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卒業制作日誌③

卒業制作は、一生に作る作品のうちの一つにすぎない。当たり前のことなのだが、友人とそのことを話すまで気づかなかった。そうだ、だからこんなに肩に力が入っていたのか。「卒業制作でどんなに素晴らしいものを作れたとしても、その先の人生はつまらないことだらけ」となんとなく考えてしまったけれど、どう頑張ったって、大学の卒業制作ごときでは、人生の最高傑作なんて作るのは無理なんだし、この先の人生を悲観するのも違うよなあと思った。一人ぼっちで思いつめすぎると、時々とんでもない思考に傾いてしまうことがある。


noteを書き出して一年以上過ぎたけれど、最近記事を褒めてくれる人が何人かいて、とてもありがたい。自分の思ったことをただ書いているだけなのに、思いがけないやさしい言葉をもらえると、やっぱりなんでもいいから続けることが大事なのかな、と思う。「なんでもいいから」というのが特に大事なポイントなのだろう。不恰好でも下手くそでも、見てくれる人は自分が思っているより多かったりする。

美大に入ってからというもの、自分を表現することが怖くて怖くて、表現から逃げまくっていたら、ほとんど病気のような状態になってしまった。勇気を振り絞って、表現と正面から向き合うのも大事だけれど、「とりあえず何かを作るだけ」というのもまた、本当に自分が表現したいものに、道が通じている気がする。

それと、参考作品に選ばれることが少ない、というか記憶の中ではほとんどなくて、そういう目立つポジションに立てたらなあと考えることもある。友達がそうなったら羨ましくなるし、大学にいる間はもうそんなことは起きないのかな、誰の記憶にも残らないのかな、と思うと、猛烈に寂しくなる。

でも、たぶんこれも、作っている限り、やっぱり見てくれる人は見てくれているのだと思う。だから、考えすぎて立ち止まって、何が何だかわからなくなることのないように、ゆっくりでいいから歩き続けて、何かを形にしたい。



今日は登校日で、卒制プレゼンの日でもあった。学校に行く日はものすごく緊張するし、疲れるし、発表の前は口の中がぱさぱさに乾く。「動悸が激しかったら飲んでくださいね」とお医者さんから言われた頓服を、二つぶ飲む。本当に効いているのかどうかわからないけれど、もうプラシーボ効果でもなんでもいいから効いてくれと思う。

でも、実際に学校に行ってみたら、友達が声をかけてくれて、先生方の手厚いサポートもあって、行く前よりずっと心が穏やかになっていることに気づいた。作品だけじゃなくて私の人生丸ごと不恰好だよなーと思いつつ、まあ穏やかな気持ちになれるのなら、それでいいのかなと思ったりもする。こんな感じで、しばらくはゆっくりと、日々を渡り歩きたい。

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