見出し画像

どんなに惨めでも恥ずかしくても、生きてかなきゃならねえんだぞ

本記事は corp-engr 情シスSlack(コーポレートエンジニア x 情シス)#1  の12/15枠として投稿します。情シス Slack については日経クロステックさんの記事がわかり良いと思うので、興味がある方はぜひご一読くださいね。

■ 誰??

 ふらふらと申します。社内 SE 業になってもう 15 年くらいになりますか。SIer で産湯を使い、宮城県の中小な事業会社で総務と情シスの中間地点あたりをふらふら走っているのが私です。

 情シス Slack には、割と初期の頃から参加させていただいてます。私以外の生きている情シスを肉眼で見たのは、VISITS さんで行われたイベントがはじめてだったりします。

 最近転職をしました。現在は心穏やかに社内 SE として情シスとしてどんな価値が提供できるかなあとゴリゴリ考えているところです。

■ タイトルの意図は?

 2021 年で一番心に刺さった言葉をあげろと言われたなら、ノータイムでこの言葉。『鬼滅の刃 無限列車編』で嘴平伊之助が発したセリフです。

 これまでの社内SEや情シスとしてのキャリアの中で、一番つらい思いをしたのは人間関係です。言い方、伝え方、伝わり方に始まり、スキルの有無、性格の合う合わない、技術者として譲れる譲れない、性差、美醜をはじめとしたいろいろな要素が人間関係を構築するのですが…やっぱりどうしてもうまく行かなかったシーンというのは、多いのです。

 情シスに限らず、どんな仕事でも人間関係は発生しますし、その関係性如何で仕事が達成できるかどうかも変わってきますよね。でもこう、長年情シスをやっていると…どうもこの職業、比較的この「人間関係」が大きく影響することが多いような気がします。

 なので、「どんなに惨めでも恥ずかしくても、生きてかなきゃならねえんだぞ」に繋がります。アイツはダメだ、いつもなんの仕事してんの?言い方キッツイよねえ、性格悪ぅい、コストセンターだろあんなん…などなどの罵詈雑言を受けても、我々は、我々の仕事をしなければいけないってわけです。

 じゃあ、その「我々の仕事」って何なんでしょうね。生きてかなきゃならねえんですが、どうすれば生きていけるんでしょうね。

■ 我々の仕事

 情シスと言っても千差万別です。大企業の情シスと中小企業のソレは全く別の職業です。また、呼称ひとつとっても違ってきます。情シスと社内 SE は違うなんていうなんとも不毛な話、業務範囲にセキュリティは含まれるの含まれないの、含まれるとしたらどこまでなの…などなど、実は我々の仕事ってきちんと定義づけされてなかったりします。

 共通しているのは、IT(あるいは IT 的な考え方)でビジネスに関する課題を解決していくこと、加えて、解決を行うために人とコミュニケーションしなければならないこと、のふたつくらいでしょうか。

 上記をきちんと行っていくためには、勉強や実証実験を行いつつスキルを磨くことと、人とのコミュニケーションを厭わないことのふたつが必要になってきます。

 ここで大事になるのは、おそらく言語と非言語によるコミュニケーションです。

 技術や知識の習得において、自然言語がキーとなるのには賛成していただけると思います。かー、英語が読めればすぐ情報得られるのに!と思った情シスさんは多いと思うのですよ。ここで言っているのはそういうことです。

 また、経営層、あるいは現場にものを伝えて何かを解決しようとするなら、やっぱり自然言語とノンバーバルなコミュニケーション(言語を使わない/使えないコミュニケーション)の両方が必要になります。

 ので、情シスを極めるときっと、コミュニケーションの鬼になるのでしょう。もちろん、技術に裏打ちされてナンボではありますが、結局その技術を発揮するためにはコミュニケーション力が必要になってきます。

■ どうすれば生きていけるか

 上記で書いたとおり、技術を習得し、技術を伝えるためにコミュニケーション力を磨く…ことがきっと、これからも情シスとして生きていくためには必要なのでしょう。そう、そんな事はわかっているのです。でもね、やっぱり我々人間ですから、時には毒を吐くこともありますし、不機嫌になっちゃったりすることもあります。タイミング悪くそれらがハマると、いろいろなところから信頼を失っちゃったりすることもありますよね。

 そういうことを防ぐために、いろいろな自己啓発本やメソッド、心理学、哲学なんかが生まれ、現代にも脈々とつながってきているわけですよ。アドラー心理学だの、道をひらくだの、イシューから云々だのエンジニアリング論がどうだの、コーチングだレジリエンスだと枚挙に暇がありません。

 じゃあそういうのを学んでいけば生きていけるのか。

 まあ、イケる人はイケるんでしょう。

 私も学んでみたり経験したりしてましたが、まあ、うん、はい、生きてはいけます。それぞれ素晴らしい気付きを得ることもできましたし、実生活に応用して成功してるものもたくさんあります。でもそれらが必須か、一番だったかと言うと、そんなことはないなあと思っています。

 だから、前述の言葉が刺さったのでしょう。

どんなに惨めでも恥ずかしくても、生きてかなきゃならねえんだぞ」

■ どんなに惨めでも恥ずかしくても

 私の話をすれば、転職回数はついに 6 回目。そのうちクビが一回というどこに出しても恥ずかしい経歴の持ち主です。いつまでも腰が座らないとこの年になっても親に心配される中年のハゲメガネ。ああ、自分で書いててもこいつぁヤベェと自覚できるくらいの恥ずかしさです。

 また、技術的にも私は古めのスキルセットです。LAMP 時代の夜を駆け抜けた世代です。クラウド全盛期になる前の技術を、なんとか応用しながら仕事をしています。スキル的に飛び抜けて高いわけでもなく、浅く広く知ってるよというくらいです。現在もまだエンジニアであると名乗って良いのか、いつも悩みます。やあ、なかなか惨めです。

 そんな惨めさや恥ずかしさを隠しながらこれまで生きてきたのですが、流石に疲れました。心に闇を抱えながらあと 20 年くらい仕事をするなんて無理…もうだめだよパトラッシュ、ああ天使がみえる…

 などとも言っていられません。生きていかなきゃならねえんだぞ。

■ じゃあどうするのか

 というわけで、最近のマイブームは恥を捨てることです。note に露出するようになってからは、あなたの街のハゲメガネなんぞと自称しながらやってきましたが、最後の一線と言うかなんというかは守ってきたつもりです。

 でもまあ、そのへんももういいかなって思ってしまいました。

 個人情報や家族の兼ね合いもあるので全出しまではしませんが、顔も出すしリアルの名前も出すし、現在の会社の人にもSNSアカウントを隠しもしないし、わからないことはわからないと言うし、できないことはできないという。自分が言うべきだと思ったら忖度せずに言っていこうと思います。たとえそれが惨めでも恥ずかしくても。

 もちろん、行き過ぎてやらかすことはあるでしょう。実名プレイはそういうとき怖いですよね。でも、影に隠れず自分自身で責任をとっていくという決意の表れでもあるんですよ。そう決めてしまえば、意外に気持ちは楽だったりします。

 自分が本当に惨めで恥ずかしいと思ってるなら自分でなんとかすればいい。もうどうしようもないことであればそう思うこと自体が無駄なのでさっさと切り捨てる。他人がどう思うかについてまでは責任取れないので、申し訳ないけどソレもバッサリ。切り捨てます。私はこれから、そんな感じで生きていこうと思っています。

■ ん?結局何が言いたいの?

 盛大な自分語りになってしまいました。

 今は誰しもなんとか生きていかなきゃならねえ状況だと思うんですよ。情シスを取り巻く技術はますます難しくなっていくだろうし、専門性も高まってついていけなくなる日も来るかもしれません。

 同じように人間関係も高度化したり、歳を取れば取っただけ年齢差を感じることもあるでしょう。いろいろな感情が爆発したり、うまく行かなすぎて吐きそうになることも、情シスという職業においては特にたくさんあるとも思います。

 そういうときに、自分はもう何もできないや、周りからも認められないや、もういいや、あきらめちゃおう ― そうなる前に、自分で自分の枷を外してみるというのは結構有効な手段のような気がしますよという事を言いたかったのです。

 枷はいろいろなものがあると思います。今回私は、惨めさと恥ずかしさを隠すための枷を外してみました。それが吉と出るか凶と出るかはわかりませんけど。

 どんなに惨めでも恥ずかしくても生きてかなきゃならねえなら、惨めで恥ずかしく見えようとも生きていってやろうじゃないですか。

 誰かがこの話を覚えていてくれて、「もうアカン…」と思ったときに諦めるのではなく、自らのなにかしらの枷をひとつ外すことで現状を打破することになってくれたら、書き手冥利に付きます。

 今年も色々有りました。来年もきっといろいろあります。楽しく仕事できるように、いろいろ工夫して生きていきましょ。

■ さて明日は…

 情シス Slack で見ない日はない鬼無里餅衛門さんのアウトプット。どんなお話になるのか楽しみですね。

 情シス Slack に参加したい方はこちらのリンクからどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?