。どうやって言ってあげれば伝わったのか。俺がめちゃくちゃ下手に行ったとして――でも、そういうことじゃないんだろうね。他者が介入してくるという時点で、受け入れられないんだろうな。あそこでもし、銭湯の人が「拭いてから上がってくださいね」と注意したら、あの若者は「わかりました」って言ってたんだろうな。だとしたら、ソイツにとって店の人ってどういう立場なんだ?
――その空間を管理/監督している立場という意味では、警察に近いんじゃないですかね。警察から注意されるなら納得が行くけど、同じ利用客の立場である人から注意されたら、腹を立ててしまう、と。
向井 それは――最悪じゃないか? 秩序を司るものがいないと、秩序を保てないのか。逆に言えば、権力を持っている人間の言うことは全部従うってことでしょう。それ、最悪の状況だよ。なんでそうなる? その銭湯もさ、昔は常連さんがたくさんいたんだよ。それがひとり消え、ふたり消え、今では一切いなくなった。うるさがたは排除されたんだな。俺は別に、自分のことをうるさがたとは思ってないんだけど。
――向井さんに注意されて、いきなり怒鳴り始めた若者からしたら、自分以外の人間はただの背景にしか見えてないのかもしれないですね。これ、『観光地ぶらり』という本を書いているときにも考えてたことなんですけど、今はもう、あらゆる風景がテーマパークみたいに見做されるようになってきたんじゃないかと思ったんです。自分が目にしているものは背景だと思っていたのに、そこでふいに声をかけられたら、背景に過ぎなかったものが自分の世界に割り込んできたかのように感じてしまうんじゃないか、と。幡ヶ谷のバス停に座っていた女性が殺害された事件も、犯人は「いつもそこに座っているのが目障りだった」と供述してましたけど、それも同じような感覚なんじゃないかと思うんですよね。どうして自分が目にしている世界に、自分以外の存在が入ってくるんだ、と。
向井 でも――あなたはむしろ、入り込みたいわけだよね。他の人たちは背景だと思って見過ごしている、その空気の中に、入り込もうとするわけだよね。そこにいる人間の感情を、聞きたいと思っているわけだよね。
――そうですね。できることなら知りたいなと思って、今この仕事をしてる気がします。それは僕自身が生まれ持った気質というより、ひとつには、向井さんの音楽をずっと聴き続けてきたからだと思います。
第6回に続く
2024.8.7 東京で収録
ZAZEN BOYS 日本武道館公演決定!!
武道館ではメンバーの誰もがコードを全く憶えていない名曲などを含め豊富なセットリストを組み、二部構成をもってして3時間超の公演を行う。(向井秀徳)
ZAZEN BOYS MATSURI SESSION
2024年10月27日(日)日本武道館
出演 ZAZEN BOYS
開場16:00 開演17:00
チケット完売につき、ステージサイド席追加販売決定!
9/23(月・祝)10:00〜
※先着販売
https://zazen-budokan.bitfan.id
(問)ホットスタッフ・プロモーション 050-5211-6077<平日12:00〜18:00>