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古いようで古くない儀礼的な風習が廃れていく

昔からあるようでそれほど歴史が古くない風習・習慣というものが最近すたれつつあります。

例えば年賀状。一般人が手軽に郵便を出せるようになったのは、明治時代になって近代郵便制度が確立してからです。当然ながら全て手書きでした。個人が大量に送付できるようになったのはガリ版を使ったり、あるいは昭和後半に出てきたプリントゴッコなどの機械を使えるようになってからです。ワープロ、次いでパソコン&プリンターの普及によって、一人で何百枚も手軽に印刷可能になりました。しかし、ケータイでのメールそしてSNSの普及によって年賀状ではなくあけおめメールやメッセージを使う人が増えたことなどで、年賀状の発行枚数は減りつつあります。

お歳暮やお中元も年賀状に近い存在です。かつては年末や年始の挨拶として自身が現物を直接相手の家に持っていくものでしたが、百貨店の登場、個人向け運送業界の成立、高速道路網の整備などによって、遠方の人にそれなりの品物を決まった時期に確実に贈ることが簡単になったことで一般的な文化として普及しましたが、経済的な理由や面倒さからか儀礼的なやり取りは減りつつあります。

成人式についても一般的に普及というか各自治体で行われるようになったのは昭和の中頃です。もちろん、武士には元服という儀式がありましたし、日本のみならず成人としての通過儀礼は世界各地にあります。ただ、成人式は同窓会や帰省とセットとなっていたり、儀礼というよりはイベントになりつつあります。18歳を成人とするケースもあるので、20歳という区切りが微妙なものになっていくでしょう。

それ以外にもバレンタインデーのチョコについても義理チョコは批判や面倒さから減少しています。本命チョコも減っているらしいですが、その代わり友チョコや自分チョコが増えているそうです。自分チョコはもはやただのチョコ好きがチョコを買って食べているだけだと思うのですが、ともかく形だけのチョコというのが無くなっていくのでしょう。

食べ物で言えば節分の恵方巻きや土用の丑の日の鰻なども、一斉に日本中が食べることを前提に生産・販売されますので、フードロスや店員・店主の自腹購入が問題になっています。そもそも節分ではなく真夏に巻き寿司を食おうが土用の丑の日ではなく真冬に鰻を食おうが栄養価は大して変わりません。単なる商業上の話です。売るための広告宣伝に乗る人の割合が減れば消費も減ります。

いずれも、全国民的に広まったのは昭和後半や平成になってからのものであり、インフラやライフスタイルの変化によって普及が促進されたものでもあります。そういったものが、長引く景気低迷やIT革命によりさらにライフスタイルの変化がもたらされたり、あるいは人間関係の変化によって、形式的・儀礼的なものが忌避されることで廃れていく、という流れになっています。

儀礼や形式が全く不要というつもりはありません。無駄に思えても無意味ではないですが、それほど歴史が長いわけでもなく、マスメディアや企業側の商売の都合で普及したものは、時代の変化によってあっさりと消えていく運命にあるのでしょう。

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