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妥協出来ないのは政治的には弱さになりうる

政治を別の言い方で表すなら「妥協」だと思っています。「妥協」という言葉は一般的に使用される場合、良くないイメージで使われることが多いですが、人と人との間での利益調整としての行われる政治では「妥協」が出来なければ「対立」するしかありません。それは国内であれば最終的には裁判で決着が付けられるはずですが、もし国際政治において妥協が成立しなければ対立することになり、最悪の場合は戦争ということになります。

お互いに満足は出来ないけれど納得はできる「妥協」が成立することによって対立を回避できるわけであり、それこそが政治の神髄であるはずですが、譲れないところが多すぎると対立が増え、結果的に政治が成り立たないことになります。

欧州の危機はイギリスからドイツへ広がる
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13100_1.php
通常であれば、与党・保守党は党首が決めたことに従うはずだ。しかし、もはやイギリスの政党は機能していない。
保守党内部から多くの造反者が出て、野党と結託し、合意なき離脱の阻止法案を通してしまった。
(中略)
難民の受け入れに反対する右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進し、今やほとんどの選挙で第2党の地位につけてくる。長年2大政党の一翼を担ってきた社会民主党(SPD)は、存続の危機に立たされている。従来からの政治勢力で連立政府を組もうとしても、もはや2党では多数が形成できず、3党以上にならざるを得ない。取り沙汰されている政権連立は、ほとんど挙国一致政権の感すらある。近い将来「ドイツのための選択肢」が第1党になる可能性も十分ある。

こちらの記事には今、混迷の真っ只中にあるイギリス政治、そして混迷が始まりそうなドイツ政治における状況がリポートされていますが、ヨーロッパ各国の議会の特徴としてほとんどが連立による政権運営がなされていることです。

政党というのは意見・思想・目的が同じ者が集まってそれを実現させるために集った組織です。いわば数が多いことがある程度の正しさ・要求の必然性の担保になっているわけですが、同じ目的で集まったはずの人達でも一から十までまるっきり同じ脳みそを持っているわけではありません。一番重要な目的では一致していても、それ以外の問題では必ずしも同じ意見を持っているとは限りません。

そもそも人それぞれ意見が違うのは当たり前です。それでも一つの組織に集まっているのは目的を果たすためですが、対立する部分はある程度お互いに大目に見合うことでしか組織は維持できません。特に大きな政党であればなおさら対立を防ぐために妥協の繰り返しになるはずです。

妥協が出来ない場合、大きな政党は維持できず、意見が比較的「かなり」近い人達だけが集まる少数政党が乱立することになります。政党は目的実現だけでなく利益分配による求心力もありますから必ずしも意見の違いだけで人数が決まるわけではありませんが、利益分配を行えるような政党はどの国でも一つ二つくらいでしょう。イギリスやアメリカの二大政党制は分かりやすい例だと思います。

少数政党が多い議会では政権運営のために連立政権を組むことになります。しかし、そもそも意見が異なるから別の政党を組織しているわけですから、政権運営における権力行使の限界は単独政党による政権よりも早く訪れます。

連立政権の政権寿命が短いからといって、必ずしも悪い結果になるとは限りません。特定の方向の政治が必要なときにはその方向性が近い政党同士による連立政権を行い、その施策が実行された後に連立が解消して、今度はまた別の施策のために連立が組まれて実現する、ということを繰り返すのであれば政治上の停滞は起きず、特定の政党による政権運営がずっと続くことによる弊害を防ぐこともあります。

しかし、連立を組んでも目的を達成する前に瓦解したり、そもそも多数派を構成する連立政権が組めなかったりすると、政治そのものがストップしてしまうことになります。こうなると一党独裁の方がマシか、という事態になってしまいます。先進国の中でもイタリアではいまこんな感じになっています。

いわば大同小異が出来るかどうかが政治上の安定を生めるかどうかの分水嶺になります。他人に妥協出来ない人ばかりでは集うことが出来ません。日本含めアジアでは比較的大政党による政権運営が多い気がします。少数政党の連立によらないことで政治上は安定しますが、国民の意思がすぐに反映されづらいという見方も出来ると思います。これはアジアの歴史的に権威主義的な考えたが人々の中でも強めにあることから説明できそうですが、断言できるかどうかは分かりません。

一方で、ヨーロッパで少数政党が乱立しがちなのはもともと個人主義的なところが強いかも知れませんが、これもアジアと同じくレッテル貼りするのはあまり良くないかも知れませんね。

それはともかく、意見が違うことを理由に妥協が出来ず、組織が少数化してしまうと、結局は自分たちの力を弱めてしまいます。

最近良くあるニュースで、現在は社会的地位が高い人物が若い頃に行った人種差別的行為を数十年ぶりに掘り起こしてきて非難されるということがあります。

バイデン氏に攻撃が集中 米大統領選・民主党テレビ討論2日目
https://www.bbc.com/japanese/48797957
立候補者たちの中で唯一の黒人女性であるカマラ・ハリス上院議員(カリフォルニア州)は、バイデン氏が人種差別を肯定する上院議員たちと数十年前に取り組んだ仕事を、自慢していると批判。
バイデン氏に顔を向け、「あなたが人種差別主義者だとは思わないし、共通点を見つける大事さを訴えていることには共感する」と述べた後に、こう続けた。
「でも、これは個人的なことでもあるが、この国で人種差別によって名声や職を得た2人の上院議員たちを、あなたが評価するのを聞いて、実はとても傷ついた」
アングル:カナダのトルドー首相陣営、「人種差別」報道対応の一部始終
https://jp.reuters.com/article/insight-canada-trudeau-idJPKBN1WJ0D3
9月18日。ハリファックス空港に向かうトルドー・カナダ首相の選対陣営に、米タイム誌の記者から暴露記事の知らせが入った。首相の再選を揺るがしかねない1枚の写真が数時間後、同誌の紙面を飾る。トルドー氏が29歳だった2001年、「アラビアンナイト」パーティーで顔を茶色く塗り、人種差別的な仮装をした写真だ。

ダメなことはダメというのは分かりますが、その非難によって得をするのはリベラル陣営ではなく保守陣営の方でしょう。

時代によって判断が分かれるのではなく普遍的な問題だ、ということでそのような非難が成立しているのですが、例えばその行為を後に反省して立派な人間になったのであればそれは認めるべきなのではないでしょうか。

かつての過ちを反省の有無にかかわらず一様に断罪して再チャレンジも認めないというのは、結局のところリベラルを体現する人物を減らしてしまいます。イエスキリストは「今まで一度も罪を犯していない者だけが石を投げなさい」といったはずですが、他人を批判して自らを権威付けようとする人は罪を犯していないのでしょう。

内部対立が激しくなればそれこそリベラルから見たら悪魔の権化にも思えるトランプ大統領のような人間をのさばらせてしまう結果になり、自業自得な結果になるのではないかと危惧してしまいます。

人種差別といえば、もう一つ意識せざるを得ないニュースがありました。

米ハーバード大、入学者選考のアジア系差別訴訟で勝訴
https://www.afpbb.com/articles/-/3247521
ハーバード大はアファーマティブ・アクション(差別是正措置)に基づき数十年前から人種的マイノリティーの入学を後押ししており、その一環で入学者選考における判断基準に志願者の人種を取り入れてきたが、原告側はこれを批判。ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権も原告の主張に支持を表明していた。
 大学側はアジア系学生への差別を否定する一方、個人の属性を含め、学業の優秀さ以外の幅広い選考基準を用いることの正当性を主張。人種は選考過程で考慮される多くの要因の一つにすぎないとしている。また、大学側は昨年10月、3週間にわたり陪審なしで行われた裁判で、アジア系学生の比率は2010年以降大幅に増加していると説明していた。

アメリカというか世界的に見ても名門大学であるハーバード大学で、アジア系アメリカ人の合格が制限されているのは違法だとして訴えられていた裁判が、連邦裁判所で適切だという判断が下りました。これはまだ連邦地方裁での判決です。こういう問題は間違いなく最高裁まで行くでしょう。現在のアメリカ連邦最高裁判事はトランプ大統領就任後に入れ替わりがあったので保守派が多くなっていますが、裁判自体に時間がかかり、民主党大統領の時代になればどうなるか分からないでしょう。

しかし、先年日本で東京医科大学による入学者差別は男女差別の観点からかなり激しい批判がありました。それは事実だし行われるべき差別ではありませんでしたが、今回のハーバード大学の件と合わせて考えると、男女差別は許されないけれど人種差別はある程度認められる、ということになってしまいます。

人種の多様性を維持するために入学定員の割合をある程度固めることが許されるということと、女性の比率が大きくなりすぎないように男性受験者の得点に下駄を履かせることに違いがあるのでしょうか。

人種差別も許されないことであったはずですが、男女差別よりはマシだと思われているのでしょうか。

これはアメリカの事例だから、という理屈もあるでしょうが、将来的に日本も移民が増え、色々なルーツを持つ日本人が増えた場合、同じような問題が起こりえます。その時に、日本の大学や裁判所が下す決断はどういうものになるでしょうか?

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