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人事は「人的資本の情報開示」をどう捉えるべきか

こんにちは。WorkTech研究所の友部です。
前回は退職分析についてお話をしましたが、たくさんの方から反響いただきました。

このnoteを始めてから1ヶ月ほどになりますが、取り上げて欲しいテーマとしてお伺いする機会が増えたのが「人的資本の情報開示」というものです。

海外では、ISOが人的資本マネジメントに関して指標を整理したガイドライン(ISO30414)が制定されたり、アメリカではSEC(米国証券取引委員会)が人的資本に関する情報開示を義務化されたりなど、「人的資本の情報開示」についての動きが活発です。日本にもこの流れが押し寄せ、東証がコーポレートガバナンスコードを改定、人的資本に関する情報開示項目が追加されるなどもあり、人事に関わる方々が気になり始めている話題でもあるかと思います。

経営目線や投資家目線での話はインターネット上にもたくさん情報があるかと思います。どうしても投資家のための情報開示中心の話題になる傾向があるので、このnoteではWork Tech観点で人事の人がどう捉えるべきなのか、というお話をさせていただこうと思います。

人事は「人的資本の情報開示をどのように捉えるべきか
人事は「人的資本の情報開示」をどのように捉えるべきか

「人的資本の情報開示」とは何か、のおさらい

「人的資本の情報開示」についてはいろいろなところで解説されているかと思うので、ここでは簡単におさらいします。

人的資本とは何か

企業経営するにあたって、「人」は欠かせない要素です。人的資本とは、その「人」を資本とみなして、投資をしていこう、とする考え方です。「人」の可能性を最大限に引き出すことで、企業の競争力や価値向上につなげようとする動きが近年高まっています。

最近、人を資源とする「Human Resource」ではなく、人を資本とする「Human Capital」という呼び方をしたり、「人材」ではなく「人財」と表現したりすることもよく見ます。また、人事自体も管理部門ではなく、価値創造する役割だ、という見方をするのは、人的資本の認識が強くなっているのだと思います。

なぜ、人的資本を開示するのか

企業価値の評価に、人的資本を含む無形資産が重要視されています。持続的な企業価値向上には「人的資本」の活用が不可欠である、というのも人事の皆さんにとってはごくごく当たり前のことかと思います(だからこそ、タレントマネジメントを中心とした育成や、採用が経営につながる人事の大きな業務になっています)。

となると、その企業がどれほどの人的資産を有しているか、というのは投資家にとって重要な情報です。企業成長の現状や将来性を測るため、投資家を中心に人的資本の情報開示を求める動きが強くなり、日本でも企業が人的資本の情報開示に対応しなければならない状況になりつつあります。

何を開示するのか

人的資本の情報開示がわかったところで、では何を開示すればいいのでしょうか。ここで開示されるのは、客観的に(他と)比較できる指標である必要があります。

そこで注目されているのが、ISOが制定した人的資本マネジメントに関して指標を整理したガイドライン、ISO30414です。ISO30414では人的資本の情報開示に関わる指標を11カテゴリー58指標について示しています。具体的には、下記のようなカテゴリーです。

・Compliance and ethics(コンプライアンス・倫理)
・Costs(コスト)
・Diversity(多様性)
・Leadership(リーダーシップ)
・Organizational culture(組織文化)
・Organizational health, safety and well-being(組織の健全性・安全性・ウェルビーイング)
・Productivity(生産性)
・Recruitment, mobility and turnover(採用・異動・離職)
・Skills and capabilities(スキル・能力)
・Succession planning(サクセションプラン)
・Workforce availability(労働力)

※ ISO 30414:2018 Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting より作成

ちなみに、これらすべての項目を外部に開示せよ、という話ではなく、企業規模や業態に合わせて社内・社外に何を開示するのか判断する、ということになっています。

人事は「人的資本の情報開示」をどう捉えるべきか

ではおさらいはここまでにして、役割として人事に関わる人達に対する影響について考えてみます。経営資本の管理という観点では、人的資本の情報に関する管理は、人事ではなく経営管理部門が行うのが妥当かもしれませんが、会社で働く人のデータをもっと多く持っているのは人事なので、何らかの形で関わることになるかと思います。

となると一番最初に頭によぎるのは、経営からあのデータ・このデータが欲しいというオーダーが増え、業務工数が増えるのでは・・・ということでしょう。次に、情報開示のために集めたデータを人材課題や組織課題の解決に使えるのではないか、ということも頭によぎるのではないか、と思います。

実際に人事にどんな影響があるのかを想像するとキリがなく、ネガティブなこともポジティブなことも思いつくかもしれません。そこで冒頭でお伝えした、人事がこの「人的資本の情報開示」をどう捉えるか、整理しておきます。

人事は「人的資本の情報開示」をどのようにとらえるべきか
人事は「人的資本の情報開示」をどのように捉えるべきか

①人事は「人的資本」を運用する役割である、という意識を持つ

まず「人的資本」という考え方が浸透すると、人事自体の役割に対する意識が変化するのではないか、と思います。「人的資本」の観点では、人事がやるべきことは「人的資本の運用」です。人事制度の策定や施策の実行の大きなゴールは単なる人材の管理ではなく「人的資本を増やすこと」とすれば、人事は利益を産まないコストセンターではなくなり、企業価値を高める組織へと変貌します。

ひとと組織に関する課題は大小含めて数多くあります。これら課題の優先順位をつけるのは難しく、まずは目の前の課題から手を付け片っ端から片付けようとするでしょう。しかし、本質的な課題解決のための時間は足りておらず、人事の方々はいつも多忙な印象を持っています。

そこで大きなゴールとして「人的資本の運用」を置くことによって、解決すべき課題の優先順位がつけられるようになると考えられます。この課題を解決することで経営にどのような影響があるかが議論できるようになり、適切な人事制度や人事施策が実行できるようになります。その結果、本質的な課題解決が可能となります。

①人事は「人的資本」を運用する役割であるという意識を持つ
①人事は「人的資本」を運用する役割であるという意識を持つ

「経営に資する人事」と言いますが、人的資本の指標が明確になることで、経営との接続を意識しながら日々の業務を実行することが求められます。それが「人的資本の運用」であり、人事の役割であるという意識になるでしょう。人事は管理部門ではなく、価値を創造するという期待がかけられる部門に変わります。人的資本の話はどうしても上場のみに関係すると考えられがちですが、「経営に資する」という意識は上場/未上場限らず重要だと思います。

②あらゆるステークホルダーとのコミュニケーションツールである

つぎに、「情報開示」という観点で考えてみましょう。「人的資本の情報開示」において、開示に使われる各種指標は経営のコミュニケーションツールの一つとなりえます。投資家への資本情報として開示する、というのがもともとの発端でもありますので、経営から投資家へのコミュニケーションが大きな目的になりますが、投資家以外(人事や採用候補者、従業員)に対してもこれまでと違った形でコミュニケーションを取れるようになります。

②あらゆるステークホルダーとのコミュニケーションツールである
②あらゆるステークホルダーとのコミュニケーションツールである

経営と人事のコミュニケーション
人事が制度の策定や施策を実行するにあたり、経営からの承認が必要となる場面があります。これまでは制度の策定や施策実行によってどのような効果があるのかを説明することが難しかったですが、各種指標をベースに説明することができます。起案する一つ一つの施策について、効果が結果として人的資本のどの指標に影響があるかを説明できれば、経営とのコミュニケーションもスムーズになると考えられます。

経営と採用候補者のコミュニケーション
これは投資家に近い観点となりますが、採用候補者が転職先としてどの企業を選ぶかを決定する際、人的資本に関する指標はひとつの参考材料になります。企業の事業内容や定性的な働く環境については、各社のIR情報や採用広報、面接時の面接官などから情報を得ることができますが、こういった人的資本に関する指標が開示されていれば定量的にも判断することができます。例えば「女性が活躍できる職場で働きたい」と採用候補者が考えた時、それを文言として謳っているだけでなく、「管理職の女性割合」など指標として確認できると判断もしやすくなります。

しかし、人的資本の指標を参考に転職先を選定する、というのはまだ先の話かなと思います。そもそもどういう働き方を期待しているのかを転職者自身が考えきれていないですし、開示されている人的資本の指標からどう読み取るのかがわからないというのもあります。自身の働き方のあるべき姿が何か、特に会社に何を期待して何を期待しないのかを明確にする転職者が増えてくると、こういった指標の開示が転職市場でも有効なコミュニケーション手段になりうると思われます。

経営と従業員のコミュニケーション
人事に関する情報をどこまで従業員に開示するかは、それぞれの会社で検討されてきました。特に、「退職」に関する指標は社内の従業員にネガティブなインパクトを与える可能性が高いため、取り扱いをより気をつける人事も多いかと思います。

人的資本の指標のどれを従業員に開示するかは、会社の規模や業態によって異なり、特に環境・文化によって変わると思われます。各指標それぞれについて、従業員に開示することのメリット・デメリットを踏まえながら判断できれば良いです。

しかし、人的資本の情報開示が進むと、従業員が自社の指標への興味が強くなる可能性があります。耳障りの良いポジティブな数字だけではなく、従業員を不安にさせるようなネガティブな数字の指標も求められます。それを隠そうとすると、不透明さを感じさせ悪循環となります。一見ネガティブに見える数字であっても、それを経営がどのように捉えているのか、そしてそれに対して何をするのか(あるいはしないのか)をメッセージングすることで、透明性の高い経営からのコミュニケーションも重要です。

③情報開示する指標だけでは、人材・組織課題の解決はできない

ただし注意しておきたいことは、人的資本の指標だけでは人材課題・組織課題の解決はできない、ということです。アタリマエのことですが、事業開発やサービス改善を行う時、KPIとして財務指標を使うことはありません。その事業・サービスの特性に合わせたKPIを用意し判断することになります。

人事でも同様で、人的資本の指標はあくまで資本の状況を示すためのもの。ひとや組織の状態について、例えば人が育っている状態とはどういう状態のことか、良い組織の状態とはどのような状態のことか、などの定義は会社によって異なります。よって、これら課題解決に用いるための指標は会社ごとに変わることになり、この人的資本の指標ですべて解決する、というわけではありません。

会社の「あるべき姿」の認識合わせ

今回は人的資本の情報開示について、人事としてどのように捉えるべきか、についてお話させていただきました。情報開示の義務化が進むと経営や人事は対応せざるを得ず工数がかかるかもしれませんが、ポジティブな面として経営と人事があるべき姿を握る上では強いツールとなりえます。

このnoteでよく「あるべき姿」という言葉を使わせていただいてますが、会社の「あるべき姿」を考える上でも強力なツールになりえます。人事の目指すべき方向性に対して経営と人事の間に認識のズレが生じることがありますが、会社の「あるべき姿」を指標により設定することで、その認識のずれを最小限にすることが可能になります。自分たちが理想とする会社ができたとして、その時の状態として、生産性、ダイバーシティ、リーダーシップなど、人的資産の項目の指標それぞれがどういった数値になっているのか、具体性をもって議論できると思います。"人事における「データ活用」を阻む 3つの壁"でも書かせていただきましたが、"「あるべき姿」が曖昧なので成果がわかりづらい"という壁は、これによりクリアできます。

ただし、指標の使い方には注意が必要です。例えば「女性の管理職を30%にする」という目標を掲げたとしましょう。これはただ30%にすればいい、そのためにバンバン管理職を増やしましょう!ということではありません。本質的な目的は「多様性をもった価値観で評価できる」「女性が活躍できる職場を作る」などでしょう。それが具体的にどのような状態なのかが定義され、その状態を目指した結果として、女性管理職が30%になる、というのが理想の形ではないかと思います。

人的資本の情報開示について、人事の立場からするとどうしても反射的になんか大変なことが起こりそうと身構えてしまいます。しかし、人的資本という考え方は「経営に資する」人事につながりますし、捉え方によってはポジティブな面も多いのではないでしょうか。これを機に、人的資本にまつわる指標や開示について議論するのもよいと思います。

人事データの活用や、人事関連の指標の開発、分析の考え方などWorkTech研究所へのご相談やnoteへのリクエスト等ございましたら、引き続きお気軽にお申し付けください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。