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何色で描きますか

今年に入って、ずっと蓋してきた過去のあんなことやこんなことが回想されるようになった。それぞれの出来事が起きた当時は、自分が悪かったことにすることで、“ホワイト”な自分を保っていた。自分のせいではないと思った瞬間に、他人への怒りや憎しみが湧いてしまって、自分の“ダーク”な側面を見てしまうような気がして。

でもそれぞれの出来事が回想されるようになってから、ある意味でその事象を第三者的な立場で見るようになった。もちろんクールでいられなくなって、怒りが涙となって溢れたり、どうしようもなく落ち着きがなくなっておかしくなるんじゃないかという時もあった。でもひとは誰でも“ホワイト”、“ダーク”その他さまざまな色を持っていて、ともに体験する出来事の中で、オリジナルの絵を共同創造する。その絵には、カッコいいもカッコ悪いも、正しいも間違っているもなくて。ただ一緒に描くこと、そのものに意味があるんじゃないかと。

ホワイトだけで絵は描けないように、自分が本当は使いたいはずなのに出し惜しみしている色があると、途端にその絵は陳腐なものになってしまうんだろうな。そして怖いのは、その絵が他人に見られたら、いや自分で見たとしても、本物かニセモノか分からない場合があること。

絵を描くことは、単純だし時を刻むことそのものだけれど。自分のあり方ひとつで、簡単にも難しくもなるんですね。

今日も心のままに、素敵な1日を🌺
Mahalo!

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